ラミア・クレマチスという令嬢Ⅱ
少女がナイーゼ家で暮らし始めて暫くした頃、ようやく身元が判明し、彼女がクレマチス伯爵家当主ガルフ・クレマチスの娘であることが分かった。
まさか伯爵家の令嬢があのような状態で倒れているとは思っていなかったアバンリッシュは、少女がこれまで受けてきた扱いについて確かめるためにも、父親であるガルフをナイーゼ家へ呼び出すことにした。
少女が発見された時の状態を見れば、まともに育てられていなかったことは明らかだった。幼いながらもそれを理解していたアバンリッシュは、少女をそのまま返すことを拒み、ガルフにいくつもの条件を突き付けた。
今後二度と少女を傷付けないこと。伯爵家の娘として相応の生活を保障すること。そして、再び同じような扱いをした場合には、少女がどのような状態で発見されたのかを公にすること。
子供からそのような条件を突き付けられることは、ガルフにとって相当な屈辱だった。それでも少女への虐待が公になれば、伯爵家の評判だけでは済まない。
結局ガルフは条件を受け入れた。
もう二度と少女に手を上げないと約束させれば家族の元に帰しても問題ないだろうと、アバンリッシュは思っていた。
自分の家でいつまでも保護することはできない。それならば、実の父親に二度と同じことをさせないと約束させ、伯爵令嬢として本来受けるべき扱いを保障させる方が少女のためになると考えた。
だから、少女を家族の元へと帰すことを決めたのだ。
「大丈夫だよ」
別れの日、少女はアバンリッシュの服を両手で掴み、迎えが来ても離れようとはしなかった。これからクレマチス家へ戻るのだと何度説明されても、首を横に振って彼の傍から動こうとせず、服を握る指にはますます力が籠もっていく。
「……いや」
言葉を覚えてからというもの、少女がこれほどはっきりと何かを拒んだのは初めてだった。以前暮らしていた場所へ戻ることよりも、ようやく見つけた居場所と、何よりアバンリッシュから離れなければならないことの方が少女には耐え難かったのである。
「帰らない」
「でも、ずっとここにいることはできないんだ」
「いや。アバンといる」
必死に訴える少女を前に、アバンリッシュは困ったように眉を下げた。それでも彼女をこのままナイーゼ家へ置いておくことはできず、安心させるように少女の手へ自分の手を重ねた。
「大丈夫。もう前みたいなことにはならないよ。お父さんともちゃんと話したから」
少女は服を掴んだまま、じっとアバンリッシュを見つめていた。
本当は帰りたくないし、彼とも離れたくない。それでも、何も知らなかった自分に言葉を教え、ずっと優しくしてくれたアバンリッシュが大丈夫だと言うのなら、きっとそうなのだろうと思えた。少女にとって彼の言葉は、いつの間にか疑うことすら思いつかないほど確かなものになっていたのだ。
「……また、会える?」
「もちろん」
迷いなく返ってきた言葉に、少女はようやく服を掴んでいた手を緩めた。それでも完全に離れることにはまだ不安があるのか、確かめるようにもう一度アバンリッシュを見上げる。
「約束?」
「約束だよ」
差し出された手を、少女は自分の両手で包むように握った。
アバンリッシュにとって、少女をクレマチス家へ帰すという判断に悪意などなかった。ガルフには二度と以前のような扱いをしないと約束させており、身元の確かな伯爵令嬢として家族のもとで暮らす方が、彼女にとって幸せなのだと本気で考えていたからだ。
そして少女も、そんな彼の言葉を少しも疑ってはいなかった。家に戻っても永遠の別れにはならないし、これからは地下室に閉じ込められることもなく、伯爵令嬢として暮らしながら何度でもアバンリッシュに会えるのだと信じていたからこそ、最後には迎えに来た者についていくことができたのだった。
やがて少女を乗せた馬車が動き出すと、窓の向こうに立つアバンリッシュの姿も少しずつ遠ざかっていった。少女は座席から身を乗り出すようにしていつまでも彼を見つめ、その姿が完全に見えなくなってからも、すぐには窓から目を離そうとしなかった。
もう会えないわけではない。それは分かっている筈なのに、胸の奥にはどうしようもない苦しさが広がっていた。けれど、今の少女はその感情の名前を知っている。
寂しい――そう呼ぶのだと教えてくれたのも、やはりアバンリッシュだった。
クレマチス伯爵家へと戻された少女にはラミアという名前が付けられた。
それまで名前すら必要ないものとして扱われていた彼女は、初めて伯爵家の娘として本邸に部屋を与えられ、身の回りの世話をするメイドまで付けられることになった。
地下室とは何もかもが違っていた。大きな窓からは朝になれば陽の光が差し込み、寝台には清潔な寝具が用意され、食事も決まった時間になるときちんと皿に盛り付けられた状態で運ばれてくる。
父も兄も、以前のようにラミアへ手を上げようとはしなかった。公爵家――もといアバンリッシュを恐れているのだということくらい、言葉を覚えた今のラミアにも分かっていた。
けれど、どれほど待遇が変わっても彼女が喜ぶことはなかった。ナイーゼ家にいた頃と同じような寝台があっても、そこにアバンリッシュはいない。食事を運んでもらっても、一日の出来事を聞きながら笑ってくれる彼が訪ねてくることはなかった。
廊下から足音が聞こえるたびに顔を上げ、扉が開けば反射的にそちらを見ては胸の奥に小さな痛みが積み重なっていった。
「アバン……」
誰もいなくなった部屋で、何度その名を呼んだかも分からない。
また会えると約束してくれたのだから、最初のうちはその日が来るのを待っていた。明日かもしれないし、もう少し先かもしれない。それでもアバンリッシュはきっと約束を守ってくれる、だから何時か必ず会えるのだと信じていた。
そんな日々を過ごす内に、ラミアは自分から勉強するようになった。理由は単純で、アバンリッシュが教えてくれたものをもっと知りたかったからだ。
文字を覚えれば本が読めるようになり、知識が増えるにつれて、それまで知らなかった世界も少しずつ広がっていった。何より、いつか再会した時に成長した自分を見てもらいたいという思いがラミアを勉強へと向かわせていたのである。
アバンリッシュに褒めてもらいたい。その一心で貪欲に知識を吸収していった結果、ラミアはやがて自分自身についても理解するようになった。
親が子供を地下室へと閉じ込めることは普通ではなく、食事を床に撒いて食べさせることも熱湯を浴びせることも、殴って笑うことも、家族ならば当然するものではなかったということに。
おまけにラミアは長い間病を患っていた為に人目につかない場所で療養していたことになっているらしく、そんな話を初めて耳にした時、彼女の頭の中で一つずつ過去が繋がっていったのだ。
父も兄も、自身が何をしていたか理解していた。そして、それが決して人に知られてはならないことだと分かっていたからこそ、ラミアの存在そのものを隠していた。
もし地下室で死んだとしても病で亡くなったことにすればいい。父は初めからその程度にしか考えていなかったのだろう。
その事実に気付いた時、ラミアは生まれて初めて誰かを憎いと思った。
以前はただ怖かった。苦しかった。それでもその感情に名前をつけることも、声を上げて助けを求めることもできず、唯一の楽しみだった食事の時間が来るのを待ち続けることしかできなかった。
けれど、今はもう違う。
父と兄が突然自分を娘や妹として扱うようになった理由も分かっていた。二人が過去を悔いて心を入れ替えたわけではなく、アバンリッシュから虐待の事実を公にすると告げられ、それを恐れて態度を変えただけなのに過ぎない。そう考えればこの部屋も、毎日用意される食事も、自分を伯爵令嬢として扱う使用人たちも、元を辿れば全てアバンリッシュが守ってくれたからこそ手に入ったものなのだ。
ならば憎しみに任せて反抗して、彼が折角作ってくれた今の生活を台無しにすることだけはしたくなかった。
だからラミアは何も知らないふりをして、二人の前では従順な娘を演じることにしたのだ。
その裏では、いつか父や兄へ復讐するために誰にも知られないよう勉強を続けていた。そして何より、再びアバンリッシュと会った時、彼の隣に立っても恥ずかしくない人間になるために。
そうして数年が過ぎる頃には、ラミアの学力は兄をとうに上回っていたが、そのことを本人に伝えるつもりはなかった。兄には自分の方が優れていると思わせておけば良いし、わざわざ実力を見せて警戒させる必要もない。
普段の試験でも点数を調整し、決して目立たないようにしていた。
ところが、ある日の抜き打ち試験で計算が狂った。
ラミアはいつも通り、兄より少し下になる程度を狙って問題を解いたつもりだった。しかし返却された答案を見比べてみると、ライルの点数は予想していたものより遥かに低く、それどころか今回の試験範囲は、彼がつい最近まで家庭教師から教わっていた内容だったはずである。
まさか、ここまで出来ないとは思っていなかった。
その日を境に、ライルの態度は目に見えて変わった。自分より下だと思っていた妹に負けたことが余程気に入らなかったのか、顔を合わせるたびに嫌味を口にするようになり、使用人のいない場所では、地下室にいた頃と同じ目を向けてくるようになった。
兄の様子を見ているうちに、ラミアは一つのことに気付いた。ライルは昔から何一つ変わっておらず、アバンリッシュとの約束があるから手を出さずにいるだけで、地下室で自分を痛めつけていた頃の本性が今も尚残っている。
それなら、その本性を自分以外の人間にも見せてしまえばいいのだ―そう考えたラミアは数日後、廊下ですれ違ったライルへ自ら近付いた。周囲に人がいないことを確かめてから先日の試験について触れ、彼にだけ聞こえる声でわざと癇に障るような言葉を選ぶ。
大した挑発ではなかったが、もともと苛立ちを募らせていたライルには、それだけで十分だったのだ。
「調子に乗るなよ」
振り返った兄の顔を見た瞬間、ラミアは成功したと悟った。
次の瞬間には拳が腹部へ叩き込まれ、その勢いで身体が大きく傾いて背中から壁へとぶつかった。久しく感じていなかった強い痛みに息が詰まり、腹を押さえながらその場に蹲ったものの逃げようとはしなかった。
痛みに耐えながら顔を上げれば、そこにいたのは地下室で自分を痛めつけていた頃と何一つ変わらない兄の姿が見えた。蹲る妹を見下ろし、その苦しむ姿を愉しむように口元を歪めているのを見れば、それ以上確かめるまでもない。
―――やはり、この男は何も変わっていない。
「何をしているのですか!?」
その時、甲高い声が廊下に響き、ライルが弾かれたように振り返った。少し離れた場所には仕事の途中だったらしいメイドが立っており、床に蹲るラミアと、その前で拳を握ったまま立つライルを交互に見た彼女の顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。
誰が見ても、何が起きたのかは明らかだった。
「ラ、ライル様……?」
「違う。これは――」
兄もそこで初めて見られていたことに気付いたらしい。言い訳をしながら近付こうとしたライルに、メイドは怯えたように一歩後ずさった。その反応が彼の苛立ちをさらに煽り、今度はメイドへと向かって声を荒らげる。
「何だ、その目は。俺が何をしたっていうんだ!」
メイドの悲鳴にも似た声が屋敷中へ響き渡り、何事かと騒ぎを聞き付けた使用人たちが次々と集まってきた。そこでようやく、ライルも自分がどのような状況に置かれているのか気付いたのだろう。
床には殴られたラミアが腹部を押さえて蹲り、その傍では一部始終を目撃したメイドが怯えている。さらに周囲には騒ぎを聞き付けた使用人たちまで集まっており、今さら何を言ったところで、妹に暴力を振るった事実を誤魔化せる状況ではなかった。
ライルは何かを言い掛けたものの結局は言葉にすることなく、集まった使用人たちを押し退けるようにしてその場から立ち去っていった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ライルが去ると、メイドたちはすぐにラミアのもとへ駆け寄った。ラミアは未だ残る痛みに腹部を押さえながら差し出された手を取り、支えられるようにしてゆっくりと身体を起こす。
「大丈夫……」
弱々しく答えたラミアは、そのまま俯いて顔を伏せた。誰にも見えないよう、僅かに上がった自分の口元を隠すために。
◆
それを境に、クレマチス家の中でライルを見る目は明らかに変わった。
以前から気性の荒いところはあったものの、使用人たちの多くは次期当主として育てられている彼を表立って疑うことなどなかった。
しかし一度疑念を持てば、それまで見過ごされていたものまで目につくようになる。
何よりライル自身が、周囲から向けられる視線に耐えられなかった。自らを避ける使用人に腹を立て、少しでも陰で話していれば自分の悪口を言っているのだと決め付けるようになり、次第に暴言だけでは済まず気に入らない相手に手を上げることまで増えていった。
ガルフもまた、息子を止めることはしなかった。ラミアへ手を出すことだけは厳しく禁じたものの、それ以外については多少叱責する程度で済ませてしまい、その態度が使用人たちの不信を更に強めていった。どうして自分たちがこんな目に遭わなければいけないのか。そもそも長年病気で隔離されていたという彼女は、本当に病気だったのか。
一つ疑問が生まれれば、それに引きずられるように別の疑問まで現れる。やがて屋敷の中だけでなく社交界にまで話が漏れ始め、クレマチス家についての様々な憶測が飛び交うようになった。
ラミアは、少なくとも表向きには何もしなかった。自ら虐待の事実を告発することも父や兄を責めることもせず、同情を向けられれば困ったように笑い、何を聞かれても曖昧に答えるだけだった。
その方が都合がよかったのだ。自ら訴えれば、単なる家族同士の争いとして見られる可能性もある。けれど、周囲が勝手に疑い、勝手に調べ、不信を深めてくれるのであれば、わざわざ自分が前へ出る必要はない。
父と兄の評判が落ちていく様子を眺めながら、ラミアは少しずつ、人を動かすためには自分自身が手を下さなくてもいいのだと学んでいった。
ほんの僅かな切っ掛けを与えるだけで、人は勝手に動くことがある。その事実を知った経験は後のラミアにとって大きな意味を持つことになるのだが、この時の彼女は父と兄の評判を落とした程度では到底満足できなかった。
そんな折、ラミアは屋敷で働く一人のメイドについてのある話を耳にした。
彼女には同じ屋敷で働いていた妹がいたのだが、その妹はライルに目を付けられ、身分の差から拒むことさえできないまま関係を強要された末に子を身籠り、やがて自ら命を絶ったという。それほどのことがありながら姉はクレマチス家を辞めず、家族を養うために仕方なく働き続けているのだと周囲には思われていた。
けれどラミアが実際に彼女の様子を窺ってみると、それだけではないことにすぐ気付いた。ライルを見掛けた時に向ける視線も、ガルフの名が出た時に僅かに変わる表情も、かつて自分が二人へ向けていたものとよく似ていたからだ。
妹を死に追いやったライルはもちろん、それを知りながら何もしなかったガルフのことも、この女は憎んでいる。
そう確信しても、ラミアはすぐに復讐を持ち掛けるようなことはしなかった。まずは何気ない会話から始め、時には相手の話を聞き、自分も父と兄を恐れているのだと打ち明けながら時間を掛けて少しずつメイドとの距離を縮めていった。
やがて警戒心が薄れ、メイドの方から亡くなった妹について話すようになった頃、ラミアはようやく本題へ踏み込んだ。
「許せないのでしょう?」
メイドは答えなかったものの、その表情を見れば返事を聞くまでもなかった。ラミアは僅かに声を落とし、そんな彼女へと語り掛ける。
「私も同じよ。だから……終わらせましょう」
ラミアが考えたのは、食事中に出される飲み物へ毒を混ぜることだった。実際に手を下すのはメイドだが、疑いが自分へ向かないようラミアは自身の飲み物にも同じ毒を入れるよう指示した。
もちろん本当に死ぬつもりなどない。口にするのは命を落とさない程度に留め、自分も事件に巻き込まれた被害者となるつもりだった。
父と兄を憎んでいたメイドが積年の恨みから二人を殺害した。その場に同席していたラミアも毒を口にしてしまった――そういう事件になれば、彼女が裏で糸を引いていたと疑われる可能性は低い。何より、実際に毒を用意して二人の飲み物へ混ぜるのはメイドなのだから、調べられたところで真っ先に疑われるのも彼女だろう。
そうして迎えた当日、食卓にはいつも通りガルフとライル、そしてラミアの三人が揃っていた。使用人たちから向けられる視線を嫌うようになった父と兄は、食事の時間だけは配膳を終えた者を部屋から追い出していて、その習慣も今のラミアには都合がよかった。
何も知らない二人が普段と変わらず食事を続ける中、やがてガルフとライルがそれぞれ飲み物へ口を付けた。ラミアはその様子を横目で確かめても表情を変えず、何食わぬ顔で食事を続けながら静かに時を待つ。
最初に異変が現れたのはライルだった。手元から滑り落ちた食器が床へぶつかって甲高い音を響かせたかと思えば、椅子から立ち上がろうとした身体が大きく傾く。
「な……んだ……?」
何が起きたのか理解できないまま床へ倒れ込んだライルを見て、ガルフも慌てて立ち上がろうとした。しかし、すぐに同じように身体から力が抜け、その場へと崩れ落ちる。
「ライル……?」
二人が床に伏しても、ラミアは助けを呼ぼうとはせず、椅子に座ったまま苦しむ父と兄を静かに見下ろしていた。
かつて自分が地下室の床を這い、空腹や痛みに苦しんでいた時、この二人が手を差し伸べてくれたことなど一度もない。今度は自分が椅子に座り、二人が床を這っているというだけでラミアにとってはそれ以上でもそれ以下でもなかった。
やがてライルが震える腕を持ち上げ、助けを求めるようにラミアへと手を伸ばした。それでも彼女は動かず、力を失った兄の腕が床へ落ちるところまで見届けてから、ようやく自分の前に置かれていた飲み物へと手を伸ばす。
口に含んだのは、ほんの僅かな量だけだった。
暫くすると毒の影響で身体が熱を持ち、鼓動が激しくなるにつれて視界まで揺れ始めた。十分に症状が現れたところでラミアは椅子から降りると、思うように動かなくなった身体を引きずって扉まで辿り着き、残っている力を振り絞って何度も扉を叩いた。
その音を聞きつけた使用人たちが駆け込んできた時には、既にガルフとライルを助けられる状態ではなかった。三人とも同じ食卓を囲み、同じように毒を口にしたとしか思えない状況の中で、辛うじて一命を取り留めたのはラミアだけだった。
◆
事件の捜査は、さほど長引かなかった。
食事を用意したメイドが真っ先に疑われ、彼女がライルを強く恨んでいたこともすぐに明らかになった。使用された毒も特別なものではなく、入手そのものは難しくなかったことから、事件は妹を死へ追いやったライルと、それを黙認したガルフへの復讐として扱われることになった。
ラミアに疑いが向けられることはなかった。彼女自身も毒を口にして一時は危険な状態に陥っていて、父と兄を同時に失った被害者として扱われていた為に事件への関与を疑う者などいなかったのである。
やがて捜査が終わり、犯人として捕らえられた元メイドの処刑が決まると、その前に被害者であるラミアとの面会が許された。
「私の家族は……?」
随分とやつれた元メイドが最初に尋ねたのは、自分の処遇についてではなかった。間もなく自分が処刑されることは既に理解しているのだろう。それでも最後まで気掛かりだったのか、縋るような目をラミアへ向けている。
「罪には問われないわ」
ラミアがそう告げると、張り詰めていた女の表情が目に見えて緩んだ。
「よかった……」
小さく零れた声には、心の底から安堵していることが滲んでいた。自分は間もなく死ぬというのに、残される家族が無事だと分かっただけで満足したらしい。
そんな女を前にしても、ラミアの表情はほとんど変わらなかった。
「お嬢様」
「何?」
「ありがとうございました」
予想していなかった言葉に、ラミアは僅かに目を細める。
「どうして私に礼を言うの?」
「あのままだったら……私はきっと、何もできないまま一生あの人たちを恨んでいましたから」
元メイドはそう言って、もう一度笑った。自分を復讐へ導いたラミアに感謝し、その結果として処刑されることにさえ後悔していないようだった。
けれど、ラミアにはその感謝に返す言葉などなかった。
元メイドの家族が罪に問われなかったのは事実だが、そのためにラミアが何かをしたわけではない。家族には手を出さないと約束したものの、彼女たちを守るために手を回したこともなければ、自分の身を危険に晒してまで約束を果たすつもりもなかった。ただ捜査の結果、事件とは無関係だと判断され、罪に問われなかった。それだけの話だ。
「そう」
返したのは、たった一言だった。
ラミアにとって必要だったのは、父と兄を確実に葬りながらラミアには疑いが向かない状況を作ること。そのために元メイドの憎しみを利用し、彼女自身の手で毒を盛らせた。望んでいた結果は既に得られている以上、間もなく処刑される女に対してそれ以上伝えることは何もなかった。
面会を終えたラミアは席を立つと、元メイドを残してそのまま部屋を後にした。
ほどなくして元メイドの刑は執行され、これで父も兄も、二度とラミアを傷付けることはできなくなった。
クレマチス伯爵家には彼女以外に家を継げる者も残されておらず、幼い頃には名前さえ与えられないまま、地下室の鉄格子の中で死ぬことを待つだけだった少女が皮肉にも家に残された唯一の人間となったのである。
けれど、ラミアにとってクレマチス家を手に入れたことなど、それほど重要ではなかった。父と兄がいなくなったことで、ようやく誰にも邪魔されずに自分の人生を歩めるようになり、これからはずっと待ち望んでいたものへと向かって進むことができる。そのことの方が、彼女にとっては遥かに大切だったのだ。
いつか再びアバンリッシュに会えた時、地下室から助け出された何も知らない少女のままではなく、彼の隣に立っても恥ずかしくない人間になっていたい。そのためなら、これから先もいくらでも学び、彼に相応しい人間に近付いていけると、ラミアは心から信じていた。
幼い日に交わした「また会える」という約束は、長い年月を経てもなお、彼女の中で一度として色褪せてはいなかったのだ。




