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スミレサイド~悪役令嬢と対峙する

 気付くと、私は昔の自分に戻っていた。

 なぜそんなことがあるのか、よくわからなかった。

 過去に戻ると私は「スミレ」と呼ばれていた。そんな名前だったような気もするし、そうでないかもしれない。ただ、昔に呼ばれていた名前は思い出せなかった。


 私の記憶を、死ぬ瞬間までは覚えているのに、それからはずっと、生ぬるい水に浸かって居眠りをしていた気がする。そしてぼんやりとしたまま、長い月日を過ごした。過去に戻ったのだと理解したのはつい最近だ。


 死ぬ時。

 王宮のアラン様の部屋で。

 私は残酷にも、兵士から斬られるアラン様を見ていた。

 またアラン様は死んでしまうのかと、とても悲しかった。大魔王を倒した後も、私と共に生きてくれると言っていたのに。


 アラン様の部屋に押し掛けてきた兵士達を私は見たことがあった。アラン様の母、現皇后陛下の側近だったはず。私はそれに気づいた時に、自分の死を覚悟した。権力争いに巻き込まれたのだと悟った。


 アラン様は独善的だった。

 私に対しても、私を手に入れるのは自分だと思い込んでいたし、婚約者であるリーネ様に対しても、特に話をしてもいないのに、悪だと決めつけて嫌悪していた。

 確かに、リーネ様は実際に残虐な行為を行っていたし、私に対しても何度死んでもおかしくないことを当たり前のように行ってきた。

 普通の人ならば、嫌悪しても仕方がないと思う。


 でも、アラン様は、リーネ様の婚約者だった。会ったことはなかったというけれど、リーネ様はアラン様を愛していて、その想いを受け止めて欲しかったのだろうということは私も気づいていた。


 それでも、私はアラン様に惹かれてしまっていたし、私がアラン様にリーネ様のことを口出ししようとすると、アラン様から「君には関係のないことだ」と言われた。

 そう言われる度に、寂しい気持ちにもなっていた。

 私は『関係のない』人なのだと思って。


 ジル様は、とても優しかった。

 ジル様といると、とても暖かい気持ちになった。

 貧しくてどこにも行ったことがなかった私を、毎夜、色んなところに連れていってくれて、色んな話を聞かせてくれた。

 アラン様と違って全く強引なところがなくて、少しだけ物足りなさもあったけれど、そういう純粋なお人柄だと思うと、私も優しい気持ちになれた。愛しいとも思った。いえ、とても愛しくて仕方がなかった。


 大魔王と戦おうと決意した時に、アラン様よりも先にジル様に相談したのは、そういうことだったのだと思う。でもジル様の私への返事は「否定」だった。大魔王とは戦ってはいけないと。

 

 大魔王は世界を滅ぼそうとしている。聖魔法でしか倒せないという大魔王と戦えるのは私しかいないと理解した。それを否定するということは、『未来』を捨てたことと同じだ。

 世界の未来よりも、私の命を優先する人。


 ーーーダメだと思った。

 きっとこの人は、私のために全てを捨てる人なのだと。私が傍にいてはダメになってしまう人なのだと。そう思った。


 そしてアラン様に相談したら、アラン様は私を抱きしめて言った。「一緒に戦おう」と。

「絶対に君を死なせない。ずっと俺が君の傍にいる」と言ってくれた。

 私はジル様を好きだと思っていたのに、その瞬間、ストンと本気の恋に落ちた。私はアラン様となら後ろではなく前を向いて生きていけるのではないかと思ってしまった。

 だから。

 私はーーーアラン様を選んだ。

 ジル様が悲しむことには見ないふりをした。

 

 そして、あの日。

 王宮で兵士がアラン様の部屋で私達を襲った時に、私はアラン様の斬られる姿を見た。その時には、もう私は斬られていた。

 首を斬られ、これではすぐに命を失うだろうと思った時に、私達を守るために傍にいる『近衛騎士』になったジル様と目が合った。

 

 ジル様は、私が血を流す姿を視界に入れて、驚いて私に駆け寄ってくれた。泣きそうな顔で、私の方に。


 泣かないで。


 そう思った。


 私は幸せだった。

 ジル様に好きになってもらって、色んなところに連れていってもらって。私もジル様を好きになって、幸せな気持ちになれた。

 同時に、私はアラン様のことを愛してしまった。私はとても嫌な女で、ジル様がどんな気持ちで私達を見ているかを考えないようにしていた。

 だからーーー私はこんな殺され方をしても仕方ないと思う。


 ジル様。

 そんな私のために、涙など、流さないで下さい。

 私は幸せだったのですから。

 元々、私はあの日。世界の中心で、アラン様に『魂を蘇らせる魔法』を使った時に、私は死ぬはずだったのですから。

 

 自分を大切になさってください。

 できることなら、こんな私よりももっと、ジル様を好きになってくれる人と幸せになって下さい。心から、ジル様を大切に想ってくれる人と。


 ーーーそうジル様に祈るように、私は自分の生命が薄れ行くのを感じながら目を閉じた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 そして私は目を覚ました。

 私は「スミレ」という名前の、元の自分の過去に戻っていた。

 過去なのに記憶があるのは不思議だけど、もしかしたら私が大聖女だったことが関係しているかもしれない。


 聖女は聖魔法の達人だ。聖魔法を使える人は聖女でなくてもいるが、聖魔法の限界を超えることができるのは聖女しかいない。 

 聖魔法は、『治癒』だけではなく『未来』も司る。未来を予知する予言者は、聖魔法を使って未来を見ている。『治癒』は、回復するスピードを増強して傷を治すことでもある。時間を進めるのだ。

 切断された腕が戻るのはまた違う技が必要になるが、聖魔法は基本的には『未来』の力と言っても過言ではない。


 そんな聖魔法の達人である聖女の上の存在『大聖女』だから、もしかしたら過去に飛ばされても、未来のままで心を保つことができたのかもしれない。


 そんなことを考えながら、私は「スミレ」とともに過去に戻り、自分の姿を眺めていた。


 学園の入学式。

 スミレは私の行動を知っているかのように、私と同じ行動を取った。学園を彷徨い、色んな人に会った。若かりしアラン様を見た時には、アラン様がまだ可愛くて幼くて、笑いそうになった。たった2年であんなに成長されたのだと思うと感慨深い。

 ーーージル様にはお会いできなかった。

 他の人とは以前と同じように会えたのに、ジル様だけ会えなかったのが不思議だった。

 また、あの鮮やかな金色の髪をくるんと巻いて、私にはにかみながら笑いかけてくれるものと思っていたから。


 そして驚いたのは、リーネ様のことだった。

 あんなに人を見下していたリーネ様が、まるて違う人になっていた。

 よく笑い、よく怒り、あちこちの人を巻き込みながら、とても楽しそうに過ごしている。

 そしてーーーアラン様が。

 あの独善的でやや高圧的なアラン様が、そんなリーネ様を優しく見つめていた。とても愛しそうに。


 信じられなかった。

 私といた時でも、あんな顔をされたことはないのに。あんなーーー子供のような純粋な顔をして。


 私といたアラン様は、とても大人びていた。話す言葉も洗練されていて、常に私の行動を読み、それに合わせて私の上に立とうとされていた。

 私が周りに流されないように常に見張って、先に先へと動いていた。束縛とも言えるほどに。


 それだと言うのにーーーー。


 突飛な行動をとるリーネ様に振り回されて、困り果てながらそれでも楽しそうに笑うアラン様は、とても幸せそうだった。

 

 同じ人物のはずなのに、過去に戻って関わる人が違うだけで、こうも変わるものなのかと。


 私は悔しさ半分、悲しさ半分。そんな気持ちで二人をずっと見ていた。「スミレ」も同じ気持ちだったようだ。


 「スミレ」が変わったのは、薔薇を持ったあの人に会ってからだった。私は彼が誰なのか、すぐにわかった。ジル様だ。


 ジル様にはなぜか学園では私と関わろうとされず、むしろ避けられていた。

 過去に戻ったのだから、ジル様は、私が大魔王と戦うために選んだ相手が誰だったかを知らないはずなのに、私がアラン様を選んだからお怒りなのかと思ってしまうほどーーー。ジル様は私と目を合わされなかった。


 なので正体を隠してでも、私の傍に近寄ってくれたことは嬉しかった。例えそれが「スミレ」に会いに来たのだとしても。


 あの時のように、私の髪と同じ、ピンクの薔薇を持って毎日来てくれるようになった。

 やはりジル様は優しい人だった。

 スミレもどんどんジル様を好きになっていって、それは当たり前のことだと思った。ジル様に恋をしない女なんて、この世に存在するはずがなかった。こんなに素敵な男性、他にはいないとーーー。

 そう思った。


 教会の教皇が、何を思ったのか私に触ってきた時、今まで黙ってきたのに、つい「やめて」と叫んでしまった。驚き悩むスミレに、申し訳ないと心から謝りたかった。

 でも、ジル様が嬉しそうな顔をするから。


 スミレが私の声がでたことをジル様に相談した時、ジル様があまりに嬉しそうな顔をするから。

 ーーー私は何も言えなくなってしまった。


 過去に戻る前の、アラン様に冷たくされて淋しそうなリーネ様の顔が彷彿とされてしまって。

 ーーースミレに同じ想いをさせたくなかった。


 私は未来の人。

 そして過去の人だ。

 今を生きるスミレには、幸せになってもらいたいと、本当に心から思っていた。その相手が例え、私の愛するジル様だとしても。

 あの時。私のことで嬉しそうな顔をしたジル様のことを、泣きそうなくらい愛しいと思ってしまったとしてもーーー。


 そんな日々を送っていた時のこと。


 ジル様から大魔王が現れたと聞いた。今は私がまだ、学園2年生の春の頃だ。未来では、大魔王は2年の冬に現れるはずだったのに。


 スミレは、逃げ癖のある女の子だった。

 勉強は頑張るくせに、身体を使うことは苦手のようで、修行はしない。

 学園で色んな友達を作ったり恋愛したいと思っているのに、友達ができなさそうと思うと話しかけることを止めた。


 スミレは不器用な女の子だった。なぜ要領良く生きられないのかわからないけれど、そういうところも、以前のリーネ様によく似てると思った。

 ーーーあんなに堂々と人を虐めるようなことは、スミレはしないけれど。


 そういう逃げ癖のあるスミレは、ジル様から「安全のために学園に戻る」ように言われた時、学園には戻りたくないという選択をした。孤独が嫌なのだと。


 困ったジル様は、私を死なせたくないがゆえに、スミレと共に国外に逃げることを提案してきた。

 ジル様は相変わらず、自分を犠牲にしても私を優先しようとする。ジル様は公爵子息。容姿にも文武にも家柄にも、全てに恵まれて生まれてきたというのに、それを私のためだけに捨てようとされる。

 

 ーーー私は仕方なく。

 スミレに少しの間だけ、眠ってもらうことにした。


 学園で私を避けていたジル様への仕返しも兼ねて、私はジル様には、私がこの身体に戻ったことは気付かれないように振る舞った。

 私が大魔王と戦ういう選択したことで、ジル様はだいぶ落ち込んでしまったけれど。


 あの時。レジスタンスの人達のいる王宮に乗り込んだ時は、本物のスミレだった。

 リーネ様が同じ世界の出身と聞いて、心から喜んでいた。でも少しだけーーー実は私も混ざっていたのは、きっと『スミレ』も知らない。


 そして大魔王との決戦の場。

 ツノセゴ平野。


 私はジル様の転移魔法で、一瞬にしてそこまでたどり着いた。

 そこにはアラン様がいた。

 スミレの入学式から一年経ったアラン様は、やはり少し大人びて見えた。あの少年のようなアラン様の姿は、きっと今のリーネ様の前でないと見れないものなのだろうと思う。


 私がアラン様と目があって、少し微笑んだだけで、アラン様は違和感を覚えられたようだ。 

 本当にアラン様は勘が鋭いお方だ。


 ジル様がリーネ様を探しに行ったことで、私はアラン様と二人きりになった。

 不自然な沈黙が流れる。

 そしておもむろに、アラン様は私に言った。

「スミレは、随分と素直になったものだな」

 その言葉が何を意図しているのかわからなかったけれど、アラン様がスミレではなく、「私」であることに気づいたのは確かだった。私はにこりと笑う。

「私もたまにはーーー素直になる時があるんですよ?」

 そう言うとアラン様は苦笑する。

「ーーーそうか」

と言ったアラン様の言葉には、私への慕情は感じられなかった。昔ーーー過去に戻る前。アラン様は、私に告白してくれた。ずっと前から。5歳の時から私の事が好きで、入学式の時にまた私に惚れ直したと。それからずっと想っているとーーー言ってくれたのに。

 

 アラン様には、もうリーネ様のことしか見えていないようだった。私はまだ、今でも髪にアラン様のくれた虹色の髪止めをつけているというのに。


「……たまになら、いいんだが」

 そういったアラン様は、『私』がいなくなればいいという風にも聞こえた。

 あんなにーーーあんなに愛していると私に言い続けたその口で。

「ーーーまぁ。そんなことを言うなんて、失礼な人ですね」

 

 このアラン様は知らない。スミレとの想い出は少なく、私と恋に落ちた記憶なんてないはず。なのに、アラン様は、全てを解っているかのように口の端をあげて笑った。

「なに。友人想いとでも言ってくれ」

 友人。それはきっとジル様のこと。

 アラン様が私から離れようとしているのが、すぐにわかった。

「今日はよろしく頼む」


 一緒に戦おう。俺がずっと傍にいて君を守るとはーーー言ってくれないのね。


 私は去っていくアラン様の背中を、ずっと見つめていた。ーーー私は過去の、今の未来を思い出しながら。


※※※※※※※※※※※※※※※※


 ツノセゴ平野には、空に届くような高さのダンジョンができあがっていた。

 私が大魔王と戦った時にはダンジョンなどなかったのに。

 改めて、私の時と時間軸が違うことを実感する。


 リーネさんがツノセゴ平野に現れると、そこにいた人達みんながワッと喜んだ。

 リーネ様は、あの頃よりずっとお綺麗になられていた。白銀の長い髪に青い宝石のような瞳。化粧もしていないのに血色が良くて形のよい唇。顔は小さく人形のよう。

 同じ顔なのに、どうしてあの頃、リーネ様がこんなにも綺麗であることに気がつかなかったのだろう。

 

 アラン様も、兄であるジル様も、ケリー先生もロジーも。そしてそれに付き添うノクト様でさえも、あのリーネ様を大切そうに囲んでいる。

 その人達だけではない。ここに集まった人達みんなが、リーネ様を愛している。


 それは不思議な光景だった。

 リーネ様をこんな風に皆が愛するなんて。

 私の知る世界では、あり得ないことだった。


 大魔王が作ったというダンジョンの中に入ると、そこは明らかに異世界だった。高く建ち並ぶ無機質な四角い建物。それよりはこじんまりとした、タイヤがついているので乗り物なのだろうが、やはり無機質な乗り物。

 私の知らない世界。

 魔法のない世界なのだそうだ。


 大魔王の声が聞こえた。地を這うような低い声。

 大魔王に姿を表すように促したリーネ様に、大魔王は「『リーネ』が来ていない」などとおかしなことを言った。


 途端、リーネは真っ青な顔で自分の耳を塞いだ。アラン様は何かを察してリーネ様を逃すまいとばかりに、リーネ様に手を伸ばし、リーネ様とアラン様の手が繋がる。見つめあった二人は、すごく純粋に想い合っているようだった。

 婚約者の二人。これが正しいのだろうけれど。


 ーーーその時の私は、どんな表情をしていたのか。


 そして、アラン様と手を繋いだまま、一瞬、気を失われたように見えたリーネ様は、目を開けられた時には、元の陰湿で悪質なリーネ様に戻られていた。


 手を繋いだアラン様を、にったりと笑って愛しそうに見つめている。アラン様は、あれほど愛していたようだったリーネ様を、不快な異質なものでも見るように眉を寄せていた。

 

 少しだけーーー。

 本当に少しだけ。

 私は嬉しく思ってしまった。

 これが本当の姿なのだと。

 リーネ様の著しく暗い性格も、醜いお姿も。

 そしてそれを邪険にするアラン様の姿も。


 本来はこうであるべき状態なのだ。

 なぜリーネ様が、こんなにも皆から愛され、私の伴侶となるはずだったアラン様と想い合うのか。

 不可解な状態が、本来あるべき姿に戻った。

 ーーーそれだけのこと。


 そう思っていた時ーーー。


 私は顔面に思い切り衝撃を食らった。

 リーネ様が私の顔に足蹴りしてきたのだ。地面に叩きつけるように。

 目の前に火花が飛んだかと思った。目玉が飛び出るほど痛かった。いやむしろ、本当に目玉が飛び出たかもしれない。

 私は地面に屈んで身体を丸めた。めちゃくちゃ痛かった。だいぶ潰れたであろう顔に自分で治癒魔法をかけて、その顔を治した。 

 ジル様がすぐに私に駆け寄る。

 アラン様がリーネ様に怒っても、リーネ様は全く反省する気配はない。

「わたくしやアラン殿下の前に、小汚ない平民が近寄ろうとは、身の程をわきまえなさい」

 ジル様は、あまりのリーネ様の変化に、驚きを隠せていなかった。 

「……リーネ。ーーーまさか、リーネなのか」

 くすりとリーネ様は笑う。

「ジルお兄様ったら何を当たり前のことを。わたくしはわたくしですわよ。それ以外に誰かおりまして?……まさか、お兄様ともあろうお方が、わたくしに入り込んだゴミ屑の魂を、わたくしと呼んでいるわけでは御座いませんわよね?」

 

 リーネ様も、やはり今までのリーネ様の中にいて、そのことを知っていた。

 表には出なくてもーーーリーネ様はもしかしたら私のようには意図的には表に出ることができなかったとしても、ぼんやりと理解していたのだろう。

 そうでなければ、いきなり外の世界に呼び出されて、こんなにも早く状況を理解できないはずだ。


「さぁ、おどき下さいませ、ジルお兄様。そんな平民の娘など、お兄様が庇うほどの価値などございません。むしろこの剣の錆になった方が、世のため人のためになりますわ。醜くジルお兄様に近付き、アラン殿下に色目を使う女など、死んでしまった方が良いのです」

「リーネっ!!!言葉を慎めっ!!」

 ジル様がリーネ様に怒鳴った。


 目を大きく見開き、リーネ様は身体も震わせる。

 そして、私に剣を振り回した。いつも優しいジル様に怒られたことがショックすぎて、怒りが私に向いた。

 慌てて私を庇ったジル様の腕の肉が半分ほど斬れた。ジルは腕を抱えて身体を屈める。

「……つぅっ!!」

「ジル様っ」

 私はジル様の腕に抱きつく。すぐに回復させなくては。その様子に、リーネ様は更に怒りを膨らませたようだ。

「平民の娘。貴女のせいでお兄様が傷ついたのですよ?もうジルお兄様に近付かないでくださいませ。お兄様が悪い菌に感染してしまうでしょう?ゴミはゴミ箱へお帰りなさい」

 斬ったのはリーネ様だ。なのに、私のせいになっている。こういう、何でも他人のせいにして自分の非を認めない人は、本当に厄介だ。

「リーネさん。どういうつもりですか?ジル様はあなたの実のお兄さんでしょう。こんなことーーー許せませんよ」

 私が負けじと睨み付けると、リーネ様は小さく笑った。

「許す?平民の貴女がわたくしを?ーーー貴女がわたくしを許すだ許さないだなど烏滸がましいと思わないのですか」

 そう言って振った剣は、私とジル様の両方の足の肉を斬った。その剣は深く、私とジル様の足をちぎれる程に切り込んできた。

 足には人間の血管の中でも太い血管がある。そこも切られ、激しく血が吹き出した。

「あぁぁっ!!」

「ーーーっ!!!」

 あまりの痛さに私は悲鳴をあげた。ジル様は声さえ出せていない。すぐに止血しないと死んでしまう。私は両手に魔力を込めて、片方ずつで私とジル様の足に手を当て、治癒魔法をかけた。あまりに大きな傷のため、未熟なスミレの魔力ではすぐには回復できそうにない。それでもジル様を死なせるわけにはいかなかった。

 ふと見あげると、リーネ様が私にとどめを刺そうと剣を振りあげていた。

 いけない。ここで斬られたらーーーー。

 私が身を強張らせた時、目の前で爆発が起きた。キィンと剣の弾く音が聞こえ、リーネ様もわずかに身体をぐらつかせた。

「……リーネさん。それはさすがに、冗談でも笑えませんよ?」

 ケリー先生だった。

 ケリー先生が助けてくれた。

 私はその、薄紫の長い髪の背の高い男性を見上げる。騎士団団長にして魔術師の塔の管理者。そして魔法学園の特別講師。

 私の知る大人の男の人の中で、一番優しくて頼りになる偉大な人。アラン様に他の男性に近づくことを止められていて、あまりお話ししたことはなかったけれど。


 リーネ様は、そんなケリー先生にさえ、その剣を向けて振り回した。紳士なケリー先生はリーネ様に攻撃魔法を使うことができないでいる。防御魔法を使ってはいるけれど、リーネ様の剣の破壊力の強さに、ケリー先生の防御魔法を越えてケリー先生に少しずつ傷をつけていた。その傷がどんどん深さを増していく。

 あり得ないと、ケリー先生を知る騎士団の人達がざわついていた。


 アラン様が、そんなリーネ様を止めた。

 リーネ様を止めるために腕を握ったアラン様を、手を握られたのだとリーネ様は嬉しそうに頬を染める。

 

『アラン様と二人きりになるために』


 リーネ様は、そんな理由でアラン様から離れ、周りの人達を殺し始めた。

 リーネ様は魔力が殆どない。それでも手を翳すと、黒い魔法が小さく出現した。

 その魔法はとんでもない威力で、ダンジョンの地面を壊し、あるいは弾けて近くの人達を溶かした。

 

 リーネ様は次は暗殺者であるロジーに止められた。片手で両腕を掴まれ、もう片方の腕で身体を固定されている。

 人間の身体という体の作りを完全に把握しているのだろう。ただ支えているだけなのに、あのリーネ様が逃げることさえできなくなっている。

 私はロジーが昔からずっと怖くて仕方がなかった。ロジーといる時は、表面上は笑顔を見せていても、常に死と隣り合わせの気がしていた。だというのに、この世界のリーネ様はそんなロジーと仲良くなっていた。ロジーもリーネ様には打ち解けていて、信じられない思いでいつもその様子を見ていた。あの、人を殺す事しか考えていない、心のない道具として生きているロジーが。

 そのロジーが、本来のリーネ様に言った。

「リーネは僕の太陽なんだ。リーネを返してくれないか」


 まさかあのロジーから、そんな言葉が出てくるなんて。

 リーネ様は、その凄さがわかっているのだろうか。あのロジーだ。あの触れたら殺されそうな、いや、触れなくても殺しそうなロジーが、そんな健気な言葉を吐くなんて。

 なのに、リーネ様はそんなロジーの言葉に何の感銘も受けず、突き放した。

「魔物よ。この無礼者を追い払いなさい」

 リーネ様が言うと、子犬程度まで大きくなったリーネ様の従魔であるマイリントアが、ロジーに光線を放った。触れれば即死するものだ。ロジーは瞬時に避けたが、ロジーの体術あってのもの。普通だったら完全に死んでいておかしくなかった。


 マイリントアに、アラン様とジル様以外の人間を殺してしまうように命令をしたリーネ様は、マイリントアの嬉々として暴走する姿を、楽しそうに眺めた。


 マイリントアは伝説級のモンスター。リーネ様の魔力が弱いために身体は小さくなっているが、それでも時間をかければ世界など征服できるレベルで強い。

 あっという間に、ダンジョン内が爆破され、あちこちが炎に包まれた。逃げ惑う人達。すでに息も吸えない存在になった人は少なくなかった。

 

 こんなーーーこんなことになるなんて。

 皆、ここにリーネ様のために集まったようなものだ。それなのに、そのリーネ様から殺されようとしている。


「いけないわ」

 私は大聖女しか使えない、『広範囲治癒魔法』をダンジョン内に広げた。スミレの身体で使えるか怪しかったけれど、効果はあったようだ。少なくとも、まだ命がある人は多少は回復しただろう。


 私を守ろうと、ずっと私の前で立ち塞がってくれているジル様が、私の発した魔法に、驚いた顔で私を振り返った。やはりさすがに大聖女の力を使うとバレてしまったようだ。

 私はジル様に、少しだけ微笑む。ジル様は目を赤く滲ませた。


 私はジル様の顔を見てから、自分の手に視線を移した。ぼんやりと光る魔法を集めた手。

 スミレが修行をしなかったから、聖女としての力はまだ弱い。この残り少ない魔力から無理やり、大聖女だけが使える最終聖魔法を大魔王にかけないと、大魔王は倒せない。

 こんなところで、無駄な消費をしている場合ではないのに。


 私はジル様に、視線をゆるりと戻した。

「ジル様。リーネさんのところに行きます。でも私だけでは、きっとすぐに殺されてしまうでしょう。ジル様も一緒に来て……くれますか?」


 私は、あの日の事を思い出していた。

 あの日。夜の綺麗な月の下。小さな船に乗って、私達は二人で水辺の景色を眺めていた。そして私が大魔王と戦いたいとジル様に言った、あの日のことを。

 ジル様からは、ダメだと言われたけれど。

 あの時、ジル様がもしーーー私と一緒に戦うと言ってくれたら、ジル様との関係も変わっていたのだろうか。

 

 私はそんなことを思いながら、背の高いジル様の顔を見ていた。今のリーネ様のところに自ら行くなんて自殺行為だ。大魔王と違って、聖魔法ではリーネ様は倒せない。それでもーーー私が行かないといけないと思った。


 ジル様は、あの日のように、私をじっと見つめている。不安そうな顔をして。

 私を守るために、他の全てを犠牲にして、また私に言うのだろうか。

 ダメだと。

 私の気持ちなど無視して。

 

 だけどジル様は、私の全てを包み込むように、とても優しく目を細めた。

 

「ーーー勿論だ」


 あまりのジル様のその瞳の深さに、私は思わず涙が零れた。

 ジル様がお変わりになられた。

 きっと、あの時よりもずっと強くなられたのだ。色んなことが、ジル様にも沢山あったのだろう。


 私達はーーーとても遠回りをして、今、ここに立っている。こうやって、ジル様と向かい合えていることさえも、本当に、星と星がぶつかるよりもずっと小さい奇跡。


 そんな私の心を読んだように、ジル様は私に言った。

「この世にはたまたまなどなくて、全ては必然なのだそうだよ」 

「ーーーえ?」

 私はジル様をまた見上げる。ジル様は、どこか遠い瞳をしていた。

「神様が、俺にそう言ったんだ」

「神様が?」

 ジル様は、また私に色々な話を聞かせてくれるだろうか。本当はゆっくり、ジル様とお話しをしたかった。

 ーーーでも、私には時間がない。

 スミレに寝てもらっているけれど、きっともうすぐスミレは目が覚めてしまう。

 そうしたら、きっとスミレは逃げてしまうだろう。

 スミレは心が弱いーーー普通の女の子だから。

 逃げて当たり前だ。こんな怖い思い。

 ーーーーでも私は、大聖女だから。

 行かなくては。


※※※※※※※※※※※※※※※※


「あら。のこのこと、よくここまで来れましたわね」

 うっすらとリーネは私とジル様に笑った。

 高い建物の上にいて、下の地獄を楽しそうに眺めていたリーネ様の前に、私達は立っていた。

 ジル様の転移魔法で、そこまで飛んでもらったのだ。


「リーネさん。もう止めましょう」

 私が言った言葉を、リーネ様は無視する。しらっとした顔で、生温い風に白銀の髪をなびかせている。

「リーネ」

 ジル様が呼ぶ声に、リーネ様は返事をした。

「何ですか、ジルお兄様」

「もう止めないか。リーネがこんなことをして何になるというんだ。リーネは自分では何もできないだろう。身の回りをしてくれる人がいて、食べ物を出してくれる人がいて、はじめてリーネはこうして過ごせているんだ。このままではリーネ以外に誰もいなくなってしまう。そうしたら、リーネは……」


「わたくしの周りには、元々、誰もおりませんでしたわ」

 リーネ様は強い口調でジル様の声を遮った。

「誰もわたくしに近づく人はおりませんでした。いつも部屋に一人。誰かがわたくしの世話をしても、わたくしの顔色ばかりみて、わたくしに寄り添う人など誰も」

 ジル様は首を振る。

「……俺がいるじゃないか。俺はちゃんとお前のことを愛していた。父上もだ。なのに」

 リーネ様はジル様を睨み付ける。

「わたくしをずっと部屋に閉じ込めておいてーーーそのようなことを?」

 リーネ様は青い瞳に黒い炎を燃やしているようだった。なぜか身体に激しい痛みと重さがのし掛かってくる。

 リーネ様は、わずかに微笑んだ。

「確かにお父様もジルお兄様も、わたくしを愛してくれていました。それにはちゃんと感謝をしておりますわ。だからわたくしはちゃんとお二人の命は残していたでしょう?」

 言うと、自分の考えが可笑しかったようで、リーネ様はくすくすと笑い出した。

「いつでも殺せたのに、わたくしは殺さないであげたのです。ジルお兄様も、わたくしに感謝すべきだと思いますわ」


 リーネ様は、ケリー先生と一緒にマイリントアの暴走を抑えようと奮闘しているアラン様を高く遠いところから見つめた。

「ーーーわたくしの心の支えは、アラン殿下だけでございました。いつかきっと、数々の童話のように、皇子様が閉じ込められたわたくしを助けにきてくれるものと信じて、ずっと過ごして参りました」

 リーネ様は、夢でもみるような顔をしてみせる。

「アラン殿下は、下賎な下々の者にも誠意を持って尽くし、温情を与えておりましたでしょう?そんな優しいお方なら、間違いなく、わたくしが家に閉じ込められている事情を聞いて、助けにきてくれると思っていたのです。ーーーだって、わたくしはアラン殿下の婚約者ですもの。わたくしのようにアラン殿下もわたくしを愛してくれているに決まっています。ただーーーその時期がきていないだけで」


 そうか、とジル様は呟く。

「それであんなにアランに執着していたんだな。ずっと不思議で仕方なかったんだ。ーーーあれほど、アランがリーネに対して冷たい態度をとっていたのに」

 リーネ様は意外そうな顔をしてみせる。

「あら、アラン殿下はいつも優しくして下さっているでしょう?わたくしの想像通りの殿方でしたわ。とても美しく精悍で、素敵なお声。優しいのに少しだけ意地悪でーーーー。理想の皇子様ですわ。わたくしに相応しい輝きをお持ちですもの」

 

 私は首を傾げた後、思い至った。このリーネ様は、ご存知ないのね。リーネ様が他人に危害を加える度に、リーネ様を見るアラン様の視線が冷たく、嫌悪していっていたあの日々を。それでもリーネ様はアラン様を信じて待ち望んでいらっしゃった。


 いつか、皇子様が救いだしてくれることを。


「ーーーでも、他の者達は、許せませんわ」

 リーネ様は顔を醜く歪めた。

「わたくしが家にいる時には怖がって何もしなかったくせに、わたくしではなくなると、あんなに親しげに世話をして」

 リーネ様は、高い建物から見下ろせる、ダンジョンの内部に入ったすべての人間に呪うかのように暗い瞳で眺める。

「わたくしでない者のために、こんなに人が集まるなんて……許せませんわ。ーーーわたくしの身体に入り込んだクズを慕うような頭のおかしい者は、皆、死んでしまえばいいのです」

「リーネ……」

 ジル様は、リーネ様に近づいて、一緒にその、足元に小さく見える人達を眺めた。

「……そうだね。皆、頭がおかしいのだろう」

 リーネが、ふと、ジル様を見た。

「ジルお兄様もーーーそう思われまして?」

 ジル様は、にっこりと微笑む。

「当たり前だ、リーネ。彼らは頭がおかしい。ーーー俺も含めてね。でも、それをわかっていながらも、惹かれてしまうんだ。愚かにも」


 その瞬間、私は飛び出した。

 ジル様の後ろでタイミングを伺っていた私は、飛び出してリーネ様の鎧の胸元に手を当てた。

 リーネ様が反応する前に、手に集めていた魔法を発動する。

「『高位聖魔法 精神濾過(マインドフィルター)』!!!!」


 リーネ様は目を見開いて私を見た。穢らわしいと思う表情を決して崩さなかった。

 

 私が放った魔法は、浄化魔法の進化系。

 人の心に住まう邪悪なものを分解して、清らかな者に変えるーーーー禁忌の魔法。

 人の性格を変えてしまうのだから。

 倫理的に封印されていた。それを私が甦らせた。


 不意をつかれたリーネ様は、光に包まれて輝き始める。

 さようなら、リーネ様。 

 せめて優しい性格の人間に、変われますように。

 


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