3 デート
太陽が高く昇っている頃。軽く変装をして、わたしとルカ様は市場を歩いていた。出店が並ぶ通りを突っ切る。いい匂いが鼻を掠めるが、買って食べようとはならなかった。
ちらりと隣を歩くルカ様を盗み見ると、目が合った。
ドキリ、と心臓が大きく跳ねる。
……つい、キスのことを思い出してしまう。
「すまん、何か食べたい店でも見つけたか?」
「いいえ。ルカ様の行きつけのカフェ、楽しみですわ」
ふんわり笑いかけてくれるルカ様に、わたしは咄嗟に目を逸らした。この心臓の音に気づかれたくなくて。
ルカ様、普段通りだ……。
やっぱり、あのキスは同情なんだ。わたしに好意があるかもしれない、なんて少しの希望を信じたかったけれど。
……緊張しているのはわたしだけ。それがすべて。
そうよね、所詮契約結婚なのだし。期待しても不毛なのはわかりきっていたことじゃない。
……それでも。
わたしは少しだけ寂しくなる気持ちに蓋をした。
「着いたぞ。ここのマスターとは幼い頃からの知り合いなんだ」
「そうなのですね」
到着したのは、こじんまりとしたカフェだった。木を感じさせる茶色の二階建て。一階がカフェで、二階はマスターの居住スペースになっているようだ。
「お待ちしておりました」
エプロンをした初老の男性が迎え入れてくれた。彼がマスターかしら。
カフェの中は、カウンター席が三つとテーブル席が三つ。客が来たとて、あまり人数は入れない。
「こちらに」
てっきりテーブル席に座るのかと思いきや、二階に案内された。ルカ様は驚く様子もなく、当然のようにマスターの後をついていく。わたしは困惑しながらも二人の背中を追った。
たどり着いた先は、マスターの私室──ではなく、日当たりのいい個室だった。茶色い壁と床。ローテーブルとソファは黒でアクセントになっている。観葉植物が至るところに置かれているためか、緑が調和し、なんだか落ち着く空間だった。
茶色と緑と黒。シックでオシャレだ。
「それでは、紅茶を持ってまいりますので、失礼いたします」
マスターは一礼して出ていった。一階のキッチンに向かったようで、階段を降りる足音がだんだん遠ざかっていく。
「俺の好きな場所なんだ。気に入ったか?」
「はい、とても素敵なカフェですわ」
ルカ様に手で促されて、わたしは着席する。ローテーブルを挟んで向かい側にルカ様も腰を下ろした。
「その、この前はすまなかった!」
「えっ」
座るや否や、ガバッとルカ様が頭を下げた。
突然のことにわたしはびっくりしてしまったが、すぐになんのことか思い当たる。
キスのこと……!?
改めて謝罪するとは言っていたけれど、本当に謝罪されると心がズキズキする。
「顔を上げてください!」
焦って立ち上がるが、ルカ様は頭を下げたままだ。
「お前とは契約結婚なのに、本当に悪いことをしてしまった。反省している。今後二度としない」
契約結婚、悪いこと、反省、二度としない……。
一つ一つの単語に、心が抉られていく。
いけない、ルカ様は誠心誠意謝ってくださっているのに……!
涙がこぼれ落ちそうになるのを必死で堪えた。
マリア様……。
わたしの背中を押してくれた彼女が脳裏に浮かんだ。
ルカ様の気持ちを確かめろって言ってたけど……わたしには無理みたいです……。
マリア様とのやり取りを思い出す──
彼女からデートに誘えと進言を受け、わたしは動揺した。
「わ、わたしなんかがルカ様をデートに誘うなんて……!」
「でも、契約結婚だって、周りには知られたくないんでしょ? あまりにも距離が遠いと不審に思う王宮の人だって出てくるかもしれないわよ?」
確かに、ごもっともだ。
「デートしていい雰囲気になったら、どうしてキスしたんですか? って聞けばいいのよ!」
「そんな直球すぎます!」
「それくらいちゃんとしないとダメよ! 相手の気持ちをはっきりさせるチャンスでしょ!」
バシンと背中を叩かれる。普通に結構痛い。儚そうな美人なのに、所作は乱暴だ。
「ていうか、エリちゃんの気持ちはどうなの? ルカ様にキスされて嫌じゃなかったの?」
「わたし、は……」
キスを思い出して、頬がどんどん茹ってくる。真っ赤になるマリア様を可愛いと思ったが、自分も同じようなものだ。
わたしは嫌じゃなかった……ルカ様に好意を持たれていたら、すごく嬉しい……。
無言でいるわたしに、マリア様は微笑んだ。
「その顔が答えね。ルカ様と両思いになれるかもしれないわよ! 少しは勇気出しなさい!」
「だから、痛いですって」
バシン! と再び強く背中を叩かれて、わたしはルカ様をデートに誘いに行ったのだ。
だけど……。
わたし、これ以上、傷つきたくない……。
きゅ、と下唇を噛んで、なんとか平常通りを取り繕う。
「大丈夫ですわ、ルカ様。わたしは全然気にしておりませんから」
「気にしてないのか……?」
ようやくルカ様が顔を上げてくれた。
……なぜか眉をしかめている……?
もしかして……!
わたしはルカ様の表情から推測する。
ルカ様はお優しいから自責の念で思い詰めてしまっているのかもしれない! ここは笑顔でいかなければ!
とびっきりの笑みを顔面に貼り付けて、元気よく返事をする。
「全っ然! 気にしておりませんわ。ですからルカ様もそんな思い詰めないでくださいまし!」
「そうか……。“全っ然”気にしてないんだな……」
「はい! その通りです!」
「…………なるほど」
ん?
だんだんと声のトーンが下がっていっている?
ルカ様は深いため息をついて、片手で顔を覆った。
く、空気が重い……場を明るくしようと思って努めたのに、なぜ……?
ドス黒いオーラがルカ様から放たれているようにすら見える。
もしかして、不機嫌になられた……?
ルカ様の謝罪を快く受け入れたはず……なのに、なぜ……?
「失礼いたします。紅茶をお持ちしました」
救いのノックの音がした。ルカ様が「入れ」と言うと、マスターは手際よく二人分の紅茶をテーブルに並べ、すぐに去っていく。
「…………」
「…………」
気まずい空気を紛らわしたくて、しばらく紅茶に舌鼓を打つ。美味しい。すっきりとしたハーブティーだ。
「……誘ってくれて嬉しかった」
そんな沈黙を破ったのはルカ様だった。
「この前の謝罪もそうだが、それとは別件で俺もお前に話があったから」
話がある、と言われてわたしは姿勢を正した。
わざわざ二階の個室に案内されたのは、人に話を聞かれないようにするためだと察しはついていた。
ルカ様は護衛の人も店の外で待たせている。王宮の人間の耳にも入れたくないのだろう。
「俺が命を狙われている、と言ったのは覚えているか?」
「舞踏会のとき、ですわね」
「そうだ。だが、舞踏会で実際暗殺されそうになったのは兄様だった」
わざとクッキーにナヴァロ様の体に良くない食材を入れたコックはその場で自決してしまった。真犯人への足取りを掴ませないために。
「……つまり、ルカ様とナヴァロ様をそれぞれ暗殺したい人間がいる……!?」
ルカ様はうなずいた。
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