1.学園生活の幕開け
自身のクラスを確認したリリアは思わず目を瞬かせた。
一度目とは異なるクラスだったのだ。そうなれば当然、周囲にいる顔ぶれも変わってくるわけで、一度目に同じクラスだったカルロは今回はリリアと別のクラスになっていた。
そしてもう一つリリアを驚かせたのは、一度目の学園生活では別のクラスだったものの強く印象に残っていた人物たちが今度は同じクラスにいることだった。
ローズ・ヴィオレット――一度目ではリリアとは別の意味で、一目置かれていた令嬢である。公爵家の令嬢である彼女は常に華やかな衣装を身につけていて、我が強く、自分の意思を決して曲げない人物だった。
リリアの噂が蔓延していた頃にも、周囲の令嬢たちが口々に好き勝手なことを言っている中でただ一人「実際に見ましたの?」と尋ねていたことを覚えている。その一言だけで、それまで彼女と話していた令嬢たちは揃って口を閉ざし、一気にその場の空気が冷めたものだった。
ローズには、自分で見たものしか信じないところがあるらしい。いつかのパーティーで少しだけ言葉を交わした際に噂について尋ねてみたことがあったが、彼女はさして興味もなさそうに「噂なんて当てになりませんもの」と答えていた。
もっとも、今までローズとまともに話したことがあるわけではない。
今世のリリアは、これまで殆どパーティーに顔を出していなかった。出席した時も、一度目のことが頭に残っている所為か自分から他の令嬢へと話し掛けることができず、向こうから声を掛けられても何処か余所余所しい態度になってしまっていた。
だからか、これまで親しい友人と呼べる相手は一人もいなかったのだ。
そして、もう一人。ユーリー・フォル・フランチェスタ――留学生としてこの国にやってきたフランチェスタ王国の第二王子であり、ローズ同様一度目の学園生活でリリアの印象に残っている人物だった。リリアの傍で噂話をして笑っていた令嬢たちの隣で「この国は嘘か誠か分からぬことを面白可笑しく話すのですね」と笑顔のまま嫌味を口にしていた姿を覚えている。
ところが後に二人きりで話す機会があった際には「何故噂を放置しているのですか?」と尋ねられ、「誰にも頼ろうとしない貴女のことが嫌いです」とまで言われたのだ。その時には思わず「家にも学園にも居場所などないのに、一体私は何をすればいいのですか?」と反抗するように言い返してしまい、ユーリーは「そんな態度も取れるのですね。意外です」と驚いたように目を瞬かせて嫌味を言ってきたのだ。
だからリリアにとって、ユーリーという人物の印象はあまり良くない。いつも笑顔を浮かべているのに何を考えているのか分からない、腹黒くて性格の悪い王子――それが、今のところ彼に対するリリアの認識だった。
そして最後に――アナ・スタフォード。彼女も同じクラスにいる。言うまでもなく一度目では義妹としてナイーゼ家へとやってきた後リリアを虐め倒し、挙げ句の果てにはアナがリリアに虐められているという噂まで作り上げた元凶の一人だ。
同じ教室にいる以上、何時か嫌でも関わることもあるだろうとは思うが、リリアは今のところ自分から関わるつもりはなかった。いくら以前とは違うと思おうとしても警戒してしまうのだ。
幸い、教室に入った時に見えたアナは既に何人かの令嬢たちと話をしていて、こちらへと近付いてくる様子もなかった。
「あら、御機嫌よう。リリアさん」
リリアが自分の席へと向かおうとしたところで、一人の令嬢がこちらへ歩み寄ってきた――ローズだった。
「パーティーでお見かけしたことがないものですから、いつかお話ししてみたいと思っておりましたの」
そう言って、ローズは自然な仕草でリリアに手を差し出す。
「丁度席も近いですし、よろしければ仲良くしましょう」
思い掛けない言葉に、リリアは一瞬だけ目を瞬かせた。これまでローズと話す機会など殆どなく、こんなにもあっさりと手を差し出されるとは思っていなかったのだ。
「私でよければ、喜んで」
断る理由などはなく、リリアが差し出された手を握り返すとローズは満足そうに微笑んだ。
「よかったですわ。これからよろしくお願いしますわね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
まさか以前から一度話してみたいと思っていた相手と、こんなにも早く言葉を交わせるとは。そんなことを思っていると、二人のやり取りに少し離れたところから声が掛かった。
「割り込むようで申し訳ございません。お二方、少々よろしいですか?」
「フランチェスタ第二王子殿下……?」
振り返ると、穏やかな笑みを浮かべたユーリーが立っていた。
「呼びにくいでしょうから、ユーリーで構いません」
「では、ユーリー殿下と。何か私たちに御用でしょうか?」
リリアが答えるより先にローズが問い掛ける。
「宜しければ、私とも友人になりませんか?留学してきたばかりで友人と言える人物がなかなか見つからず……」
「あちらに令息方がいらっしゃるではありませんか。私たちではなく、あちらへいらしては如何でしょう」
ローズが教室の向こうに視線を向けながら言うと、ユーリーは困ったように笑った。
「いえ。貴女たちだからこそ声を掛けたのです」
「……あらやだ。留学してまで婚約者をお探しですの?」
ローズが扇子を口元へと広げ、揶揄うように目を細める。
「そういうつもりではありませんよ」
ユーリーは笑顔を崩さないまま答えると、それからリリアへと視線を向けた。
「彼女はこう言っていますが、貴女はどうお考えですか?」
「……私は」
「こんな方、放っておいてよろしいですわ」
リリアが僅かに眉を寄せるのを見て、ローズがすかさず口を挟んだ。
ユーリーにはどうしても警戒してしまう。
今世の彼が何かをしたからではない。それでも過去に向けられた言葉を覚えている以上、笑顔のまま何を考えているのか分からないこの王子を簡単に信用する気にはなれなかったのだ。
だからこそ、どう答えるべきか迷っていると――
「リリアはいる?」
教室の前方から声が聞こえてきた。
話し声というより周囲にいる令嬢の甲高い声が響いていて、何事かと視線を向けたリリアたちは教室へと入ってきた人物の姿を見て、それぞれに反応を変えた。
「彼とはどういった関係ですか?」
そのまま真っ直ぐ歩いてくるカルロを一瞥して、ユーリーが尋ねる。
「……友人です」
それを聞いたローズが、リリアとカルロを交互に見つめた。何か言いたげに口元へと手を当てたものの、今は黙っているようだった。
「リリア」
カルロが声を掛けると、彼の前へとユーリーが一歩進み出た。突然二人の間に割って入ったユーリーに、カルロも僅かに眉を顰めている。
「彼女に近寄らないでください」
「確か、留学生の……」
思い出すように呟いたカルロに、ユーリーは笑顔のまま言葉を重ねる。
「入学早々、他クラスの令嬢の元に訪ねてきては噂になってしまうかと。もう少し弁えては?」
一瞬黙り込んだカルロの表情を見つめながら、ユーリーは更に続けた。
「そもそも婚約者ですらないですよね?」
「……そう、ですが」
どうやら思った以上に堪えたらしい。カルロの返事は明らかに歯切れが悪く、そんな二人を前にしてリリアは何とも言えない気持ちになっていた。ただ黙って見つめることしかできずにいると、横にいたローズは扇子を口元へ当てたまま二人のやり取りを興味深そうに眺めている。
「なら邪魔をしないでください。話してるのが見えませんか?」
「……私は、リリアに用があるだけです」
「貴方がわざわざ彼女に近付く必要はないでしょう」
「ですが――」
「貴方が話し掛けてから、彼女が一度も口を開いていないことにはお気付きですか?」
そこまで言われてもカルロは何も言い返さなかった。何か言いたげにリリアへ視線を向けたものの、やがて小さく息を吐くと「……邪魔をしてしまったようですね」とだけ告げ、そのまま教室を出ていく。
リリアは、扉が閉じるまでその背中を目で追っていた。
「……随分お嫌いですのね」
カルロが立ち去った後、隣から聞こえた声に振り向くとローズが扇子の向こうからユーリーを眺めていた。
「そう見えましたか?」
「ええ。少なくとも、好意的には見えませんわ」
「ただ邪魔をされるのが好きではないだけですよ」
「まあ。それは随分とご親切なことで」
ローズの目が僅かに細くなる。
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めておりませんわ」
二人のやり取りを聞きながらリリアは小さく息を吐いた。当のユーリー本人は少しも悪びれた様子がなく終始笑顔のままであり、相変わらずよく分からない人である。
やはり、苦手かもしれない。
「それで、リリアさん。先ほどのお話ですけれど、休み時間なども宜しければご一緒しません?」
「私も混ぜていただけませんか?」
当然のように口を挟んだのはユーリーだった。
「しつこいですわ。先ほど、あちらに令息方がいらっしゃると申し上げましたわよね?」
「それは先ほど拒否したではありませんか」
「何処かへ行ってくださいます?鬱陶しいです」
「随分な言い方ですね」
「事実でしょう?」
「……ふふ」
そんな二人のやり取りを聞いているうちにリリアの口元が僅かに緩んだ。笑ったことに気付いたのか、ローズがこちらを見る。
「あら。今、笑いましたわね?」
「すみません」
「何故謝るのです?悪いことではないでしょう」
ユーリーも不思議そうに首を傾げた。
「……そうですね」
リリアはそう答えながら、もう一度二人を見た。
まだ、よく分からない。けれどこうして誰かと他愛のない話をして笑うことが、こんなにも気楽なものだったのだと今さらになって気付いたのである。
「結局、殿下もご一緒なさるんですか?」
「勿論です」
「……仕方ありませんわね」
ローズが渋々といった様子で頷く。
「ただし、変なことをなさったら直ぐに追い出しますわよ」
「心得ておきます」
リリアが小さく笑う。教室には少しずつ生徒たちの声が戻ってきていて、先ほどまでカルロの姿に騒いでいた令嬢たちも別の話題へと移っていた。
「リリアさん、お昼はどうなさる予定ですの?」
「まだ決めていません」
「でしたら、ご一緒しません?」
「はい」
「私もよろしいでしょうか?」
「殿下は聞いておりませんわ」
「これは失礼」
また始まった二人のやり取りに、リリアは思わず笑ってしまった。
「……楽しみですね」
ぽつりと呟くと、ローズがこちらを見た。
「何がですの?」
「お昼も、それから……これからの学園生活も」
「きっと楽しくなりますわ」
「私もそう思います」
ローズが目を細めると、ユーリーも笑顔のまま頷いた。
こうして始まった二度目の学院生活が、この先どんなものになるのかはまだ分からない。
それでも、ローズと話し、ユーリーの言葉に振り回され、今日は思っていたよりもずっと楽しかった。誰かと他愛のない話をすることがこんなにも気楽なものだったのだとリリアは少し不思議に思う。
明日も、今日と同じように過ごせるだろうか。そんなことを考えながらリリアは春の陽射しが差し込む窓の外へ目を向けたのだった。




