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1 予知外の出来事

 マリア様に予知が変わっていることを伝えると、彼女は冷静に思考を巡らせ始めた。


「王宮の敷地内で私が呑気に歩いているだけって、いつものことだわ。それこそ今日、明日も予知と同じ行動をとるはずってことは、もしかして、エリちゃんの予知って、直近の不幸で塗り替えられちゃうのかしら?」


「じゃあ、前回見た、口から血を流しているマリア様は、しばらくありえないということですか?」


「しばらくというか、今回見た不幸が起こった後じゃないと発生しない事件なのかもしれない」


 マリア様は顎をつまんで考え込む。


 わたしの予知能力にそんな条件があったなんて。自分じゃ気づけないし、分析もできなかっただろう。さすが聖女様だ。


「まぁ、王宮の敷地内で落下物に気をつけていればいいのよね。先に分かっているなら回避しようがあるわ。お手柄よ、エリちゃん!」


 肩をポンと叩かれ、わたしは嬉しくなった。


 生まれて初めての褒め言葉に、浮き足立って空へ飛んでいってしまいそうな気分だ。


「エリちゃんは自分のことは予知できないの?」


 わたしは首を横に振った。


「できません。自分を触っても何も見えなくて……」

「そうなの……」


 マリア様が顔を覗き込んでくる。整った顔立ち。綺麗な瞳に心臓を射抜かれてしまったようにドキドキする。


「エリちゃん、無理はしないでね」

「はい、もちろん」


 心配そうにわたしを見つめるマリア様を安心させるつもりで、わたしは微笑んだ。


 ***


「失礼いたします、お母様」


 ナヴァロは自分の母であり、王妃でもあるシャーリーンの執務室を訪れた──訪れた、というより呼び出された。ノックをしたものの、中から返事はない。


「失礼いたします」


 念のため、再び声をかけてからドアを開けて中に入る。


 ドアを後ろ手に閉めた途端、


「遅いッッ!!」


 と、怒号が飛んできた。



 執務机に向かって羽ペンを動かしていたシャーリーンはペンを乱暴に置いた。


「呼ばれてどうしてすぐに来ないのッ!? 母を待たせるのが楽しいのかいッ!? そんな性悪に育てた覚えはないよッ!!」


 執務机に置いてあった本を一冊つかみ、シャーリーンは床に叩きつけた。紙と床のぶつかる音がして、本は開いたまま転がった。ナヴァロは頭を下げる。


「遅くなってしまい、申し訳ございません。職務が」

「言い訳をするなッ!」


 机を叩いて、シャーリーンは立ち上がる。羽ペンが転がり、机から落ちた。カーペットにインクのシミが広がっていく。ナヴァロはそれを薄目で追っていた。


 今日は機嫌が悪いな。


 もう一人の自分が、体から離れてどこか遠くから自分を見つめているような感覚。


 シャーリーンの息が整うまで待ってから、ナヴァロは口を開いた。


「何の御用でしょうか」

「分からないまま、ここまで来たの? 少しは脳みそ働かせなさいな」


 興奮が落ち着いたと思ったらこれだ。


「先日の舞踏会の件でしょうか? それなら症状も落ち着いて」


 ナヴァロは発疹が治った腕を見せようとしたが、


「あんたの健康状態なんてどうでもいいわ」


 シャーリーンは興味なさげに、椅子に座り直した。


「あの小娘たち、特にマリアが調子に乗ったまま、終わらせていいのかってことよ」

「そう、ですね」


「何か、一泡吹かせてやりなさい。生死は問わないわ」


 言い終わると、シャーリーンはしっし、と追い払う素振りをした。もう用はないということだろう。


「失礼いたします」


 ナヴァロはシャーリーンを刺激しないよう、笑みを維持したまま執務室を後にした。バタンと扉を閉めると、少しだけ肩の力が抜ける。自身の執務室へ戻りながら、ナヴァロは困り果てていた。


「一泡吹かせるって何だよ……!」


 確かに、恥をかかされたとは思っている。あの女どもには、いずれ仕返しをしようと企んでいた時期もあった。


「いや、待てよ」


 イライラしながらも、ナヴァロはあることに気づいた。


「嫁入りしたってことは、二人とも今は王宮にいるのか」


 機会なんていくらでもある。ちょっと怖がらせるだけでいいんだ。


 お母様は「生死は問わない」なんて仰っていたけれど、そんな物騒なことに手を染めたくはない。


 僕は殺そうとした、という形だけ取ればいい。軽い怪我で済むような、そういう怖がらせ方。僕に恥をかかせたから、こんな目に遭うんだ、と。


 エリザベスを変な理由で外に出せば、きっとマリアも気になって追いかけてくるはずだ。


 ナヴァロは口角を上げた。


 その視線の先には──聖療院《せいりょういん》。


 ***


 ルカは執務室で椅子に座ったまま、頭を抱えていた。


 エリザベスの聖女になる意思に反対してしまった。


 もう少し、彼女の話に耳を傾けてもよかったのではないか。


 そもそも、彼女は俺の母の情報を手に入れるために弟子入りしたいと申し出ていた。


「……謝りたい」


 自分しかいない執務室に呟きが落ちる。話がしたい。


 だが、彼女のいる聖療院に近づきたくはなかった。あそこは、母が苦しめられた場所でもあるのだ。


 ぎしり、と椅子が音を立てるのみだった。


 ***


「問題は誰がマリア様を、という点ですよね」


 資料室の椅子に着席すると、マリア様が棚から十冊の本を持ってきて、「頭に叩き込め」と机に置いた。


 落下物が割れたときの映像からして、おそらく一輪挿しの花瓶だろうとわたしたちは仮説を立てた。


 時折、わたしが読んでいる本のページをいじりながら、マリア様は言う。


「そうねぇ、事件性強そうだけど、花瓶が落ちてきただけならただの事故かもしれないわよね」


 マリア様が歩いていた場所も、周りの風景では特定できなかった。


「まぁ、とにかく上に気をつけるわ。室内にいれば大丈夫でしょ」


「予知では敷地内とはいえ、外でしたからね」


「じゃあ、私は自分の業務があるからこれで。診察室にいるから、何か分かんないことあったら呼んでね」


 そう言って、マリア様は資料室を出て行った。


 彼女の背中を視線だけで見送ってから、わたしは目の前に積まれた分厚い本に向き直る。


「まずは簡単な応急処置からですわね」


 擦り傷、切り傷、熱中症など、身近な怪我や体調不良に対する処置についての本だった。


 知識として、なんとなく分かっていたつもりだったが、意外と勉強になる。


「えぇと、切り傷は止血」


 包帯の巻き方が図解されているが、少々分かりにくい。実際の包帯を手にしながら実践したほうがいいかもしれない。


 さっき別れたばかりで多少気が引けるけど、診察室にいると言っていたから、包帯はすぐ借りられるだろう。


 椅子から腰を上げたのと同時に、ノックの音がした。


「エリザベス? ちょっといいかい?」


 この声は、ナヴァロ様。


「どうかされましたか? 聖療院に用なら、一階の診察室にマリア様がいらっしゃるはずですが」


 慌てて立ち上がり、ドアを開ける。にこやかなナヴァロ様が立っていた。


「あぁ、違う違う。君に用があるんだ」

「わたしに?」


「さっき、ルカが君を探してたよ。今頃、聖療院の近くまで来てるんじゃないかな。なんか、話があるって」

「えっ!? ルカ様が!?」


 ルカ様とは昨日、喧嘩別れのような話の終わり方をしてしまった。


 話があるというのはなんだろう? 離縁とかじゃないといいけれど、言うことを聞かずに怒らせてしまったし、有り得るかも。


 とにかくお話ができるならありがたい限りだ。


「ありがとうございます! わたし、行って参ります!」

「うん、そうしな」


 ナヴァロ様に礼をして、わたしは階段を駆け降りた。一階でマリア様とすれ違う。


「エリちゃん、血相変えてどうしたの!?」

「マリア様! ルカ様が来てるって聞いて」


 聖療院から出て、左右を見渡す。ルカ様のような人影はいない。


 近くに来てるって仰っていたから、もっと辺りを探してみよう。


 わたしは聖療院を回ってみることにした。さっきまでいた資料室の下あたりまで歩くと、マリア様が聖療院から出てきた。


「ルカ様が聖療院にいるはずないわよ! だってあの人は聖療院に近づきたがらないもの!」


 じゃあ、ナヴァロ様が仰っていたのは?


「エリちゃん危ない!!」


 マリア様が叫ぶと同時に、わたしに向かって走ってきた。


 そうか、ここは外だ。


 落下物に気をつけるのは、マリア様だけじゃなかったんだ。

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