2.笑顔の似合う人
そうして初日早々、授業が始まった。
とはいっても入学初日ということもあり、まともな授業が行われるわけではない。これから学ぶ内容の説明や試験までの流れなど、学院生活についての導入が中心だったため、前後左右の席で小声の会話が交わされても教師がそれを咎めることはなかった。
そのためか、授業中とは思えないほど教室は賑やかだったのだ。リリアの前の席に座っているローズも何度か振り返っては小声で話し掛けてくる。
そんな中、少し離れた席にいるユーリーがこちらへと視線を向けていることに気付いた。目が合うと、リリアは反射的に小さく会釈をしてから視線を逸らす。
「……いつの間に仲良くなりましたの?」
それを見ていたローズが不思議そうに尋ねてきた。
「いえ……目が合ったので、つい」
「あんな男、無視しましょう」
あまりにも迷いのない言葉に、リリアは思わずユーリーの方へと目を向けた。
「今朝から気になっていたのですが、ローズさんはユーリー殿下のことをどう思っているのですか?」
「婚活軟派男、ですわね」
「ふふっ……」
思わず笑いが漏れた。慌てて手で口元を覆って声を抑えようとしたものの、一度零れた笑いはなかなか止まらない。そんなリリアを見たローズは先ほどまでの堂々とした表情を僅かに和らげた。
「まあ……」
まるで可愛らしいものを見つけたように目を細める。
「何故そんなに可愛らしいのかしら?」
「……え?」
思い掛けない言葉にリリアは目を瞬かせた。そんなにおかしかったのだろうかと思うと急に恥ずかしくなり、頬へ薄く熱が集まっていく。
すると、それを見たローズの表情がさらに柔らかくなった。
「貴女のような方と出会えて、わたくしは幸せ者ですわね」
ローズはそう言って、楽しそうに口元を緩めた。
やがて午前の授業が終わり昼休みになると、前の席に座っていたローズが振り返った。
「リリアさん、よろしければ共に食堂へと向かいませんこと?わたくし、一度学園の食堂で食事をしてみたかったのですわ」
「私でよければ喜んで」
二人で席を立ち、教室を出ようとしたところで少し離れた場所にいたユーリーが何食わぬ顔でこちらへと歩いてきた。
「ご一緒しても?」
「……本当に付いてくるつもりですか?」
「友人と昼食を共にするのですから当然でしょう」
「いつ殿下が私たちの友人になったのかしら」
「今朝友人になりたいとお願いしたではありませんか」
「了承した覚えはありませんけれど?」
ローズが付け加えるものの結局はそれ以上追い払おうとはせず、三人で食堂へと向かい、適当に料理を選んで席に着く。
「これ、美味しいですよ。一口食べますか?」
「一体、誰が殿下の食べかけをいただくと言うんですの?」
「こちら側なら手を付けていませんが」
「そういう問題ではありませんわ」
ローズが呆れたように返す。
何故この二人がこうして普通に会話できているのか少し不思議に思うほどだ。二人のやり取りを眺めながら、リリアは小さく笑った。
「そういえば、リリア嬢は随分と少食なのですね」
不意にユーリーから声を掛けられ、料理を口に運んでいたリリアが顔を上げる。
「そうでしょうか?」
「ええ。もう少し食べた方が良いと思いますよ。少し痩せすぎているように見えますし」
「ユーリー殿下。それはデリカシーがないと申しますのよ。ご自覚はございます?」
「何のことでしょうか」
「女性に対して、痩せているからもっと食べろなどと仰ってはいけませんの」
「……難しいものですね」
「難しくありませんわ。単に、もう少し相手の気持ちを考えてから発言すればよいだけですもの」
「なるほど」
ユーリーは素直に頷いたものの、本当に理解しているのかはよく分からない。
「気を付けるようにします」
「最初からそうなさってくださいませ」
ローズが小さく息を吐いたところで、ユーリーがふとリリアへと視線を向けた。
「そういえば、休日は何をして過ごすおつもりですか?」
「休日……ですか?」
「ええ。学園生活が始まったばかりですが、何か予定はあるのかと思いまして」
「特に考えていませんでした。すみません」
「ですから、貴女は――」
「殿下」
ユーリーが何かを言い掛けたところで、ローズがぴしゃりと遮った。
「少々席を外しますわ。殿下も少し来てくださいます?」
「分かりました」
二人が席を立ち、少し離れた場所へと移動する。遠目に見えるローズは何かを言い聞かせるようにユーリーに話をしていて、当の本人は笑顔を崩さず時折頷いている。
「待たせたわね」
「いえ……」
やがて二人が戻ってくると、ローズの隣ではユーリーが少しだけ困ったような顔をしていた。
「先ほどは失礼しました」
「……何がですか?」
「私の言い方です」
そう言ってから、ユーリーは一度だけ言葉を選ぶように黙った。
「私が言いたかったのは、貴女はもう少し自信を持った方がいいということです。何かを聞かれて直ぐに謝られると、そんなに不安なのかと心配になってしまうので」
「……心配?」
「はい」
あまりにも自然に答えられ、リリアは思わず瞬きをした。
「だから、もう少し笑っていてください。貴女には、その方がよく似合いますから」
先ほどまでの失礼な言葉からは想像もつかない台詞だった。何を言われたのか理解しようとしているうちに、リリアは隣に座るローズへと視線を向ける。
「一体何をしたんですか……?」
「何もしておりませんわ」
ローズは涼しい顔で答えた。
「強いて言うのなら、思ったことをそのまま口にするのではなく、何故そう思ったのかまで説明なさったらどうかと申し上げただけですもの」
「……なるほど」
「それで漸くあの言葉になったのですわ」
「余計なことを言わないで下さい」
「余計ではないでしょう?」
「……そうですね」
ユーリーが苦笑する。
「……ふふ」
それを見ているうちにリリアの口元も僅かに緩んだ。笑ったことに気付いたのかローズがこちらを見る。
「あら。今、笑いましたわね?」
「すみません」
「何故そこで謝るのです?」
「ほら、またですわ」
「ふふ……」
ローズの指摘を受け、ユーリーが再び口を噤んだ。そのやり取りがおかしくなって、リリアは今度ははっきりと笑ってしまったのだ。
「その方が良いですわよ」
ローズが満足そうに微笑むと、その隣でユーリーもいつもの笑顔を浮かべたまま頷いていた。
―――今日一日、傍で見ていて分かったことがある。
ローズは、単に我が強く自分の意志を押し通すだけの令嬢ではなかった。相手をよく見て、必要ならば言葉を選び、間違っていると思ったことには臆することなく口を挟む人なのだ。
今日一日話してみた今なら、あの発言も以前とは違った意味に思えてきた。あの時ローズが「実際に見ましたの?」と尋ねたのも、令嬢たちの陰口を止めるためだったのだろう。
ユーリーも、どうやらリリアが思っていたような人物ではないらしい。一度目の記憶がある所為で、前とは異なると思ってみてもどうしても腹黒くて性格の悪い王子という印象が拭えず警戒していたのだが、今日話してみた限りでは何かを悪意から言っているというより、単純に言葉選びが致命的に下手なだけなのではないかと思えてきたのだ。
少なくとも、以前ほど警戒する必要はないのかもしれない。……もっとも、問題がなくなったわけではないけれど。
そんなことを考えながら、リリアは少しだけ遠くで何かを話しているローズとユーリーへと目を向けた。ローズは相変わらず自信に満ちた様子で、ユーリーはいつものように笑顔を浮かべている。
まだ二人のことをよく知っているわけではない。それでも今日一日を一緒に過ごしてみて、少なくとも二人に対する印象が少し変わったことだけは確かだった。




