2 エリザベスの意思
聖療院は王宮から少し離れたところにある、大きな施設だ。何か手当てが必要な人間が駆け込んでくる場所。近くには薬草が育てられているビニールハウスもある。
三角屋根で三階建て。王宮全体は白を基調にしているからか、壁も屋根も白ぬりで統一されている。
「失礼いたします……」
入り口の扉を開けると、中は待合室になっていた。右の壁にはロングソファが二つ備え付けてあり、その対面は受付テーブル。テーブルの向こう側には誰もいない。
受付テーブルに置いてある呼び鈴を鳴らすと、涼しげな音が響いたあと、奥から「はーい」と若い男性の声が聞こえてきた。
「こんにちは。どうなさいましたか?」
現れたのは白衣を着た短髪の青年。「マリア様に会いたい」と伝えると三階に上がってすぐの部屋にいると伝えられた。
「呼んできましょうか?」
「いいえ、わたしが参ります」
待合室の奥にある階段を登りきると、長い廊下が続いていた。その両壁には、等間隔に扉が付いている。それぞれが住み込みの医療関係者の部屋だろうか。
わたしは言われた通り、階段から一番近い扉にノックをした。
「はぁい」
眠そうな声が返ってきたので入室すると、ベッドから上半身だけ起き上がらせたネグリジェ姿のマリア様がいた。
「……もう昼すぎですよ?」
「聖女は太陽と一緒には動かないのよ」
マリア様はわたしの来訪に驚いた様子もなかった。いずれ来ると思っていたのかもしれない。
マリア様の個室は、簡易的なベッドと、机と椅子、それからクローゼットがあるだけの部屋だった。ソファやローテーブルなど、来客を迎えるような家具はない。
勉強するか、寝るだけの部屋みたいだ……。
「早速来てくれたのね、嬉しいわ」
「実は、お話があって……」
マリア様が椅子を指差すので、わたしは静かに椅子を引いて腰を下ろした。
「お話? これから聖女になるための修行をするんじゃなくて?」
マリア様はベッドの上で足を組んで座り直した。
わたしは一つ、息を吐いてから本題に切り込む。
「ルカ様に、聖女になることを止められました」
「ほう?」
マリア様は身を乗り出して耳を傾けてくれた。時折、うんうん、と相槌を言いながら一通り聞き終わると、彼女は一言、
「エリちゃんの意思はどこなの?」
と尋ねてきた。
わ……。
「わたしの意思……ですか」
言い淀んでしまうわたしを見て、マリア様は幼い子供に向けるような困り笑いになった。
「そりゃそうよ。ルカ様も私も好き勝手言ってるけど、結局決めるのはエリちゃんなんだから」
「…………」
膝の上で拳を握る。手汗がじわりと滲んだ。
何か言わなきゃいけないのに、言葉が浮かんでこない。
わたしの意思?
わたしの意思って……なに?
口を開いては閉じる動作を繰り返すわたしに、マリア様が見かねたように声をかける。
「……自分で何かを決めたこと、ない?」
「……!」
図星だった。
わたしは物心ついた頃には、両親の言いなりになっていた。それ以外の記憶はない。
作法やダンスの訓練をこなす毎日。
結婚できる年齢になれば、早く婚約者を探して来いと折檻される毎日。
怒鳴られないよう、機嫌を損ねないよう、怯えながら過ごすのがわたしの人生だった。
「聖女になるかどうか、エリちゃんが決めていいんだよ」
「でも、怒られちゃう……」
……怖い。
自分の意見を言うのが、怖い。
否定されるのも、強い言葉で非難されるのも、暴力も。
ぜんぶ、こわい。
意見というのは、口ごたえに相当する。
マリア様はベッドから立ち上がり、座っているわたしを優しく両腕で包み込んだ。
「誰も怒らない。怒る人はもういない。もしいたら、追っ払ってあげる」
よしよし、とわたしの髪をマリア様が撫でる。
「追っ払う……?」
「そうよ。私、聖女だもん。エリちゃんのご両親より上の立場にいるわ」
「でも、もし誰かが……」
「誰かって誰? 誰だろうと私が追っ払うわ」
そっか……。
わたしが何を決めても、もう怒る人はいないんだ……。
さっきまで顔を合わせていた両親を思い出す。
挙式がないことに戸惑ってはいたが、第二王子との結婚にとても満足そうだった。
わたしはルカ様と結婚して、実家を出て、お父様とお母様に求められていたことは全部終わったんだ。
じゃあこれからは……?
「エリちゃん。一緒に考えてみよっか。エリちゃんが本当にやりたいこと」
「わたしが本当にやりたいこと……?」
「うん。ずっと、言われたことをやってきたんだよね。ルカ様と結婚したのも、頼まれたからだったよね」
そうだ、わたしは、ルカ様のお母様を探すお手伝いをすると約束した。予知能力を使って、ルカ様とルカ様のお母様に起こる不幸な未来を阻止するために。
──ルカ様に頼まれたから。
今、マリア様に弟子入りして聖女になるか迷っているのも、ルカ様に「聖女になるな」と止められたから。
……お父様とお母様の次は、ルカ様?
ルカ様に指示して頂かないと、わたしは何も行動できないままなの?
せっかく、ルカ様が両親から解放してくれたっていうのに。
「思い出して。エリちゃんがこの前、聖女になるって言ったときの気持ち」
「わたしの気持ち……」
「エリちゃんはあのとき、自分の意思で決めてたよ。でも今回、ルカ様に心配されて、彼の言う通りにしたほうがいいのか、気持ちが揺らいじゃったんだよね。いつも誰かの言う通りにしてきたから」
マリア様はわたしの心が直に見えるのだろうか。
聖女って、本当に不思議な力を持っているのかもしれない。
「聖女になりたいんでしょ? ……ううん、人を救いたいんでしょ?」
「……!」
誰かに気持ち悪がられるだけの予知能力。
不名誉な魔女というあだ名。
わたしは自分をずっと呪っていた──それこそ魔女のように。
こんな能力なんていらない。
こんなわたしに居場所なんてない。
生まれてこなければよかったのに。
でも……。
『その予知能力を活かして、人を救いたいとは思わない?』
舞踏会の日、マリア様に言われた言葉。
マリア様と出会って初めて、予知が人の役に立てる可能性を見出せた。
それが聖女になりたい理由──医学を学びたい理由。
嫌われるだけだった能力も、わたし自身も、世の中の役に立てるのだと思いたい。
……変えたい。
自分はいらない存在なんかじゃないんだって。
わたしは胸の前で、手を重ねる。
「わたしは予知能力で人を救いたい……! だから、反対されても聖女になりたい!」
「そうだよ! ルカ様を説得しよ!」
「はい! ルカ様なら、きっとわかってくださると思います」
ルカ様の執務室に向かうため、わたしは腰をあげる。ドアまで見送りに来たマリア様に、わたしは付け足したいことがあって、足を止めた。
「マリア様。先ほど、ルカ様に頼まれたから契約結婚をしたと仰っていましたが、訂正させてください」
「違うの?」
「はい」
わたしは静かな廊下に足を踏み出し、振り返りながら言った。
「わたしが、ルカ様を助けたかったからです」
「……そっか。根っこは一緒ってわけね」
「そうです!」
満面の笑みを返すと、マリア様も笑う。やっぱり彼女は美しい。何らかの浄化効果はありそうだ。
ひらひらと振られる手に会釈をして、わたしは聖療院を後にした。
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