7 契約結婚
「舞踏会は閉会とする」
国王様に代わって、ルカ様がお開きを宣言した。開催宣言以降、国王様が姿を現すことはなかった。
暗殺未遂事件が解決するまで閉じ込められていた来賓達は、我先にとそそくさ帰り、あんなに人がいた大広間にはわたしだけがぽつんと残された。
……ようやく足に力が入るようになってきた。
ルカ様が「もう少し休んでおけ」と気を遣ってくれたので、ありがたく椅子に座って休憩させてもらっている。
色々なことがあり過ぎた。文字通り、生きた心地がしなかった。
死を覚悟したのも初めてだ。
胸に手を当てる。ドレスと手袋越しでも心臓が動いているのが伝わってきた。それだけなのに、これが当たり前であることに酷く安心した。
コンコン、とドアを叩く音がして顔を上げる。
「大丈夫か」
「ルカ様……」
開かれっぱなしのドアをルカ様がノックしていた。
「災難だったな」
そう言って、水が入ったグラスを手渡してくれる。わたしはありがたくそれを受け取って、こくりと飲む。諸々の対応に追われていたのは彼だというのに、わたしの心配をしてくれるなんて優しいお人だ。
「あまり休ませてやれなくてすまない、さっきの話の続きだが……」
一息ついたわたしを見てルカ様が本題に入った。わたしも背筋を伸ばす。
「俺が刺される場所はわかるか?」
わたしは目をつむり、ルカ様の予知を思い出す。
「王宮の、どこかでした。この広い王宮をすべて把握しているわけではありませんので、正確な場所までは……」
「なるほど……」
ルカ様は腕を組んで考え込んでしまった。情報が部分的すぎて、かえって混乱させたかもしれない。これ以上力になれることもないだろう。わたしもそろそろ帰らなくては……気が重いが。
「お前、エリザベスと言ったか。その、相手は決まっているのか?」
唐突な話題にわたしはルカ様の真意を図り損ねる。
「相手?」
「嫁入り先だ」
……あぁ。
舞踏会は嫁ぎ先を探す社交場だったことを思い出す。暗殺未遂事件でそれどころではなくなってしまったが。
わたしは首を横に振る。
「……お恥ずかしながら。今回の舞踏会で探して来いと言われたのですが……これではまた、折檻を受けてしまいます」
「折檻?」
ルカ様が驚いたように、組んでいた腕を解く。信じられないものを見るような目をしていた。
「あ、いえ、うふふ」
なんとか笑って誤魔化す。いけない、口が滑ってしまった。これでは気にかけてくれと言っているようなものだ。そんな振る舞いは令嬢らしくない。
「…………」
ルカ様は言及しなかった。考えるように顎をつまんでいる。
無言が辛い。一秒でも早くこの場を去りたい。グラスは返さないといけないからキッチンに寄ってから……。
「なぁ、俺じゃダメか?」
待ちくたびれているであろう帰りの馬車のことを考えていると、ルカ様が沈黙を破った。何かの打診をされているかはわかるが、何の打診をされているかがわからない。わたしは首を傾げる。
「ダメ、と申しますと……?」
「俺と、結婚しないか」
「え……」
ちょっと急展開すぎてついていけなかった。聞き直したくなるのをグッと堪える。だって聞き取れていたから。
結婚?
ルカ様と?
わたしが?
「そ、れは……」
こちらとしては願ったり叶ったりだけれど……なぜ?
今日会ったばかりで、わたしに恋をしたとも考えにくい。きっと打算的な提案なのはわかる。そうだとしても、しがない伯爵令嬢と結婚して、第二王子のルカ様側にメリットはあるのだろうか?
「……母を探しているんだ」
わたしが尋ねる前に、ルカ様のほうから説明し始めてくれた。
「お前の見た不幸な未来が確かなら、俺はそれを回避し、母を探したい……協力してくれないか?」
「でも、それなら結婚する必要は……」
「王子妃になったほうが、王宮内の情報を探りやすいだろうし、俺も相談がしやすい」
……確かに。
ぽん、と納得した。事情はわかった。命が狙われている方を放っておくのも気が引ける。わたしにできることがあるならお母様探しの手伝いもしたい。
合理的だし、全面的に賛成だし、異論もない。何より王子妃になれるという特大のメリットもある。
……なのに、少しだけ寂しい、と思ってしまった。
つまり、契約結婚ということ……。
ルカ様は心からわたしを愛しているというわけではない──わかってはいたけれど、きちんと告げられるその事実に少しだけ胸が痛くなる。とはいえ、両親にいい報告ができるのは純粋に助かった。
「その、やっぱり無茶を言っているか……?」
わたしが返事をするのが遅く、不安になったらしいルカ様が付け加える。
その様子に、わたしは思わず目をぱちくりさせてしまった。雨に濡れた大きい犬かと錯覚してしまったからだ。
第二王子なのだから命令でもなんでもすればいいのに。
わたしは濡れた体を布巾で拭ってあげるように微笑んだ。
「喜んで協力いたしますわ。わたしも、ルカ様のお母様に会ってみたいですもの」
「よかった、ありがとう」
本当に大きい犬みたい。尻尾を振っている幻覚が見えてきそうだ。
安堵するルカ様にわたしも思わず笑みが溢れる。
「ふふ、わたしも、今日はお母様に叩かれずに……じゃなかった、うふふ」
せっかくさっき曖昧にしたのにまた口が滑る。笑って流せることはさっき学習済みなのでまあいいかと自分を許してやる。
「その件なんだが……」
柔らかかったルカ様の表情が一瞬で堅くなった。顔に影がかかるとき、その人が何を考えているか──心臓が嫌な高鳴り方をする。
しかし、ルカ様の口から出たのは、わたしを傷つけるような言葉ではなかった。
「今日からエリザベスは王宮に住んでもらう。もう実家には帰らなくていい」
「え……?」
帰らなくていい……?
夢のような提案に、さっきまでの嫌な鼓動が一瞬だけ消える。
いつも社交の場から帰ったら、すぐに折檻部屋に入れられていたのに、それがない?
そんな、そんなことが……。
いいんですか、と喉まで出かかったが、わたしは希望を飲み込み、首を横に振った。
そんなこと、許されるわけがないのだ。
「お、お母様に怒られてしまいます」
「…………」
「えっ」
ルカ様は無言でわたしの両手をギュッと握った。びっくりしたけれど、大きなゴツゴツした手はとても温かい。
……人の手は怖いものだとばかり思っていたのに。
「第“二”王子だが、俺も王子だ。お前はこの国の姫になるんだぞ。……誰にも文句は言わせない」
そう言って、ルカ様は手袋の上からキスを落とした。
「る、ルカ様!?」
薄い唇がわたしを壊れものを扱うように触れ、身体中の血液が沸騰するかと思った。
口をぱくぱくと開いて閉じることしかできない。鏡がないからわからないけれどきっと真っ赤なんだろう。
ルカ様はそんなわたしにしてやったり顔で笑いかける。
「不満か?」
わたしはさっきより強い力でブンブンと首を横に振った。音が鳴るくらい高速で振った。鼓動がうるさいので実際に音が鳴っているかどうかは聞こえなかった。
「色々話をつけてくる。少し待っていろ」
ヘアセットを崩さない程度に頭をポンと撫でてから、ルカ様は行ってしまった。わたしはその後ろ姿が見えなくなるまで、彼から目が離せない。
そっと撫でられた箇所に触れる。ルカ様の手の温もりが、いつまでも頭に残っているみたいに熱を帯びている。
これは契約結婚なのだから、浮かれてはいけないと頭では分別できているのに。それでも熱に浮かされてしまう。
大切なものを扱うように触れられたのは、初めてのことで。
「魔女ちゃん、やっほ〜」
ぼうっとした意識は、次の来客によって現実に引き戻された。
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