4.一度目のその後
カルロは直ぐには答えず、過去を思い返すように僅かに視線を落とした後、ゆっくりと口を開いた。
「……ナイーゼ家だ。君の無実が明らかになり始めた、その日の朝に……私は君の身体のまま死んだ」
「……私の、無実が?」
リリアが思わず聞き返す。自らが死んだ後のことを知りたいと思って尋ねた筈なのに、その言葉だけが強く耳に残ったのだ。
「正確には、私が死んだ時点ではまだ全てが終わっていたわけではない。だが、全てが明るみになり始めていた」
「どうして……」
「その少し前に、私は外に手紙を出していたんだ」
「手紙を?」
「側近だったブレイン宛てに。私が君に憑依し、ナイーゼ家にいることと……そこで私が受けてたことと、君に掛けられていた疑いをもう一度調べてほしいと書いた」
軟禁されていた以上カルロ自身が屋敷の外に出ることはできず、だから当時リリアの傍にいたアリーへと頼んで、便箋と筆記具を用意してもらったのだという。
普通の経路では途中で握り潰される可能性もあったため、カルロが以前から知っていた裏の郵便経路を使い、自分とブレインにしか分からない合言葉も添えたらしい。
「それを、アリーが届けてくださったのですか?」
「ああ。君の部屋に、以前私が渡した指輪が残っていた。それを私からの証として持たせた」
カルロはそこで一度言葉を切ったものの、リリアは何も言わずに続きを待った。
「翌朝、目を覚ました時には屋敷中が騒がしくなっていた。何が起きたのか、最初は私にも分からなかったが……どうやらブレインは手紙を信じてくれたらしい」
「では……」
「ああ。君に掛けられていた疑いについて外から調べが入り始めていた。少なくとも、嘘を押し通せる状況ではなくなっていたようだった」
リリアは思わず息を止めた。彼女の死後、一度目の世界ではそこまで進んでいたのだ。
「その直後だった……あの女の娘が部屋へと来た」
カルロの声が低くなる。
「……アナが?」
「ああ。酷く取り乱していて、部屋へと入ってくるなり何をしたのかと問い詰めてきたんだ」
カルロには、その時点でも屋敷で何が起きているのか全ては分かっておらず、アナに軟禁された部屋から一歩も出ていないと答えたものの彼女の怒りは収まらなかったという。
「彼女は……『自分たちのしたことが知られている』と口にしていた」
リリアの眉が僅かに寄った。
「あの時の私は、ブレインが動いてくれたのだろうとは思っていた。けれど、何処まで明らかになっているのかまでは知らなかった」
カルロが僅かに苦い表情を浮かべる。
「だから……自業自得ではないか、と言ったんだ」
「……殿下自身が?」
「今思えば、余計なことを言ったと思う」
それで完全に逆上したのだろう。アナは怒鳴り声を上げ、カルロへと向かってきたのだという。
「避けられると思った。いくら君の身体だったとはいえ、真っ直ぐ向かってくる相手なら動きは読めたから」
カルロの手が無意識に胸元へと触れた。
「だが、次の瞬間には……ここを何かに貫かれていた」
リリアの表情が強張る。
「……刺された、のですか?」
「少なくとも、その時の私はそう思っていた」
カルロは当時の光景を思い返すように僅かに目を伏せた。
「目の前には彼女がいて、こちらへ向かってきた直後だったから……刺されたのだと思った。何が起きたのか確かめる余裕なんてなかったんだ」
気付いた時には既に胸を深く貫かれ、口からは血が溢れていた。突然の出来事に何が起きたのか理解する間もなく意識は遠ざかり、その正体を確かめることさえできなかったという。
「……そこで、私の一度目は終わった」
言葉を失うリリアに、カルロは淡々と続けた。
「次に目を覚ました時には今度は自分の身体の――ただし……幼い頃に戻っていた」
「では、それが……」
「ああ。今の人生の始まりだ」
そこまで理解したところで、リリアはふと眉を寄せた。
―――何かが引っ掛かる。
カルロが語った一度目の内容を、リリアはもう一度頭の中で辿った。やがてその違和感が何処にあるのか気付いた瞬間、リリアの表情が変わったのだ。
「……待ってください」
カルロが口を閉ざし、何事かとリリアを見つめた。
「今……アリーと仰いましたよね?」
「ああ」
「殿下が私の身体で目を覚ました後に、アリーと会ったのですか?」
「そうだが……」
カルロが不思議そうに眉を寄せた。何故そんなことを確認するのか本当に分からないのだろう。
「傷の手当てをして……殿下に私のことを話し、それから手紙まで届けてくださったのですよね?」
「ああ。それが、……どうしたんだ?」
「おかしいです」
続きを口にしようとしたものの、声が思うように出なかった。
嫌でもあの日の光景が蘇ってきたからだ。目の前で鮮血が広がり、何が起きたのか理解することすらできないうちにアリーの温もりを奪われていた。
今の人生でどれだけ時間が経っても、到底忘れられるようなものではなかったのである。
「……だって、アリーは……」
声が震えた。
リリアは膝の上で握った手に力を込め、込み上げるものを堪えるように一度息を整えた。
「その時には、もう……生きていない筈です」
「……一体、何を――」
カルロの表情に困惑が広がる。
「アリーは……私が毒を飲むより前に、死んでいます」
「……死んで?」
信じられないものを聞いたようにカルロが言葉を失った。リリアも直ぐには続きを言えなかったものの、それでもここで止めるわけにはいかなかったのだ。
「私の……目の前で」
喉が詰まり、一度言葉が途切れる。
「……殺されました」
漸く絞り出した声は自分でも分かるほど掠れていて、それを聞いたカルロも大きく目を見開いていた。
「殺された……?」
「はい」
「だが……私は確かにアリーと話した。彼女から君のことも聞いたし、手紙も――」
「分かっています」
だからこそ、おかしいのだ。
カルロがリリアの身体で目を覚ましたのは、リリアが毒を飲んだ後。その時点で本物のアリーは既に死んでいた筈なのに、カルロの記憶の中には確かにアリーが存在していたのだ。
では、彼が会ったのは誰だったのか。
リリアは暫く何も言わず、混乱した頭の中で一度目と今の人生の出来事を重ね合わせた。
「……ノーマ」
「ノーマ?」
一人の人物が浮かんだ。無意識に零れた名前にカルロが顔を上げる。
「アリーを殺したのは、ノーマでした」
口にした途端、胸がまた僅かに痛んだものの、それでもリリアは続けた。
「一度目では、あの時の私には何も分かりませんでした。でも今は……」
カルロは僅かに目を伏せ、リリアの話を聞いていた。
「もしアリーを殺した後ノーマが代わりに彼女として振る舞っていたのなら……殿下が会った相手にも説明がつきます」
恐らく彼にとって、初めて考える可能性なのだろう。カルロは何も答えずに片手で握りこぶしを作り、それを強く握りしめていた。
「でも、それなら何故わざわざ殿下の前に……」
リリアは眉を寄せたまま、誰に聞かせるでもなく小さく呟いた。
ノーマは自分の目の前でアリーを殺している。その後でいくら瓜二つの顔を利用したところで、アリーとして現れれば偽物だと気付かれる筈だ。
だが、一度目の自分がその時どのような状態だったのかを思い返しているうちに別の可能性が浮かんできた。
「……確認しに来たのかもしれません」
アリーを目の前で失った時、リリアは既に酷く取り乱していた。婚約を破棄され、屋敷に戻されてからも追い詰められ続け、最後には自ら毒を飲んだのだ。
「ノーマは、確かめたかったのかもしれません――私がアリーの死を覚えているかを。あれだけ錯乱していたのですから不思議ではありません」
リリアは口にしながら、自分の中で考えを繋げていった。
「だからアリーとして私の前に現れた。私が何も気付かなければ、そのままアリーとして振る舞えると考えたのでしょう。もし気付かれたとしても……」
そこで一度言葉を止め、リリアは僅かに目を伏せた。
「……あの部屋に閉じ込められていた私には、どうすることもできません」
屋敷の外に出ることも許されず、助けを求められる相手もいない。周囲にいるのは、リリアを人として扱うことすらしなくなった使用人ばかりだった。
偽物だと気付いたところで、それを外に伝える術がなければノーマにとって大きな問題にはならない。
「それなら……私の前に現れること自体、それほど危険ではなかったのかもしれません」
そこまで口にして、リリアはようやく黙った。
推測に過ぎない。それでも、カルロが一度目で会ったというアリーと、自分が知っているアリーの最期を繋げようとすれば、今のところそれが最も筋の通る答えだった。
「では、私が会ったアリーは偽物だということは――」
「はい。そこだけは間違いありません」
リリアはそう答えると、それ以上ノーマについて考えるのをやめた。今の段階では推測に過ぎず、考え続けても答えが出るものではない。
それよりも、先ほどから胸に引っ掛かっていることがあったのだ。
「……殿下。先ほど、私の無実が明らかになり始めていたと仰いましたよね」
「ああ」
カルロが僅かに表情を改めた。
「それは……本当なのですか?一度目の私は、本当に何もしていなかったのだと……分かってもらえたのですか?」
「全てが終わるところまでは見届けられなかった。だが、少なくとも――あの騒ぎを見る限り、隠し通せる状態ではなかっただろう」
「……そう、ですか」
リリアは俯いた。死んだ後とはいえ、あの日どれほど訴えても信じてもらえなかった無実は漸く明らかになろうとしていたらしい。
本来なら少しくらい報われたように感じてもよさそうなものなのに、胸に込み上げてきたのは喜びではなかったのだ。
「……遅いです」
小さく零れた声に、カルロが顔を上げた。
「遅すぎますよ……殿下」
そう口にした途端、頬を涙が伝った。自分が泣いていることに気付いたのは、雫が膝の上に落ちてからだった。
「私は……生きている時に、信じて欲しかった。死んだ後に無実だと分かっても私は何も知らないではありませんか」
止めようとしても涙は勝手に溢れてきた。
「殿下が間違いに気付いたことも、動いたことも……そして私の言ったことが嘘ではなかったと、誰かが分かってくれたことも」
声が震え、途中で一度息を飲んだ。
「私は、何も知らないまま死んだのです」
カルロは何も言わなかった。謝罪の言葉すら今ここで口にするべきではないと思っているのかもしれない。
「最期まで…………」
その言葉を口にした途端、胸の奥に長い間押し込めていたものまで一緒に溢れたような気がした。
カルロが後悔したことも、無実を明らかにしようとしたことも、今のリリアには分かる。
けれど、一度目のリリアには届いていないのだ。
だからか、今の自分がそれを知っただけで過去まで救われたことにはならないのである。
暫く俯いていたリリアは、やがて頬を伝う涙を自分の手で拭った。
「……ですが知らないままよりは、よかったです」
一度息を整えてから顔を上げると、カルロが目を見開いた。
「一度目の私には届かなかったとしても……殿下が何も知らないままではないことも、分かりましたから」
許したわけではない。一度目に受けた傷が消えたわけでもない。
ただ、カルロが何を知り、何を後悔し、どうして今の人生でこれほど違う行動を取ってきたのか。その答えだけは、もう分からないままではなかった。
同時に、ノーマがアリーを装っていたのだとすれば、彼女は一度目で何をしようとしていたのか。
今世で知ったノーマの事情を考えれば、復讐のためだったのだろうという想像はつく。けれど、何故わざわざアリーを殺し、その姿を装ってカルロの前へと現れたのかまでは分からない。
その理由だけは、まだ答えが出なかったのだった。




