第6話_隣の席に、質問を一つ
新しい担当を始めて二週間目、帆乃香は初めて、顧客への説明を任された。
相手は古くから保守を担当している工務店だった。社員が社内用のAIで告知ページを作るようになり、その更新手順を会社に相談してきた。窓口は総務の女性で、帆乃香も何度かメールを交わしている。
佐伯が同席する。説明は十分程度。必要な項目はメモにしてよい。
条件を一つずつ確認しても、当日の朝には胃が重くなった。
説明する順番を整えるため、社内で許可されているAIへ、自分の箇条書きを入力した。顧客の実名や内部情報は入れず、一般化した手順だけにした。それはすぐに、きれいな見出しと文章へ変わった。
帆乃香は読み、自分の言い方へ直そうとして、手を止めた。
自分が書いたものより、ずっと滑らかだった。
そこまで置き換わるのかと思った。慣れない役割へ足を移したら、その足元にも、もう道具がいた。
けれど時間は待ってくれなかった。帆乃香は資料を整え、打ち合わせへ入った。
説明を始めると、相手は真面目にうなずいた。帆乃香はほっとして、用意した文章に沿って話した。更新前に確認し、公開の承認を得て、結果を記録する。言葉はすらすら出た。
最後に、総務の女性が困った顔をした。
「それは分かるんですが、うち、更新するのも確認するのも、今、私なんです」
帆乃香は資料の次のページを開きかけた。
「確認者を決めていただくのが……」
「社長は現場に出ると、半日、連絡がつかないんです。明日の見学会にまだ空きがあるっていうお知らせも、戻るまで出せないということですか」
帆乃香の口が止まった。
一般的には正しい手順だった。しかし、誰が、いつ、何を確認できるかを聞いていなかった。
佐伯が横から入った。
「全部を同じ扱いにすると、止まりますね。料金や契約条件を変える更新と、日程の空き状況のお知らせを、分けて考えましょう」
話はそのあと、具体的な作業へ戻っていった。帆乃香は何度か補足したが、自分の声が遠く聞こえた。
打ち合わせが終わると、佐伯は資料の一枚目を指した。
「説明は聞き取れた。次は、先に運用を聞こう。この確認手順は、どこから持ってきた?」
帆乃香はAIを使ったことを答えた。佐伯はうなずいた。
「文章の整理には使っていい。でも、この会社でできる手順かどうかは、まだ確認してなかったね」
「はい」
「明日、今日の話を入れて作り直して、社内で見よう」
叱責は長くなかった。直す場所も分かった。なのに、席へ戻ると、帆乃香は何も開けなくなった。
作る仕事を失い、聞く仕事でも失敗した。
杏奈が飲み物を買いに行くついでに声をかけてくれたが、帆乃香は、大丈夫、と答えた。大丈夫かどうかは聞かれていなかった。ただ、何かいるか、と言われただけだった。
◇
その夜、律との通話で、帆乃香は自分から打ち合わせの話をした。
彼は最後まで聞き、何を聞き直すのかを尋ねた。帆乃香はメモを見て、更新内容の種類、確認できる人、その人がいない場合、と答えた。
「明日、それを佐伯さんと整理するなら、今日は終わりにしますか」
律の声は電話越しでも穏やかだった。
帆乃香は、まだやらなければ、と思った。失敗した日に休むなんて、何も学ばない人のすることではないか。そう考えていたら、律が別の話をした。
「俺、今日、先方の担当者の名前を間違えました」
「え?」
「似てたんです。別の会社の人と。訂正して謝って、メールも見直しました」
帆乃香は、まさか律が、と思った。いつも顧客の名前を丁寧に呼んでいる人だった。
「落ち込みませんでした?」
「落ち込みました。今も。でも、今、相良さんと話してます」
励ますためだけに持ち出したようには聞こえなかった。彼はそれから、明日の夕食に何を作るか迷っている、と話した。買った長葱を使いたいらしい。
帆乃香も冷蔵庫を開け、卵が二つある、と答えた。
仕事の失敗は残ったまま、夕食の話ができた。通話を終えてから、そのことを少し不思議に思った。
◇
翌日、修正した資料を社内で確認していると、杏奈がひとつ質問した。
「確認できないとき、更新しない以外の選択はないんですか」
帆乃香は昨日の場面を思い出し、更新内容によって分けることを説明した。杏奈はうなずいたあと、利用者へ影響が小さいものは、確認済みの見本を作れないか、と尋ねた。
帆乃香はペンを動かした。そうすれば、毎回同じところから確認する必要はない。だが、見本と違う変更が混ざる可能性もある。どこまで変えてよいかを、示さなければならない。
話が進み、昨日より短い資料ができた。
杏奈は椅子を引き、次の会議へ行こうとした。その背中へ帆乃香が声をかけた。
「三浦さん、前に勉強会、誘ってくれたでしょ。次、見学してもいい?」
杏奈は振り向き、もちろん、と答えた。喜びすぎないようにしたのか、すぐに日程の話へ移った。
「来週の木曜です。資料、先に送りますね。私も、まだ佐伯さんに直してもらってるので、気になるところあったら教えてください」
帆乃香はありがとう、と言った。
追いついたわけではない。ただ、隣の席にいる人へ、ようやく質問を一つできた。




