2 殺人未遂
視線を上に向けると、無表情のナヴァロ様が資料室の机に置いてあった空の薬瓶をマリア様に目掛けて放り投げていた。予知の落下物は花瓶ではなく、薬瓶だった。
落下する瓶がやたらゆっくりに見える。
「マリア様!!」
空き瓶がマリア様の頭に直撃する寸前、わたしはマリア様を抱きしめて押し倒す。
空き瓶は誰にも当たらず、地面で弾けた。
わたしたちが仮説を立てた一輪挿しの花瓶よりも、ずっと小さい空き瓶の欠片が、レンガ調のタイルの上に散らばっている。
「あ〜あ! もう!」
ナヴァロ様は慌てて逃げるでもなく、ガシガシと自分の頭を掻いていた。
「エリちゃん、大丈夫!? エリちゃんに投げるかと思ったら、私に投げてきたわね」
マリア様が起き上がった。わたしは彼女の肩を掴み、顔を覗き込む。
「大丈夫です。マリア様は!?」
「私は無傷よ」
マリア様の無事を確認して、わたしは再びナヴァロ様を睨みつけた。
第一王子とはいえ、さすがに一線を越えている。非難するつもりだったのに、わたしは息をのんでしまった。ナヴァロ様があまりにも感情のない表情をしていたから。
「またお母様に怒られちゃうじゃないか」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で言い残し、ナヴァロ様は窓から姿を消した。
お母様?
疑問が浮かんでは消えていく。ナヴァロ様への怒りよりも、何か事情があるんじゃないか、という謎のほうが大きくなっていた。とにかく、ナヴァロ様を問い詰めなくては。
「痛っ!」
立ち上がろうとして、足に鋭い痛みが走った。見れば、ふくらはぎがパックリ切れている。瓶は直撃しなかったが、割れて飛び散った破片で足を切ってしまったようだ。
「止血が先ね」
マリア様は呟くと、白衣のポケットからガーゼを取り出し、どくどくと血が流れる患部にガーゼを強く押し当てた。
「傷口を洗ってから手当しないと。立てる?」
「はい、なんとか」
マリア様に肩を借りて、わたしたちは聖療院に戻った。ナヴァロ様とはすれ違わなかったから、きっと正面以外にも出入り口があるのだろう。
診察室には手洗い場があった。診察用の机と椅子。それから、患者が座る用の丸椅子とソファ。
足を洗える手洗い場で傷口を洗い流しながら、破片が残っていないか確認した。ガーゼで押さえていたお陰で、出血は止まってきた気がする。
マリア様の指示でわたしはソファに腰を下ろした。替えのガーゼと包帯を持ったマリア様が跪いてくれる。
「い〜い? 下から上に、キツさを一定に保って巻いていくのよ。キツすぎてもゆるすぎてもだめ。上から下に巻いてしまうと、鬱血する可能性があるから、絶対下から上ね。どう? 痺れとかある?」
「大丈夫です」
手早く処置されて呆然としてしまう。痛みはあるけど、歩けないほどじゃない。
「血は出てたけど、見た目より傷は浅いからすぐに治ると思うわ。ま、しばらくは安静にね」
「はい、ありがとうございます」
手当てを終えたマリア様はわたしの隣に座る。
「予知した事件の犯人はナヴァロ様だったのね。私が外にいたら、エリちゃんは巻き込まれなかったかも」
「そう、ですね」
「何よ、あいつ。舞踏会での一件、まだ根に持ってるのかしら。こんなの殺人未遂よ」
唇を尖らせるマリア様。美しい横顔が膨れるのを横目に、わたしは思考の海に潜り込んでいた。
「あの、本当にナヴァロ様なのでしょうか」
わたしは恐る恐る挙手をする。
「何が?」
「ナヴァロ様には殺意がなかったように思うんです」
「はぁ?」
マリア様が心底理解できないものを見るような目を向けてくる。
「何言ってるの? 故意に瓶を投げたのよ? どこに殺意がなかったって言うの?」
「だって、落としてきた瓶はかなり小さいもので、わたしの人差し指サイズです。これで人が殺せるとは思えません」
わたしが人差し指を立てると、マリア様は眉間に皺を寄せた。
「いや、小さくたって打ちどころが悪かったら……」
「だったら、もっと大きくて確実なものを選ぶと思うんです」
「それは、そうかも」
わたしの考えを理解してくれたようで、マリア様の頭にも疑問が浮かび始めたようだ。
「なら仮に、ナヴァロ様に殺意がなかったとして、なんで瓶を落とすなんて危険なことをするの? 恥をかかされた腹いせで怖がらせてやろうってわけじゃなくて?」
「それなんですが。去り際に、ナヴァロ様言ってたんです、『またお母様に怒られる』って」
「お母様?」
マリア様は長いまつ毛を持ち上げて目を見開いた。
「それって王妃様のこと?」
わたしはうなずく。ナヴァロ様のお母様といえば、王妃シャーリーン様で間違いない。
「なんでそこで母親が出てくるのよ」
頭を抱えてうずくまってしまうマリア様。
「そればかりは。しかし、失敗して怒られるという口ぶりからして」
「シャーリーン様に指示された可能性が高い」
続く言葉をマリア様が引き取り、わたしはうなずく。
「じゃあ、私たちにちょっかいかけるのをやめろって、シャーリーン様に直談判する必要があるわね」
マリア様は簡単に言うけれど、王妃様に謁見する機会なんてそうそうない。かといってこのままでは、いつ殺されるかも分からない恐怖に怯えながら王宮で暮らすことになる。
悩むわたしに、マリア様は「簡単よ」と言った。
「王族入りしたエリちゃんが、親交を深めるためとか言って、シャーリーン様をお茶会に誘えばいいのよ!」
「そんな! 恐れ多いです!」
「なんでよ! あなたは嫁入りしてきたんだから普通のことよ?」
「でも、断られるんじゃ」
腰が引けるわたしにマリア様は耳打ちした。
「ナヴァロ様に聖女が殺されそうになったと脅しましょう。あなたの差金ですか? 聖女の暗殺未遂として大事にしますよって」
わぁ、マリア様のいい笑顔。さっきまでナヴァロ様に殺意がなかった方向で話していたのに。
「お茶会で、これ以上私たちに関わらないように説得してきてちょうだい!」
マリア様は立ち上がって、わたしの正面にまわり込んだ。両手を腰に当てて言う。
「ついでに、シャーリーン様の不幸も予知しておいで! 私たちに敵意があるなら、シャーリーン様の不幸に私たちも巻き込まれているかもしれないわ!」
なんだか色々な役目を背負わされてしまった気がする。
そうしてわたしは、マリア様によって聖療院を追い出されてしまった。
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