1.確信へと変わる疑念
クレマチス伯爵家の取り潰しが決まってから数週間が過ぎた。
ラミアの身柄は今も厳重な監視の下に置かれており、ノーマたちの両親についても引き続き調査が行われているものの未だ決定的な手掛かりは見つかっていないらしい。一方、事件に巻き込まれたカルロは順調に回復し、傷が完全に癒えたわけではないものの今では普段の生活へと戻れるほどになっていた。
ナイーゼ家にも少しずつ以前の日常が戻り始めていた。
アルテミスはこれまで通り屋敷で過ごし、アバンリッシュも一時中断していた仕事を再開した。リリア自身もまた、ラミアの一件が片付いてからは目の前の危険に追われることもなくなり、以前より穏やかな時間を過ごせるようになっていた。
ただ、一つだけ以前とは変わったことがあった。
―――カルロとの関係だった。
これまでは必要がなければ自分から関わろうとはせず、婚姻の話についても可能な限り先延ばしにしようとしてきた。今のカルロが一度目とは違うことに気付いてからも、心のどこかではいつか同じことを繰り返すのではないかという不安を捨て切れず、無意識のうちに距離を置こうとしていたのだと思う。
けれど、今は少し考えが変わっていた。まだ起きてもいないことを理由にアナを罰するべきではないとカルロへと告げた時、その言葉はそのまま自分自身にも当てはまるのではないかと思ったのだ、
一度目に何があったのかを忘れたわけではないし、忘れるつもりもない。それでも、過去のカルロだけを見て今の彼まで同じ人間だと決め付けてしまえば、自分がアナに対してしようとしなかったことをカルロに対して続けることになるのだ。
だから、今の彼を見るよう決めた。
以前のように避けるのではなく、カルロが何を考え、これから何をするのかを自分の目で確かめてから判断する。そのつもりで接するようになれば、自然と顔を合わせる機会も以前より増えていったのだった。
そうすることにより別の疑問も日に日に大きくなっていた。
―――今のカルロは、やはり自分が知っている一度目の彼とは違い過ぎる。
初めのうちは、自分と同じように何かをきっかけとして考え方が変わっただけなのかもしれないと思っていた。しかし、母を庇った時の行動だけならまだしも、これまでの彼の言動を一つずつ思い返してみれば、それだけでは説明しにくいものがいくつもある。
中でもリリアが気になっていたのは、アナについて話した時の反応だった。
今回の事件に関与していないアナまで処罰する必要があるのかと尋ねた際、カルロは明らかに彼女個人を警戒していたように見えた。それもラミアの娘だからという理由だけではなく、まるでアナがこの先何かをすることを知っているかのような言い方までしていたのだ。
『……例えこの先何をするか分からなくても?』――あの時は話を進めることを優先したが、後から思い返せば返答としては不自然だった。
一度目の人生で、アナはラミアに唆されながらも自らリリアを追い詰める側へと回っている。もしカルロも一度目の出来事を知っているのなら、今の彼がアナを警戒していることにも一応の説明はついた。
しかし、それだけではどうしても腑に落ちないことがあった。
一度目のカルロはアナではなくリリアの方を加害者だと信じていたのだ。アナやラミアの言葉を疑うこともなく、最後にはリリアとの婚約を破棄するだけでなく彼女を処罰する側にも立っている。少なくとも、あの時のカルロがアナを警戒していたようには見えなかった。
それなのに今のカルロは、まだ何もしていないアナに対し、まるでこの先彼女が何をするのか知っているかのような反応を見せている。
仮に彼にも一度目の記憶があるとして、何故そこまで知っているのだろう。自分が死んだ後に何かがあったのか。それとも、一度目のカルロは自分が知らなかった何かを後になって知ったのか。考えても答えは出なかったが、だからこそ確かめる必要があった。
今のカルロが一度目とは違う理由も、アナを警戒している理由も、もし彼が本当にあの人生を覚えているのなら、その記憶の中に答えがあるのかもしれないのだ。
―――確かめてみよう。
そう思ったのは、カルロがナイーゼ家を訪れる予定があると聞いた日のことだった。
怪我をして以来彼が屋敷を訪れるのは初めてで、今回はアバンリッシュに用があるらしく話が終わればすぐに帰る予定だと聞いていたが、リリアはその日いつもなら自室へ戻る時間になっても敢えて屋敷の一階に残っていた。
やがて話を終えたカルロが姿を見せる。
「リリア?」
こちらに気付いた彼が足を止めた。
「殿下。もうお帰りですか?」
「ああ。そのつもりだったが……君はどうしたんだ?」
「少し本を読んでいただけです」
手にしていた本を見せると、カルロは納得したように頷いた。以前であれば、この程度の会話を交わしたところでそのまま別れていたかもしれない。
けれど、今日は違った。
「殿下。少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「もちろん構わない」
カルロは理由すら尋ねなかった。
二人で話せる場所へと移動すると、リリアは向かい側に座ったカルロを見ながら何から話すべきか考える。
確かめたいとは思っているものの、いきなり一度目の人生について尋ねるつもりはない。自分の考えが外れている可能性も残っている以上、まずはカルロが知るはずのないことにどう反応するのかを見たかったのだ。
「先日、アナと会いました」
「ああ。孤児院へ移る前に会ったと聞いている」
「思っていたより、普通の子でした」
そう告げても、カルロは特に反応を見せなかった。
「お母様と会えなくなることを悲しんでいましたし、これから知らない場所で暮らすことも怖がっていました。考えてみれば当然ですよね。あの子はまだ、何もしていないのですから」
「……そうだな」
僅かな間があったものの、それだけで何かを判断することはできない。リリアは何でもない話を続けるように、さらに言葉を重ねた。
「私も、最初は少し怖かったのです」
「ラミアの娘が?」
「はい。いつか私から大切なものを奪う人になるような気がして」
その言葉を聞いた瞬間、カルロの表情が僅かに変わった。ほんの一瞬目を見開いただけだったものの、最初から彼の反応を見逃さないよう注意していたリリアには十分だった。
「……今のアナは、君が恐れているようなことは何もしていない。君自身がそう言っていただろう」
「はい。ですから、私もそう考えることにしました」
「なら、それでいいと思う」
返ってきたのはそれだけで、リリアは表情を変えずに頷いたものの胸の内では先ほどの反応を何度も思い返していた。
今の一つだけなら、単に自分の言い方を不審に思った可能性もある。これだけでカルロにも一度目の記憶があると決めつけるには、まだ根拠が足りなかった。
「そういえば、殿下は以前からアナのことを随分警戒されていましたよね」
「……ラミアの娘だからだ」
「本当に、それだけですか?」
今度はカルロが黙った。
リリアは答えを急かさず、そのまま彼を見つめていた。何かを誤魔化そうとしているのなら目を逸らすなり話を終わらせるなりするだろうと思っていたが、カルロはそうしなかった。
暫くして小さく息を吐くと、どこか言葉を選ぶように口を開く。
「……それ以外にも理由がある、と君は思っているんだな」
「はい」
リリアが迷わず答えるとカルロは暫くこちらを見つめ、静かに視線を落とした。
「そうか」
否定もしなければ、何を根拠にそう考えたのかと問い返してくることもない。その反応は、肯定の言葉を聞くよりもリリアの疑念を強めるものだった。
「少し気になっただけです。殿下はあの時、『この先何をするか分からなくても』と仰ったでしょう?」
「ああ」
「まるで、アナが何かをするかもしれないと最初から考えていたように聞こえました」
ラミアの娘だから警戒していた――それだけなら、そう言えば済む話である。先ほど実際にそう答えているのだから、ここでも同じ説明を繰り返せばいいのだ。
それなのにカルロは何も言わなかった。
リリアの中で、これまで別々に存在していた違和感が少しずつ一つへ繋がっていく。
それでも、まだ決めつけるには早い。アナのことだけを材料にしていては、どれだけ反応が不自然でも別の理由があった可能性を完全には捨て切れないのだ。確かめるのなら、今度はアナとは関係のないことで反応を見る必要があった。
リリアは次に口にする言葉を慎重に選んだ。
「殿下――もし、ですけれど」
一度言葉を切り、カルロの表情を窺う。
「一度自分を信じてくれなかった相手が、今は以前とは全く違う態度で接してきたとしたら……殿下なら、その人を同じ人間だと思いますか?」
カルロの表情が僅かに強張った。目を見開いた後、何かを言い掛けるように唇を動かしたものの結局そのまま口を閉ざす。
リリアも何も言わずに彼の様子を見つめていた。
質問そのものはそれほど難しいものではない。以前とは態度が変わった相手をどう見るかというだけの話であり、何の心当たりもなければ自分なりの考えを答えれば済む筈だった。
それなのにカルロは明らかに返答を迷っていたのだ。
「……分からない」
暫くして返ってきたのは、意外な答えだった。
「分からない、ですか?」
「……ああ」
カルロは短く答えると、それ以上何も付け加えなかった。
リリアにとって重要なのは答えの内容ではない。何の心当たりもないのなら単なる仮定として考えればいいだけの質問だった筈で、それにもかかわらずカルロはすぐに答えず、何故そんなことを尋ねるのかと理由さえ聞いてこなかった。
アナについて話していた筈のリリアが、突然まるで別の誰かを想定したような質問をしたのだ。不自然に思って当然であるにも関わらずその意図を確かめようとしなかったのは、聞かなくても何かしらの心当たりがあったからではないのか。
そこまで考えたところで、リリアは自分の中に生まれた答えを一度押し留めた。まだ本人の口から何かを聞いたわけではないし、今日の反応だけを取り上げれば考え過ぎだと片付けることもできるだろう。けれど、これまでのことまで重ねれば話は違ってきたのだ。
「……そうですか」
リリアはそれ以上何も尋ねなかった。カルロも何か言いたそうにこちらを見ていたものの結局その理由を尋ねることはなく、その後は当たり障りのない話をいくつか交わしただけで予定通り屋敷を後にした。
一人になったリリアは、先ほどまで彼が座っていた椅子を見つめながら、今日の会話を最初から思い返す。
今のカルロは一度目に知っていた彼とはあまりにも違う。それだけなら二度目の人生で周囲の状況が変わった結果だと考えることもできた。けれど、それだけでは説明できないことが何度もあったのだ。
まだ何もしていないアナをカルロは妙に警戒していた。おまけに処罰から外してほしいと頼んだ時には、まるで彼女がこれから何かをする可能性を知っているかのような言葉を口にしている。
そして今日、リリアが一度目のアナを思わせる話をした時にも明らかに反応を見せ、それだけではなく突然のアナとは無関係な問いにも、直ぐには答えようとはせずに考え込んでいた。
一つだけなら偶然だったのかもしれない。けれど、これだけ重なってもなお全てを偶然だと考える方が今のリリアには難しかった。
何より気になっているのは、カルロが最後まで何も尋ねてこなかったことだった。
今日の自分が妙な質問を繰り返していたことくらいリリア自身が一番よく分かっている。何故そんなことを聞くのかと尋ねられることも覚悟していたし、その場合にどう誤魔化すかまで考えていた。
それなのに、カルロは一度も問い詰めなかった。あるいは途中から、こちらが何を確かめようとしているのか気付いていたのかもしれない。
もしそうなのだとすれば――カルロもまた、今日の会話から何かに気付いた可能性があった。どちらも一度目の人生を知っているからこそ出てきた言葉であり、カルロが同じ記憶を持っているのなら、その意味に気付かないとは思えなかったからだ。
そこまで考えた途端、別の意味で胸がざわついた。
リリアは膝の上で重ねていた手に僅かに力を込めた。まだ確かめなければならないことは残っているし、本人が認めたわけでもない。それでも、これまで胸の奥に引っ掛かっていたいくつもの違和感は、今日の会話を経て一つの答えへと収束しつつあったのだ。
カルロもまた、一度目の人生を覚えている。そして恐らく今頃、カルロの方も同じ疑いを自分へと抱き始めていることだろう。
そこまで考えたところで、リリアは静かに息を吐いた。
ここまで来れば、いつまでもカルロの反応を窺っているだけでは何も変わらない。次に話す時には、もう少し踏み込んで確かめて、それでも今と同じ答えに辿り着くのなら今度こそ本人に直接尋ねるつもりだった。
―――カルロもまた、一度目の人生を覚えているのか。
答えを本人の口から聞くことを考えると胸の奥にはまだ僅かな怖さが残っている。それでも、知らないまま目を逸らし続けるつもりはリリアにはなく、次に向き合う時こそ長い間抱え続けてきた疑問に答えを出そうと心に決めたのだった。




