1 全員救う
翌朝。午前中は聖療院で勉強をしてから、マリア様の部屋に向かった。
「おはよう、相変わらず早いわね」
昼過ぎだというのにネグリジェ姿のまま、マリア様はわたしを迎え入れてくれた。
この部屋も慣れたもので、わたしは真っ直ぐ椅子に向かって腰を下ろす。
マリア様がベッドに座ると、ぎしっとベッドが軋む音がした。どうやらかなり安物らしい。聖女を神格化しているとは思えない扱いだ。
マリア様の言う通り、聖女なんて実状を知らない周りが持ち上げているだけで、王宮内での扱いはただの医者なのだわ……。
「昨日、シャーリーン様に接触してきたのよね?」
「はい、その件で参りました」
早速本題に切り込んできたマリア様に、わたしはお茶会での出来事を簡潔に伝えた。
……紅茶をかけられたことは内緒にしておこう。
「……というわけで、エヴァレット王に向かって激昂した後、シャーリーン様が息苦しそうに喉を押さえてうずくまる、という予知を見ました」
「激昂した後、息苦しそうに……」
マリア様はシャーリーン様の症状について、しばらく考え込んだ後、
「おそらく、過呼吸ね」
と、結論づけた。
「過呼吸……?」
名前からして、呼吸をしすぎてしまうということだろうか。それなら確かに、シャーリーン様の苦しそうな様子と一致する。
でも、だとしても、どうして過呼吸に……?
「過呼吸っていうのは、もちろん肉体的疲労からも発症するけど、精神的なストレスでも発症する場合が多いの。状況からすると、今回は後者でしょうね」
「なるほど……」
シャーリーン様はエヴァレット様に詰め寄ろうとしていた。
お二人の間で何かがあったということ?
「そう考えるのが自然だけど……王様と王妃様が揃ってるところなんて滅多に見ないわ。すでに冷め切った関係なのかしらね」
王宮に住み込みのマリア様ですら見かけないなんて、確かに変な気はするけれど、そもそも、エヴァレット王はあまり人前に姿を現さない。
舞踏会の開会宣言など、公の場ですら一瞬登場したかと思えばすぐに立ち去ってしまう。
そんなエヴァレット王がシャーリーン様と現在どういう温度感でいらっしゃるのかなんて、わかるはずもない。
「マリア様はエヴァレット王の治療をしたことはないのですか?」
「あ、あぁ……。あるわよ。毎晩、健康状態を確認しているわ」
やはり、聖女なだけあって王様の主治医らしいことをしている。
そう話すマリア様の顔にふと影が差した気がしたけれど、気のせいだろうか?
「でも、そこで王妃様を見たことはないのよ」
「そうなんですか……」
王様個人との接触が多ければ、夫婦の間柄くらいわからないものだろうかとも考えたが、聖女が夫婦の関係に踏み入るのも怒られそうだと思い直した。
「ここで話し合っていても、埒があかないわね。とりあえず着替えるわ」
マリア様が立ち上がり、自身のネグリジェに手を伸ばした。
わたしは慌てて止める。
「待ってください、着替えるならわたしは外に出ますから……! あと、もう一つお聞きしたいことがあって……!」
「聞きたいこと? 何?」
マリア様が着替えをやめたのを見て、わたしはこほん、と咳払いをしてからお願いした。
「過呼吸の対処法を教えてください」
「……はぁ?」
マリア様は目をまんまるにして、口を大きく開けた。そのまましばらく停止してしまった。
美しい顔が台無しなので、わたしは彼女の頬を両手で挟み、ぎゅっと潰して口を閉じさせた。
マリア様はぶるん、と顔を大きく振ってわたしの両手を払った。
「いいじゃない、過呼吸にさせとけば。別に過呼吸って死にはしないのよ? ナヴァロ様が私たちに投げてきた瓶と違って」
自業自得よ、とマリア様は言った。
このやりとり、ルカ様ともやったなぁ。
彼も、シャーリーン様がどうなろうと自業自得だと言っていた。そう吐き捨ててしまうくらい、彼は酷い仕打ちを受けてきたのだろうが。
さすがに二回目ともなれば、自分の意見がスラスラと出てくる。
「わたしがその場に居合わせるかはわかりません。しかし、もしできることがあるのなら、教えて欲しいのです。知識としても、頭に入れておいて損はありません」
お願いします、と椅子から立ち上がり、頭を下げる。
「なんで、そこまで……」
マリア様の困惑した声が聞こえてきた。
ルカ様も、マリア様も同じ意見。敵意を向けてきた相手をわざわざ助ける必要はない。
彼らの言い分も感情も、理解できる──でも、それ以上に。
「わたしは魔女と呼ばれたこの力を、人を助けるために使うと決めました。どんな人であろうとも」
「……あんた、殺されかけたのよ、シャーリーン様の命令で」
「……承知しています」
「おかしいわよ」
「そうかもしれません」
「……頑固者」
初めて言われた。
わたしって頑固だったんだ。
ずっと、両親に言われるがままに生きてきたのに、自分のために生きようと決意したら、こんなに譲れないんだ。
……自分のことなのに、全然知らなかったな。
マリア様は大きなため息をついて、言う。
「……私の負けよ、教えてあげる。過呼吸の対処法」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
やった! これでシャーリーン様を助けられるかもしれない!
わたしの予知で、人を救える!
わたしは顔を上げて、マリア様の両手を取った。
喜ぶわたしの勢いに押されたマリア様は、キョトンとした後、ゆっくり微笑んだ。
「まったく、本当に優しい子……聖女を任せるにはエリちゃん以上の存在はいないわね」
不意にドキッとしてしまった。
マリア様が、女神様のような顔をしていたから。
……本当に、聖女と呼ばれるに相応しいお方。
「座りなさい」
……喋らなければ、美しいのに。
わたしはマリア様に着席を促され、大人しくその通りにする。反対に、マリア様は立ち上がり腕を組んだ。
「とにかく、過呼吸は落ち着かせることが大事。対処する人も不安がってたら、症状が悪化する恐れがあるわ。呼吸を正常に戻すために、息を吸う、吐く、を一対二の割合で、十秒かけて行うこと」
「一対二の割合で、十秒かけて……」
「割合はそんなに正確には気にしなくていいわ。とにかく長く息を吐かせられれば大丈夫よ。息を吸い過ぎて出る症状だから」
試しに自分でその呼吸をしてみる。かなりゆっくりだ。吸う時間が短いのに、吐く時間が長い。
実践してみると、呼吸とともに心も凪いでいく感じがした。
ただこれをついさっきまで激昂して呼吸が浅くなって人に対して、自分が適切に処置できるかと尋ねられると……怪しい。
しかも、こちらは平常心で接しないと逆効果だ。
「頭の中で練習しておく必要がありますね……」
想像だけで補完するしかないけれど。
顎をつまんで考え込むわたしのおでこを、マリア様が中指で弾いた。
「いたっ、何するんですか」
「そういうところ、彼に似てるわ」
「彼?」
ピンッと弾かれたおでこを右手でさすりながら聞き返す。
「私の婚約者」
マリア様の婚約者……?
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