アランサイド~悪役令嬢と遭う
大魔王との戦い。
それを聞いた時、はじめは「???」だった。
俺は大魔王が現れるという噂を冗談だろうと笑った。
神界や魔界があるというのも疑わしいと思っていたのに、それが『大魔王』。そんな馬鹿なと言うしかない。
そんな存在が急に現れるものか。
ーーーそう思っていたのに。
大魔王は本当に現れ、リーネと戦う約束までしたという。しかも、ジルの過去の映像を見ると、大魔王の強さは尋常でなく、たった数日で世界が崩壊する勢いで人は殺され、建物は壊されていった。
俺の知る部下達も何人も無惨にも死んでいった。
そして、なぜかスミレを猛烈に好きになっている俺がそこにいて、スミレを庇って俺も死んだ。
なす術もなく。
スミレを守ることだけで精一杯だった。
大魔王は、それだけの強さを持つ化け物だった。
リーネは大魔王を倒すのは聖魔法が使える聖女だけだという。そして大魔王の強さを実際見たジルも同じことを言う。だから多分、そうなのだろうが……。
過去に戻ってきたジルはともかく、なぜリーネがそれを知っているのか。
その疑問は、この前、少しだけ垣間見ることができた。
彼らが何を言っているのか殆どわからなかったが、リーネとスミレと俺の父である皇帝、三人の身体に入っている人達は、同じ世界からやってきていて、そこでは俺達のことが物語になっているらしい。
この世界の全てを見た人間が異世界に飛んで、それを物語にしたのか、などという戯言を想像してしまうが、大魔王などというものがこの世に存在する以上、何があってもおかしくない気はしている。
決戦当日。
一週間前に大魔王が現れた場所に、大魔王は現れるということだった。大魔王はそこに巨大なダンジョンを創った。天まで届く高さの城のようなダンジョンだ。
ものすごい人数を雇い、昼夜問わず働いてスタジアムを作った俺からしたら、こんなものをたった一週間で創るなんて有り得なかった。
大魔王は色んな意味で化け物のようだ。
あと。リーネから大魔王との戦いの場所の嘘はつかれたが、嘘がバレていたとわかった時のリーネの狼狽え方が面白かったので許すことにした。むしろ撫でくり回したいのを我慢する方が大変だった。
大魔王との戦いの場所、ツノセゴ平野。その場所に、次々と人が集まってきた。
ダイナ1の亜人達。リーネに心酔しているカナタイドの連中。グランドロス公爵領の私軍。王宮の騎士達。魔術師の塔の者達。
そこにケリー先生とノクトもやってきた。
ノクトなど、戦いが苦手なくせによく来たものだと感心する。国民としてのただの責任感だろうが。
その中に、ジルとスミレが見当たらなかった。大魔王を倒すにはスミレがいないと意味がないのではなかったか。
一抹の不安が渦巻いた時、ジルの転移魔法でジルとスミレが現れた。
ピンクのフワフワした髪が目に鮮やかだった。
スミレはまっすぐに前を向いていて、俺と目が合うとわずかに微笑んだ。
その笑顔に違和感を感じる。
ジルは少し暗い表情で、スミレの後ろを歩いていた。
「ジル」
俺は声をかける。ジルは俺に気付き、少しだけはにかんだ。
「ーーーアラン。来ていたのか」
「当たり前だ。それよりどうした。何か問題でも」
俺の言葉に、ジルは少し黙ってから首を振った。
「いや。問題などーーーなくなった」
なくなった?
意味ありげな言い回しに少し考える。
ちらりとジルを見て、そういえば、と思い出した。
映像の中で、大魔王が来て帝国が壊れる前に他国へ逃げようとスミレを誘っていたジルを。
「……他国へ逃げる気だったのか」
俺が呟くように言うと、ジルは何故それを知っているとばかりに俺を凝視してきた。
それに俺は、ジルをじっと見つめ返し、素直な疑問で尋ねる。
「なぜ逃げなかった」
あれほどスミレを。愛する人の身体をもう死なせることはしないと言っていたのに。
ジルは困ったように自分の耳を触った。
「スミレが……大魔王と自分も戦うと……」
俺はスミレを見た。スミレは、か細い手足でそこに立っていた。
全く鍛えていない身体。内在する魔力の雰囲気もさほど変わっていないように思える。
聖女なので、それでも大魔王に効果的な魔法を使えるだろうが、あまり期待してはいけない気がしていた。
そんなスミレが、自ら戦うだと?
学園で話したスミレは、そういう前向きな性格には見えなかったが。
しかし、目の前で背筋を伸ばして立つスミレを見ると、ジルが嘘を言っているようにも思えなかった。
「……スミレ」
俺がスミレを呼ぶと、スミレはその名の通り、花が咲くように微笑んで返事をした。
「何ですか?アラン様」
その柔らかい雰囲気。
春の日差しのような。昔の俺の、初恋の少女の笑顔が脳裏に浮かぶ。
俺はそれだけで理解した。
スミレはーーーー。
ジルはそのことに気づいていないようだ。スミレをどう守るかに頭がいっぱいで、大切なことを見落としてしまっている。
しかしこういうものは、自分で気付くべきだろう。
俺は首を振って、スミレからジルに視線を移した。
「いや、何でもない。それよりジル、リーネは一緒じゃなかったのか?」
ジルは驚くように顔をあげる。
「リーネがまだ来ていないだと?そんなことないだろう?ここにいる皆が、リーネのために集まっているんだ。リーネもそれをわかっているはず。だが好奇心旺盛なあの子のことだ。ダンジョンのことが気になって、そこら辺でもうろついてるんだろう。全く困った子だ。ーーースミレ」
ジルがスミレを申し訳なさそうに見下ろすと、スミレはすぐに察して、ジルに促した。
「私は大丈夫ですよ。まだ大魔王が現れるまで時間もありますし。妹のリーネさんが気になるのでしょう?」
ジルはほっとしたように笑って、「すまん」と言うと走り出した。
俺とスミレが二人になって、沈黙が訪れる。
ーーー『リーネさん』か。
この前から、その呼び方を気にはなっていたが。
「スミレは、随分と素直になったものだな」
風が吹いて、ふわりと柔らかそうなピンクの髪が揺れる。スミレはその髪を耳にかけた。髪には、まだ、俺が小さい頃に渡した虹色の髪止めを使っている。
にこりとスミレは笑った。
「私もたまにはーーー素直になる時があるんですよ?」
それを聞いて、白々しい、と思った。
「ーーーそうか」
俺は苦笑する。球体のジルの記憶の映像の中で、スミレにーーースミレと同じ顔の少女に夢中になっていた自分を思い出した。リーネがいなければ、今でも彼女を恋い焦がれていたのかもしれないが。
ーーーーリーネがいる以上、そうなることはないだろうなと思う。リーネの素直さと比べると、大人っぽくなってしまったスミレが腹黒い狸にみえてしまう。
ジルもきっと、この先、苦労するだろう。
「……たまになら、いいんだが」
俺の言葉の意味を理解して、スミレは少し不快そうな表情を作った。
「まぁ。そんなことを言うなんて、失礼な人ですね」
俺は口端を上げて笑顔を作った。
「なに。友人想いとでも言ってくれ」
その友人を想うと、こうして俺が横にいるのも嫌かもしれない。
「今日はよろしく頼む」
俺はそう言ってから、スミレを置いてそこを離れた。
しばらくして、白い鎧をつけたリーネを連れて、ジルが現れた。リーネが姿を見せた瞬間、その場が湧いた。
数日前に白の兜が壊れたせいで、リーネは顔をそのまま顕にしている。
白銀の長い髪がサラリと流れ、青い瞳が綺麗だった。
剣術をしているせいか、それとも淑女の修行のせいか、リーネの姿勢はいつも凛としていて、女ながらに格好よく見える。
相変わらずリーネを眺めていると眩暈を感じたので、俺はすぐに魅力低下の魔法を使った。いつになったらリーネの素顔に慣れるようになるのかと自分に尋ねたい。
このまま一生ということはないだろうが。
リーネを見つけて、カナタイドのレイラという令嬢がリーネに駆け寄った。俺はマイリントアとリュージュを連れたノクトに会ったので、二人で一緒にリーネ達に声をかける。
リーネはその後も、ベックという男から声をかけられ、ロジーがリーネの傍に近寄った。
皆がリーネに声をかけていく。
リーネのために集まったのだから仕方ないと思う。
これだけ皆に愛される存在のリーネを、誰が悪役令嬢などと呼ぼうか。
大魔王はきっと倒れてこの地に沈むだろう。
今ここにはスミレがいる。この国唯一の『聖女』が。そして大魔王に勝てたら、リーネの悪い噂はなくなるだろう。大魔王を倒すために活躍した1人と呼ばれるようになる。
「さぁーーー時間だ」
俺は呟いた。
リーネに並んで、山のように大きな門を潜り、ダンジョンの中に入っていく。
ダンジョンの中は、天井が分厚い雲に覆われていた。
ダンジョンには2つの種類がある。
1つは屋内のダンジョン。洞窟や部屋が続くようなタイプのものが主流だ。
もう1つは、屋外の景色の広がる架空世界のもの。夏なのに冬の景色だったり。山の中なのに海が出てきたりする。
今回は後者のようだった。
見たことない沢山の建物と、鉄で作られたような大きい物体がいくつも見える。
リーネとスミレがその光景に驚いていた。
以前いた場所に似ているらしい。
【お前の記憶を少しいただいた】
と、大魔王の地を這うような低い声が言った。
リーネは声を大きくする。
「隠れていないで姿を表しなさい」
だが大魔王の返事は否、だった。
【朕がいれば、朕が大きすぎて、その者が暴れることができぬのではと思ってな】
「その者?」
リーネが首を傾げると、大魔王が小さく笑った。
「名を刻んだ『リーネ』が来ておらん」
リーネはその言葉を聞いて、不思議そうな顔をした。
自分はここにいるじゃないと。そういう顔を。
俺も疑問に思いながら、嫌な予感だけがした。
リーネが来ていない?
ここにいるのに?
ーーーそれは一体。どういうーーー。
考えた時に、数日前、俺の部屋でリーネがスミレに言っている声が頭に甦った。
『ーーー本当の名前は、朋子って言うの』
ともこ。
ーーーそれが、本当の名前。
では『リーネ』が本当の名である人物とは。
俺ははっとして、リーネを振り返った。
聞きたくないものがあるかのように、自分の耳を塞いだリーネと目が合う。
リーネが、俺の目を見ながら不安そうな顔をしてみせた。耳を塞ぎ続けるリーネは動揺し、目の焦点が合わなくなっている。
ダメだ。
「リーネ」
俺はリーネを離すまいと、手を伸ばした。
リーネも俺の声にかろうじて俺に視線を合わせ、助けを求めるように手を伸ばす。
「ーーーアランーーーっ!!」
手が届いた。俺はその手を強く握り締める。
ーーーだが。
握りしめたその手は、いつものリーネの手の握り方ではなかった。
普通の淑女のように、手を手に重ねるような、そんな手の握り方で。
がくりと俯いていたリーネが、顔を上げた。
そのリーネの表情。
それだけで俺は愕然としてしまった。
あの素直さをそのまま映し出した、青く透明なリーネの目が、酷く濁っていた。
目は据わり、冷たい視線を俺に向ける。
目が合った時に、これ以上ないほど鳥肌が立った。嫌悪感を呼ぶ、ねっとりとした、女の嫌な部分を凝縮したような、そんな目だ。
これが『誰』か、わかっていて。
わかっていて尚、俺は聞いた。
「……お前は誰だ」
違っていて欲しかった。
リーネは、俺の心を読んだかのように、にたりと笑った。
「……わたくしはリーネ。グランドロス公爵が一人娘。ーーー『リーネ・アネット・グランドロス』でございます」
リーネがそう言うと、俺だけでなく、周りの人達も皆、そのリーネの違いに気付き、黙った。
精神体が変わるだけで、こんなにも変わるのかと思うほど。
リーネから輝くような魅力が消え去っていた。俺は意図的にリーネにかけた魅力減退魔法を解く。それでも今のリーネから、一切の魅力を感じなかった。
白銀の髪。青い瞳。薔薇の唇。整いすぎた顔立ちは全く変わらないのに。
美人がゆえに、そのわずかな歪みが顕著に顔に表れてしまうのだろう。
リーネは、うふふと小さく笑った。
「あらあら、皆様。面白いお顔。そんなにわたくしが物珍しくて?」
俺から手を離し、リーネは俺に背を向けて、スタスタと皆の方に歩いていく。
リーネは、「とりあえず」と言って、スミレの前に立ち、その顔面に鋭いキックを食らわせた。足を上げて地面に叩きつけるように。
不意打ちを食らって、スミレが勢いよく地面に転がる。
悲鳴とざわめきが一気に広がった。
「なっ!!!」
俺が驚きで叫びリーネを止め、ジルがすぐにスミレに駆け寄った。
「何をするんだ、リーネ」
俺が叱咤しても、全く気にも止めていない顔で、スミレを見下ろす。
穢らわしいとばかりに顔をしかめていた。
「わたくしやアラン殿下の前に、小汚ない平民が近寄ろうとは、身の程をわきまえなさい」
「リーネ」
もう一度、俺がリーネの名を呼ぶと、それに対してリーネは俺に歪んだ笑みを返した。まるで、俺を憐れむような顔で。
「平民と触れあおうとする殿下の優しさは、素晴らしいと思いますわ。ーーーでも、アレは関わってはいけないものです。汚らわしい菌を常に持ち、見苦しい姿をしておりますもの。麗しき殿下の身に何かあったら大変ですわ。お下がりになって下さいまし」
そして、リーネのつけた鎧の腰にささる剣を、スルリと抜いた。
構えてスミレに向ける。
転がったまま顔を押さえるスミレに寄り添ったジルが、そんな馬鹿なという表情でリーネを見上げた。
「……リーネ。ーーーまさか、リーネなのか」
くすりとリーネは笑う。
「ジルお兄様ったら何を当たり前のことを。わたくしはわたくしですわよ。それ以外に誰かおりまして?……まさか、お兄様ともあろうお方が、わたくしに入り込んだゴミ屑の魂を、わたくしと呼んでいるわけでは御座いませんわよね?」
俺はドキリとした胸を押さえた。
ーーー知っているのか。
憑依していたリーネのことを。
「さぁ、おどき下さいませ、ジルお兄様。そんな平民の娘など、お兄様が庇うほどの価値などございません。むしろこの剣の錆になった方が、世のため人のためになりますわ。醜くジルお兄様に近付き、アラン殿下に色目を使う女など、死んでしまった方が良いのです」
「リーネっ!!!言葉を慎めっ!!」
ジルがリーネに怒鳴った。
ジルがリーネに怒鳴るなどということが、有り得るなんて。
俺は驚いたが、リーネはそれ以上だろう。
目を大きく見開き、リーネは口をぽかんと開けた。そしてゆるりと口を閉じて、その眉根を震わせた。
「……ジルお兄様が、わたくしを怒るなんて……」
ブルブルとリーネが身体も震わせていく。
握った剣に力を入れた。
ぶん、と振り回したその剣は、宙を割いてスミレに斬りかかる。
慌ててスミレを引っ張ったジルの腕の肉が半分ほど斬れた。ジルは腕を抱えて身体を屈める。
「……つぅっ!!」
「ジル様っ」
治癒能力で自分の顔を治したらしいスミレが、ジルの腕にしがみついた。
ぎり、とリーネがスミレを醜く歪めた顔で睨み付けた。
「平民の娘。貴女のせいでお兄様が傷ついたのですよ?もうジルお兄様に近付かないでくださいませ。お兄様が悪い菌に感染してしまうでしょう?ゴミはゴミ箱へお帰りなさい」
スミレはジルの腕を聖魔法で回復させながら、リーネを強く見つめた。
「リーネさん。どういうつもりですか?ジル様はあなたの実のお兄さんでしょう。こんなことーーー許せませんよ」
怒るスミレに、くすりとリーネは笑う。
「許す?平民の貴女がわたくしを?ーーーふざけたことをぬかすゴミですわね。高位貴族のわたくしに、平民の貴女が話しかけることこそが、許されない行為ではなくって?わたくしがそれを寛容に受け止めて、注意してさしあげているのに、貴女がわたくしを許すだ許さないだなどーーー」
リーネはまだジルの血のついた剣を更に振り回す。
「烏滸がましいと思わないのですか」
振った剣は、今度もスミレを庇うジルとともにスミレの足の肉を斬った。剣は鋭く、それぞれの足が切断していないことが奇跡のようだった。
「あぁぁっ!!」
「ーーーっ!!!」
スミレの悲鳴と声にならない声をあげるジル。
二人が怯んだ隙に、リーネはスミレにとどめを刺そうと剣を振りあげる。それをケリー先生の魔法が剣の手前で爆発して防いだ。
キィンと剣の弾く音が聞こえる。
「……リーネさん。それはさすがに、冗談でも笑えませんよ?」
リーネはケリー先生を眺めた。自分の剣を阻止されて、リーネの目は怒りを含んでいる。
「薄紫の長い髪……。長身の優男。ーーー貴方は、ケリー騎士団長ですわね?魔術師の塔の管理者であり、帝国の英雄。ーーーその貴方が、なぜわたくしの邪魔をするのですか」
「……なぜって……。本当にどうしたんですか。リーネさん。貴女は私が知っているリーネさんですよね?」
ケリー先生は珍しく狼狽えている。
先生はリーネの事情を知らない。急にリーネの性格が変わって、内心、混乱しているだろう。事情を知っている俺達でさえ、こんなにも動揺しているのだから。
「ケリー騎士団団長が知っているも何も、リーネはわたくしだけだと何度も言っております」
リーネが手に持つ剣をすぐにケリー先生の方に振り回すと、ケリー先生の手のひらに当たった。
ケリー先生は混乱のためか手を広げて自分の身体の前で庇うようにするだけだったので、リーネの剣が直接触れて、手から赤い血が流れる。
「あら」
リーネは少し嬉しそうな顔をした。
「この国最強の男の血が出ましたわ」
リーネがまた剣を振ると、またケリー先生に当たる。ケリー先生は顔をしかめるが反撃をせず、止むことのない剣はケリー先生を細かく切り刻む。
「あら。あら。あら」
リーネは剣を振り続けた。
「団長様をこのわたくしが斬っていますわ。ほほほ、面白いこと」
リーネの剣は巨大モンスターをも貫く。手が細かく斬れる程度しか当たらないのでケリー先生は強力な防御をしているのだろうが、当たっているということは、リーネの剣の鋭さを完全に止めることはできないでいるということになる。
ケリー先生の防御力を知っている王宮騎士達もざわつき始めた。
いくら剣術が得意な人であろうとケリー先生の防御魔法を越えて傷を負わせられる人間は少ない。
高位貴族であり女性のリーネに反撃はしないにしても、普通に考えて攻撃自体を食らうわけがない。それは身をもって経験しているはずだ。
なのになぜ。公爵令嬢の剣を少しずつでも食らっているのか。
そして皆は思い出す。スタジアムで、巨大なモンスターを一刀両断していたことを。
あれはーーー本当にリーネが斬っていたのかと。他の者が倒れるギリギリまで攻撃して、最後にリーネ嬢がとどめを刺したに過ぎないと思っていたのに。
リーネが剣を振る度に、だんだんケリー先生の受ける傷が深くなっていく。
「リーネ」
俺はリーネの腕を握って、その剣を止めた。
「もう止めてくれ。いくら優しいケリー先生でも、さすがに本気で怒ったらリーネもただでは……」
「アラン殿下」
リーネは俺を見上げて嬉しそうに笑う。
「……こんなところで手を握るなんて、恥ずかしいですわ。こういうことは、もっと、二人きりの時にすることでしょう?」
俺は驚いてしまう。
今の空気が読めていないのか。
こんなところで腕を掴まれて、よくこれを『好意』と受け止めることができるものだ。
「リーネ。聞いてくれ。今はそういう状況ではなくて」
「わかりました」
リーネは頬を染める。
そして目を光らせた。
「二人きりになればよろしいのですね?」
「ーーーは?」
「ここの邪魔な虫達を全部取り払ってしまえばいいのでしょう?簡単なことですわ」
リーネが俺からすり抜け、高くジャンプした。
3階はあろう建物の壁を、垂直に走るようにして登る。そして建物の頂上から、手を天に伸ばして小さな黒い玉を作った。
ーーーー闇魔法。
リーネの魔力は微弱だ。だが、威力は……。
リーネは1つの玉を投げて、地面に落とした。途端、多くの人が乗っていた地面が崩れてどこかに落ちていく。深い、深い、崖の底に。
「なっ!?」
そこにいた人達全てが自分の目を疑う。
ここはダンジョンだ。ダンジョンの壁や地面は『壊せない』。それが鉄則だった。
なのになぜダンジョンの地面に穴が開くのか。
しかも、どこに落ちたのかもわからないほど深くまで。
リーネは2つ目の玉を投げた。その玉は宙で爆発するように弾けて、近くの騎士達に散弾銃みたいに当たる。
騎士達は、当たった場所から身体が溶け始めた。
溶けている自分達でさえ、なぜ溶けているのかわかっていない。ただ、黒く、炭のように溶けて消えていった。残ったものは何もない。
今度こそ周囲の空気が揺れた。リーネをよく知る人達以外の者のリーネを見る瞳が、一気に化け物を見る目に変わる。よくわからない行動を起こす、危険な人物。
人は、よくわからないものを激しく嫌悪する生き物だ。リーネは、まさにそれに当てはまってしまった。
騎士達は遠く離れているリーネに向けて剣を抜いた。あるいは魔術師が身体に魔力を流し始める。
建物の上からそれをみたリーネは、顔から笑みを消した。
「あら。わたくしに楯突くつもりですの?」
濁った青い瞳が、更に邪悪さを増して重い雰囲気を発した。するとなぜか身体に重みを感じる。
「小汚ないネズミ達がーーーわたくしに?」
リーネが怒りを含ませると、身体に痺れるような痛みが走る。
俺はそんな自分の身体の変化に違和感を感じ、ケリー先生に目を向けた。ケリー先生もそれに気づいたらしい。
「……オーラ」
「え?」
ケリー先生が呟いた言葉を俺は聞き返す。
オーラだと?
ケリー先生は頷く。
「リーネの隠された力ですよ」
隠してもいなかったのでしょうけどね。と苦笑いでケリー先生は呟く。
「アラン殿下が魅力減退魔法を使わざるをえないほど周囲に影響を与えるリーネのオーラは、それが邪悪なものになるとそれに呼応した質のものになるようです。『祈り』が時間をかけて広範囲に影響を与えるように、リーネのオーラは、リーネがそこにいるだけで周りの人間の感覚に直接、何かしらの感覚を与える。私も今まで生きてきて、人のオーラでここまで身体が痛むのは初めてですよ。こんなーーー禍々しいものが、この世にあるとは」
俺は、そうかと改めてリーネに視線を移した。
今までのリーネはただそこにいるだけで、俺は暖かさを感じていた。眩しく光を放つように、リーネがいるとそこの雰囲気が一気に明るいものに変わるような感覚になっていたのはーーー気のせいではなかったのか。
あれが、リーネのオーラというものだったとは。
「ーーーでは、魅力減退の魔法を使えばよいのだろうか。この不快な感覚がせめて薄らいでくれれば」
ケリー先生は首を振る。
「それは止した方が良いでしょう。その魔法は、あくまで『魅力』を下げるもの。今のリーネさんに使うと更に悪いものになる可能性が高い」
この魅力減退の魔法はケリー先生が作った。構造は先生が一番理解しているだろう。その先生が止めるのであれば、そうなのだろうが。
ーーーこんな、身体が重くなるほど不快で、刺すような痺れを伴う感覚をこのまま感じ続けなければならないなんて。
リーネは、汚いものでも見るように顔をしかめて、リーネに攻撃の意を示したもの達を眺めた。
「……万死に値しますわね」
リーネが建物から跳躍した。宙を飛びながら、リーネが剣を抜く。リーネを睨み付ける騎士達は、それに合わせて攻撃を防ぐ体勢を作るが、リーネが地面に着地した時には、構えた剣ごとリーネに斬られていた。
竹の木を斬るかのように。斬れた身体が斜めにズレて落ちる。大量の血が吹き出し、辺りに散らばった。
それが一人だけではない。
同時に何人も。
なんという剣術。
そのリーネの身体が、急に止まった。
たった一瞬で、拘束されたように動けなくなる。
「?」
リーネは驚くように目を見開いた。
見ると、リーネの背中側から、黒髪のロジーがリーネの両腕をしっかりと掴んでいた。
「ーーーもう止めなよ。リーネ。君らしくない」
ロジー。闇の世界の住人。
暗殺に特化したその体術は、一般の人間のそれとはかけ離れている。いくらリーネがどんなに身体能力が優れていたとしても、その道のプロには敵わない。
「わたくしらしい……ですって?わたくしらしいとは一体、どういうことですの?ーーーわたくしはわたくしですのに」
ロジーを冷たく見上げる歪んだリーネの顔を、ロジーは哀しそうに見つめた。
「リーネは僕の太陽なんだ。元のリーネを。僕のリーネを、返してくれないか」
ふ、とリーネが可笑しそうに笑った。
「元のリーネというものが解りかねますが、わたくしが貴方のものでは御座いません。わたくしにそんな言葉を吐いて良いのは、アラン殿下だけですわ。ーーー婚約者の、アラン殿下だけ」
にい、とリーネは怪しい瞳で俺の方を笑って視線を送ってくる。
リーネに言われて嬉しいはずなのに、全く心が動かなかった。むしろ、嫌悪してしまいそうなその笑顔に、俺は顔をしかめてしまう。
本来のリーネとは、俺は面識がないはずだ。
あの時、公爵領のギルドで初めてリーネに会った時にはすでに、リーネは俺の知るリーネだった。
会ったこともないはずなのに、なぜこんなに俺に執着しているのか、全く理解できない。
これが、あのリーネの言葉だったら、どんなに嬉しいだろうと思うのに。
あれほどロジーを親愛していたリーネは、ロジーを冷たい瞳で睨み付け、遠くに聞こえるように声をあげた。
「魔物よ。この無礼者を追い払いなさいっ」
瞬間、少し離れたところから勢いのある光線が飛んできた。ロジーは素早く避けたが、わずかに足の爪先が焼け焦げた。
見ると、子犬程度に身体が大きくなったマイリントアが、地を踏ん張るように立っていた。
近くまで来ていたノクトが、呆然とした顔でマイリントアを見つめる。
「ーーーマイリントア……?」
「すまんのぅ。ワレはリーネとは主従の契約を結んでおるから、リーネの命令は絶対なのじゃ」
そういうマイリントアの顔は嬉々としている。
基本的に魔物は好戦的なのかもしれない。
その横には小さいままのリュージュも並んでいた。リュージュはマイリントアとは対称的に、辛そうな顔をしていた。
竜神も魔物とはいえ、人間寄りなのだろう。
明らかに悪であろうリーネのいいなりにならざるを得ない自分が悔しいようだった。
リーネは笑う。
「魔物。アラン殿下とジルお兄様以外の人間は、みんな殺してしまって構わないわ。特に殿下の気をひこうとするような女は真っ先に殺してちょうだい」
リーネの視線はスミレと、そして先ほど友人と自ら呼んだレイラを捕えていた。
表情を青くするレイラに、リーネは薄ら笑いをしてみせる。
「……公爵家と立場を並べる辺境伯令嬢?ーーー平民のくせに、聖女というだけで王族と同等の立場になる女?ーーー馬鹿馬鹿しくて吐き気がしますわ」
蛇に睨まれた蛙。
マイリントアは、そんなレイラに炎を巻き上げた。
ケリー先生がそれを円状の防御魔法を盾のように出現させて防ぐ。
防御魔法で弾かれた激しい火花が周りに飛び散った。
「うわぁぁぁっ!!」
周りの騎士達が慌てふためき、クモの子を散らすように逃げていく。
手のひらサイズの時のマイリントアでさえ、大きな呪いの沼が蒸発したというマイリントアの攻撃の威力。今は子犬くらいの大きさにーーーいや、すでに大型犬程度にまで大きくなっている。ダンジョンは魔力や生命力を集める蔵のようなもの。そうマイリントアは言っていた。それによって魔物であるマイリントアも恩恵に預かっているのだろうか。
マイリントアの口から発される炎や光線は、あっという間に辺り一面を焼き払い、火の海に変えた。
そこらに建つ建物も。公園の木々も、馬車に似た鉄の箱も。何もかも。
暗い雲の下、燃え上がる赤い炎と黒い煙と。
逃げ惑う人達。
燃えるーーー人達。
悲鳴と、爆音と。
ーーーそして高い建物からそれを見下ろして高らかに笑う、白銀の髪の女ーーー。
誰もリーネに攻撃することはできない。
俺は、絶望の中で顔を険しくさせて唇を噛み締めた。
ーーーーーここは、地獄だ。




