8 あなた、聖女にならない?
不名誉な呼び方をしながら、ルカ様と入れ替わりで大広間に入ってきた女性の名前を呼ぶ。
「マリア様」
「聞いちゃった、ここに住むんだって? 一緒だね」
確か聖女様も王宮に住み込みだったはずだ。
「エリザベスちゃん、だっけ? じゃあエリちゃんて呼ぶね」
「は、はい……」
馴れ馴れしく喋りながらコツコツとヒールを鳴らして近づいてくる。
マリア様は椅子に座っているわたしの隣に立つ。
「エリちゃんはさ〜、なんで魔女って呼ばれてるの?」
「…………」
「あ、答えたくないよね〜? でも知りたいの。聖女として」
核心を突いた質問に、わたしの体はかすかに震える。答えに言い淀んでいるほんの一瞬で、心の中を覗かれたようだ。
「……聞いても、気持ち悪いですよ?」
こうやって軽い気持ちで尋ねてきて、結局わたしを気味悪がる。そういうのはもう十分なんだ。
本当に知って後悔しないだろうかと確認すると、マリア様は目を細めた。
「……そう言われてきたんだね」
……あ。
泣きそうと感じる時間すらなく、ポロリと涙がわたしの頬を伝った。
「え、なんで、ごめんなさい、わたし、こんなつもりじゃ」
慌てて涙を指で拭うけれど、次から次へと溢れてきてどうしようもない。
「……エリちゃん、頑張ってきたんだね。大丈夫、大丈夫」
マリア様は片手でわたしを肩口に抱き寄せた。ドレスを汚すわけにはいかない、と自分に言い聞かせるが、泣き止むことができない。
止まらない涙がどんどんマリア様の肩を濡らしてしまう。
「私、エリちゃんを受け止める。どんな理由でも」
「うっ、うけとめ、ひっく、受け止めてくれるっ、ん、ですかっ……?」
「うん、絶対」
「ぜったい……」
小さい子供を落ち着かせるようなマリア様の喋り方。気づいたら、わたしは泣きじゃくりながら自分の能力を打ち明けていた。
マリア様は、魔法はない、と断言していたのに。
魔法のようなわたしの予知に、彼女は黙って耳を傾けてくれた。
それが、わたしにはとても嬉しかった。
「なるほどね」
疑うでも気持ち悪がるでもなく、納得したようにつぶやくマリア様。
「ねぇ、私のことも触れてみてよ」
ただ、試してみたいという好奇心だけで、マリア様は右手を差し出してきた。ようやく涙がおさまってきたわたしは、手袋を外してその手を握る。
脳裏に浮かび上がる光景は──王宮内のどこか。
マリア様は縄で縛られ、口から血を流して倒れている。
ただ、この時のルカ様はまだ血を流していない。お腹を刺される前かもしれない。
……どうしてわたしの予知は、犯人の顔を見せてくれないんだろう。
「そっか……」
悔しい気持ちを抑えながらそのまま伝えると、マリア様は顎をつまんで考え込んでしまった。わたしは手持ち無沙汰になり、持っていた水を飲み切る。
「ねぇ、聖女って何か知ってる?」
熟考が終わったのか、マリア様が尋ねてきた。わたしは頭を巡らせて聖女の定義を思い出す。
「特別な治癒能力を持っている……」
「そう言われているけどね、私はそんなもの持ってないの。ただの町医者よ」
ま、町医者……!? 聖女様って、魔法みたいな力で人々を治癒するんじゃないの……!?
「違う違う」
目を見開くわたしがおかしかったのか、マリア様は苦笑しながらぶんぶんと右手を振った。
「自然豊かな田舎で医者をしていたら、突然王宮に連れて行かれて、聖女にされたの。なんでも治す、聖女のような医者がいるってね」
わたしはマリア様を初めて見たときのことを思い出す。アルコールの匂いがしたあれは、立食前にすでに酔っ払っているのかと思ったけれど、消毒液の匂いだったのか……!
「それからずっと王宮お抱えの、聖女という名の医者……町には私の婚約者もいたのに」
「婚約者!?」
大きな声が出てしまい、口を両手で押さえる。マリア様は「誰もいないんだから」と笑った。
婚約者がいたのに、王宮に閉じ込められているの……!?
「て、手紙とかは……」
「禁止されているわ」
聖女様の王宮に住み込みって、生活を担保する目的じゃなくて、外との繋がりを断つためってこと……!?
「だから私は聖女を辞めて、婚約者を迎えに地元へ戻りたいの。わかる?」
ずいっと、マリア様の綺麗なお顔が至近距離に迫ってきた。ツンとアルコールの匂いが鼻につく。
「聖女になりたいって言ってたわよね?」
「い、言いました……」
「あなたを聖女にしてあげる」
ニンマリと、マリア様の口角が半月を描いた。
彼女の容姿を、わたしは本当に聖女様のようだと思っていたけれど、その笑顔は甘い囁きをする悪魔のようにも見えた。
「医療の知識を叩き込めば、エリちゃんも今日から聖女様よ。その予知能力を活かして、人を救いたいとは思わない?」
「わたしの力で……人を救う……?」
悪魔の甘い囁きは、本当に魅力的なお誘いだった。
わたしは自分の両手に視線を落とす。常に身に纏っている黒い手袋。黒の中には、今まで受けてきた濁った感情も含まれている。全部、全部混ぜて黒になっちゃえば、もうわからない。そう思って、この色にした。
誰かに気味悪がられるだけだったこの力が、誰かのために使えるというの……?
さらにマリア様は付け加える。
「もうひとつ、良いことを教えてあげる……私のお師匠様は、藍色の髪の女性よ」
「えっ……」
藍色の髪って、ルカ様のお母様……!?
つまり、マリア様のお師匠様は、ルカ様のお母様。
「これ以上知りたかったら、私の弟子になって、私の代わりに聖女になること」
お母様と会いたいと言っていたルカ様の顔が脳裏をよぎった。そのために、初対面の令嬢と契約結婚をするくらいの決意だ。
……彼の役に立ちたい。
「……どう? 悪くないんじゃない?」
「…………」
わたしの心は、酷く揺れ動いていた。
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