第72話:卒業パーティー、再演
その夜、ヴォイド・コア最上階。
黄金の大広間が、宇宙の全花の香りで、満たされていた。
シャンデリアの輝きは、あの夜の、ヴァリエール王立アカデミーの卒業パーティーと、寸分違わぬ煌めき。
ただし、その下にいるのは——あの夜、彼女を「悪役令嬢」と罵り、嘲笑した連中ではなかった。
四十一人の同志エリザベート。新しい妹たち(E-10000、E-78423、E-56789、E-22001、ただの・エリザベート、ローズ)。
第1世界のジュリアン(登録官として正装)。
その隣で、街灯の人格を取り戻したリリアン(孤児院長として、もう一度、新しい桃色のドレスで)。
ケルベロス(三つ頭それぞれにリボン)。
救出された勇者アリス、ガウェイン団長たち。
待合室で救った債務者たち——元・豊穣神アルダン、元・魔王リリス・モルガナ、第1024世界の旅人と仔猫。
地獄リゾートの閻魔様。
元・大司教ベネディクト。
ザドキエル。
原典編纂委員会の元・編集長たち。
ファウスト・ヴォイドの、ネットワークに溶けた一粒の輝きも、空中で、静かに揺らいでいた。
そして、新郎新婦——ルシフェルとセレーネ。
今宵、二人の婚約が、正式に披露される。
「……陛下」
黄金のドレスを纏ったエリザベートが、隣のカエルスに、扇越しに微笑んだ。
「人生でこんなに沢山の方をご招待するの、初めてですわ」
「君を慕う者だけが、ここにいる。……君が招いた者だけが、ここにいる。それが、あの夜との、決定的な違いだな」
会場の中央で、ルシフェルとセレーネが、皆の前で、それぞれの「申請書」を、朗読した。
セレーネの淡々とした受領の言葉に、会場が、温かい拍手で包まれた。
その後、ローズが立ち上がり、未来からの祝辞を述べた。三千二百年ぶんの言葉のうち、彼女が選んだのは、たった三行だった。
E-56789が、巨大なクロワッサンの婚約ケーキを、満面の笑みで、披露した。積み上げた層の数は、九百九十九。数を尋ねられた彼女は、「セレーネさんに聞いてくださいまし」とだけ答えた。
ジュリアンが、震える手で、二人への祝杯を、丁寧に注いだ。一滴も、卓布にこぼさなかった。
誰もが、笑っていた。
誰もが、温かかった。
誰もが、お互いに、何かしらの形で「救われた」過去を、持っていた。
そして、その救いの中心に、エリザベートと、彼女の選択が、確かに、あった。
「……エリザベート」
会場の音楽が、ゆっくりと、ワルツに切り替わった。
カエルスが、満ちた魂の温度で、妻の前に、深く一礼した。
「……一曲、いただいても、よろしいか?」
「……陛下」
エリザベートは、差し出された手を、しばらく見下ろしていた。
あの夜の卒業パーティーでは、彼女は、誰とも踊らなかった。
婚約者ジュリアンには、最初から、踊る気が、なかった。
彼女は、扇を握りしめたまま、誰の手も取らずに、あの夜、会場を出た。
でも、今夜は——
今夜は、隣に、自分の魂の半分を、白紙小切手で、買い戻してくれた男が、いる。
「ええ、陛下。……喜んで」
エリザベートは、扇を、初めて、自分の意志で、テーブルの上に置いた。
扇のない、素手の彼女の手が、夫の手に、優しく、包まれた。
二人が、ホールの中央に進み出ると、会場の全員が、自然に、円を作って、二人のためのスペースを、開けた。
ワルツの旋律が、静かに、優雅に、流れ始める。
女帝が、人生で、初めて、踊った。
「……陛下。私、ワルツの踊り方、教わったことがございませんの」
「私もだ」
「……あら、まあ」
「下手で構わない。……君と、私と、二人で、ただ、揺れていればいい」
エリザベートは、堪えきれずに笑った。
肩を震わせて、声を抑えながら、しかし、心の底から。
二人の踊りは、確かに、下手だった。
歩幅は揃わず、ターンは、いつもどちらかが先に動きすぎた。
女帝は、三度、夫の靴を踏んだ。夫は、二度、拍を間違えた。
でも、誰一人として、それを嘲笑する者は、いなかった。
会場の隅で、ローズが、こっそりと、涙を拭った。
彼女の、三千二百年で、見ることのできなかった光景が、今、目の前に、確かに、あった。
ジュリアン(第1世界)は、震えながら、ぽつりと、隣のリリアンに呟いた。
「……俺たちも、あの夜、こうやって、踊れていたら……」
「ええ。……でも、ジュリアン様。それは、過去の話。……今夜は、私たちも、踊りましょう」
リリアンが、微笑みながら、ジュリアンに、手を差し出した。
ジュリアンは、その手を見つめたまま、何度か指を握り直し、そして、ようやく、初めて、彼女の手を取った。
会場の全員が、自分の隣にいる誰かの手を取り、踊り始めた。
四十一人の同志たちが、お互いに。
ケルちゃんが、三つの頭で、三人の女性と。
元・神々と元・魔王が、ぎこちなく。
ファウストの一粒は、空中で、緩やかに、回転していた。
その光景の中で、エリザベートとカエルスは、ただ、揺れていた。
女帝の覇道の終わりは、戦いではなく、ワルツだった。
女帝、人生初のワルツでございますわ。
しかも、下手でしたわよ。最高でしょう? 完璧な女帝にも、踊り方を知らない夜があったのですわ。
会場の全員が、自分の手で、自分の隣の誰かと踊る——これこそ、本作の、本当の到達点ですの。
このパーティーの翌朝、女帝は、正式に、ご退職届を提出なさいます。宛先は、ご自分ですの。
【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】、女帝の人生初のワルツに、ぜひ。




