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婚約者より私を優先する幼馴染へ。私はあなたの婚約者と、眼鏡の商売を始めます――透明なだけの硝子が商都を変えるまで  作者: 他力本願寺


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第15話 三枚に一枚

第三月の初め、徐冷炉の扉を開けると、二晩かけて落とした熱がまだ煉瓦に残っていた。


 セシリアは素体を一枚ずつ取り出し、作業台の麻布に並べていった。どれも親指の先ほどの厚みの円盤で、乾いた布の上に置くと、どれも同じように澄んで見える。だから並べる前に、取り出した一枚ずつの縁へ炭で番号を書いておいた。坩堝から巻き取った順に一から二十四まで。どの棚に置いたかも帳面に控えてある。


 前回の試験溶解は、坩堝の半分も使わなかった。素体十枚のうち泡が入ったのは三枚で、残った七枚から六枚の合格レンズが取れた。今日の二十四枚は、窓仕込みの合間にもらった半日で坩堝をいっぱいにして作ったものだ。


 窓辺の光にかざして見ていくと、泡の入った素体が七枚あった。白い粒を抱えたものが四枚。粒は溶け残った灰か、炉の煤だろう。この十一枚は研磨台に載せず、脇の籠へ移した。


 残った十三枚は、細い格子を引いた板の上で一枚ずつ覗いた。格子の線が波打つものが四枚あった。冷え方のむらが内部に歪みを残したのかもしれない。まだ、それだけで原因は決められなかった。


 研磨に回せるのは九枚。


「番号を見ても、いいですか」


 戸口からリディアの声がした。窓硝子の納品書を届けに来たついでだと言う。セシリアは頷き、籠の十一枚を番号順に並べ直した。


 並べてみてセシリア自身も手が止まった。十一枚のうち八枚が、十七番から後に固まっている。


「坩堝の底です」


 声に出すと、考えが少し整った。


「量が増えると、底のほうまで溶けきる前に半日が終わってしまう。溶け残りの粒も、抜けきらない泡も、最後に巻き取るあたりに溜まるんです」


 格子の線が波打った四枚は番号がばらばらだった。棚の控えと照らし合わせると、四枚とも扉に近い下段に置いていた。


 セシリアは父の記録帳と、十八枚から不良を出したときの自分の帳面を開いた。あのときは溶解時間が足りず、そのうえ冷ますのを急いで大量の不良を出した。今回の冷却時間は記録どおり守っている。それでも扉の隙間から入る風は、棚の場所によって冷え方を変えてしまう。


「冷ます時間を削れば、窯の空きは増えますか」


 リディアが訊いた。責める口調ではなく、帳面の欄を埋めるための問いだった。


「増えます。そのかわり、割れない歪みが残ります。それが一番たちが悪い」


 リディアは「冷却時間・削減不可」と書き、その上に線を引かなかった。


 灰も見直した。灰汁を小鉢に取って一晩置くと、底に沈んだ澱が父の記録よりはっきり多い。今回は一度に多く精製しようとして、いつもの桶に二回分の灰を入れた。澱が沈むのを待つ時間も同じだけで済ませていた。ほかの工房なら輸入灰でも透明な硝子は作れる。父がこの工房でこだわったのは、地元の灰からどこまで濁りを抜けるか、そこから先の均一さだった。量を欲張れば、その差が真っ先に崩れる。


 翌日の午後、カールが九枚の研磨を終えた。前日から、窓の仕事と刻限を守りながら進めた分だった。


「一枚は傷です。研磨砂に粗い粒が混じってました。もう一枚は、仕上げてみたら焦点が三番と四番のあいだに落ちました」


 焦点台で測ると、たしかに目盛りは四十五を指した。どちらの番手の幅にも入らない。番号は刻まない。


「研磨砂の減りが早いと思ったんです」とカールは手のひらを見せた。「前の回でも、怪しいのを一枚、半日かけて磨いてしまって。結局、筋が出ました」


「それは格子で落とすべきでした。わたしの見落としです」


 セシリアはそう言って、右手の親指に巻いた布を締め直した。今日は自分では研がない。測定と判定だけにすると、朝のうちに決めていた。


 合格は七枚だった。


 リディアが黒板に書いた。「二十四枚から七枚。三割を少し切ります」


「泡と粒を除いた十三枚から数えれば、七枚は半分を超えます」


「どちらも本当の数字ですね。でも、炉の時間と灰の量を決めるのは、最初の二十四のほうです」


 セシリアは頷いた。三枚に一枚。それが今の工房の実力だった。


 夕方、トビアスが試作の枠を持ってきた。セシリアは焦点が幅から外れた一枚を渡した。売り物にはならないが、嵌め込みの試験には使える。トビアスが枠の留め鋲を締めていくと、小さく乾いた音がした。レンズの縁が欠けていた。


「溝が浅いのと、鋲の締め代がきつい」トビアスは欠けた縁を指でなぞった。「溝を削って、締めを半回り戻す。でも縁の角そのものが立ちすぎてる。そこはそっちの仕事だ」


「縁の面取りは、こっちでします」とカールが言った。


 トビアスはそれ以上、硝子の話には踏み込まなかった。セシリアにはそれがありがたかった。帳面の「枠」の欄には、「レンズ不良ではない。組立で欠ける」と書いた。


 カールが遠慮がちに口を開いた。


「波打ってた四枚、端のほうだけなら、枠に隠れませんか」


「隠れても、目は端から見ることがあります」


 セシリアの答えに、カールは「ですよね」と小さく笑った。


 リディアは手元の書付を見ていた。


「ひとつ、確かめさせてください。研磨のあとに測って、枠に嵌めたあとにもう一度測る。この二回は重複になりませんか」


「なりません。嵌めるときに締めれば、硝子はわずかに押されます。左右を取り違えることもある。最初の測定は、レンズが正しいことを確かめるため。二回目は、眼鏡として正しいことを確かめるためです」


 リディアは少し考えてから書付に二行足し、セシリアに見せた。「研磨後測定」「組立後照合」。そして欄の外に「省略不可」と添えた。


「納期は守りたいです。でも、これを削った眼鏡を組合に渡すつもりはありません」


 作業台の上の帳面には、工程ごとの欄が並んでいた。どこで何が落ちたのかが、今ははっきり分かれて見える。


 セシリアは数字を書き出した。四半期の残りで要る合格レンズは、個人の十二組と組合の十八組で六十枚。手元にあるのは今日の七枚を足して十六枚。あと四十四枚足りない。しかも番手ごとに左右を揃えるには、少し余分が要る。


 ヨハンの窓仕込みの予定と突き合わせると、組合への納品に間に合う溶解は、あと五回だった。半日枠を三日ほどずつずらし、冷却が済んだ分からカールが磨く。最後の回にも二晩の徐冷と研磨・組立の余日を残してある。窓の坩堝を動かす時間には、一つも重ねていない。


「坩堝の底の三分の一は、レンズに使いません。巻き取るのは上の十六枚まで。扉側の棚も使いません。そのかわり、灰は桶を二つに分けて、澱が沈むまで一日余分に待ちます。研磨砂は篩にかけて、格子で怪しいものは磨きません」


「十六枚から、何枚取れれば足りますか」


「番手の余りと組立の欠けを見て、十枚。六割を少し超えるくらいです」


 セシリアは自分の言った数字を、すぐには信じなかった。


「今日の上の十六枚で数えると、七枚でした。扉側と研磨砂の分が直れば届くかもしれない。でも、まだ一度もやっていません。五枚しか取れなければ、十九枚足りなくなります」


 リディアは否定もせず、励ましもせず、その数字を書き留めた。


 それから彼女は帳面を二冊、作業台に並べた。表紙に「ベル商店」と「ノルド工房」と書いてある。


「混ぜないために、分けて見せます」


 ベル商店の欄から見ていく。組合の前金百八十枚は受け取り済み。ただしそのうち七十二枚は、来期に納める十二組の分だ。その数字には四角い枠が引かれていた。


「これは利益ではありません。来期の納品に要る分と、返金の可能性を残しておく金です」


 組合の十八組の残金百八枚が入るのは、検収が済んでから。個人十二組の残金は、納品の日に一人九枚ずつ。トビアスへの枠代は十組ごとに、検めたあとで払う。工房への卸の残り百十五枚は、レンズを受け取るたびに払う。


 ノルド工房の欄には、窓硝子の返済準備金が月三十枚ずつ別の箱で積まれている。月末までに九十枚。第一回の返済百六十八枚との差の七十八枚は、工房が自分のレンズの卸代金から出す。灰の買い足し、燃料、研磨砂、カールの賃金も、すべてこちらの欄に並んでいる。


 リディアの指が、日付の行を下りていった。


「灰の炭焼き村は、引き取りの日に現金払いです。先に買う分は、残っている前払いで足ります。次の支払いと燃料屋の月締めは、返済の四日前に重なります」


 指は、次の行で止まった。


「その前に検収と卸代金の支払いを済ませなければ、ここが足りなくなります」


 同じ週の中に、丸が二つ並んでいた。


 二つ目の丸に払う七十八枚は、レンズが納まり、検められ、卸代金として工房に入って初めて揃う。そのレンズを作るための灰は、一つ目の丸の日に、先に払わなければならない。


 セシリアは親指の布の上から、そっと関節を押さえた。


 灰を一日余分に寝かせる。欠かせない一日だった。そしてその一日は、そのまま暦の上にも乗ってくる。

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