第71話:後継者を作らない後継者、ルシフェルとセレーネの婚約発表
「お嬢様。一件、ご報告がございます」
午後三時、執務室。
卒業パーティーの招待状の宛名書きに忙しいエリザベートの前に、セレーネが、いつものように音もなく現れた。
ただし、その隣には、なぜか、新人インターンのルシフェルが、緊張のあまり真っ青な顔で、深々と頭を下げて立っていた。
「あら、二人揃って、どうなさったの?」
「個人的な、書類の提出でございます」
セレーネが、一通の封筒を、エリザベートに差し出した。
封筒の表には、極めて事務的な書体で、こう書かれていた。
『婚約申請書』
「……あら?」
エリザベートが、扇を、ぴたりと止めた。
カエルスが、書類の山から、ばっと顔を上げた。
部屋に集まっていた他のスタッフたちも、一斉に振り返った。
「セレーネ。……これは、貴女と、ルシフェル氏の、婚約申請書、と読んでよろしいの?」
「は、お嬢様」
セレーネは、一切の感情の揺らぎなく、淡々と告げた。
「先月、ルシフェル氏より、私への『申請書』が提出されました。本人曰く、『正式な書式で求婚したい』とのこと。私は、その申請書を、三週間、熟読し、各条項を吟味した結果、本日、承諾の判子を、押すことを決定いたしました」
「……」
「ですが、私たちの最高責任者は、お嬢様でいらっしゃる。承諾の前に、まず、ご承認をいただきたく」
エリザベートは、宛名書きの筆を置き、二人を交互に眺めた。
ルシフェルは、相変わらず、青ざめたまま、頭を上げられない。
セレーネは、相変わらず、無表情のまま、しかし、ほんのわずか、瞳の光が、星のように瞬いていた。
「……ふふ」
エリザベートは、扇を閉じ、申請書を開いた。
中には、ルシフェルが、手書きで、震える文字で、しかし誠実に書き上げた、求婚の文面が、丁寧に並んでいた。
『セレーネ殿。
私は、L-001。出荷目的は、貴女のお仕えするお嬢様の「回収」でした。
しかし、貴女と数年共に過ごす中で、私の演算回路には、出荷時に検出されなかった、いくつかの「不良な感情」が、芽生えました。
それらの不良の総和を、本日、貴女に「申請」いたします。
受領のご検討を、心よりお願い申し上げます。
L-001(ルシフェル)』
エリザベートは、その一文一文を、指でなぞりながら読んだ。
書き損じを消した跡が、紙の三箇所に、うっすらと残っている。
それから、紅茶のカップに、ゆっくりと、口を付けた。
「……セレーネ。承認、いたしますわ」
「は、お嬢様。ありがとうございます」
「ただし、一点だけ、訂正を要求いたしますわ」
「……訂正でございますか」
「ええ。ルシフェル氏」
エリザベートが、初めて、青ざめたルシフェルの目を、まっすぐに見つめた。
「貴方の申請書、誠実で、丁寧で、本当に素敵ですわ。……ですが、貴方は、ご自身の感情を『不良』と書いていらっしゃるわね。これ、訂正なさい」
「……あ、はい?」
「セレーネ殿への愛情は、不良品ではございませんわ。最高品質の、正規品ですの。……訂正なさい。『私の演算回路に芽生えた、最高品質の正規感情を、本日、貴女に申請いたします』、と」
ルシフェルの喉が、声にならない音を立てた。
そして、慌ててペンを取り、申請書の該当部分を、丁寧に、書き直した。
「……書き直し、ました」
「結構ですわ。それでは、セレーネ、判子を」
「は、お嬢様」
セレーネは、丁寧に、判子を取り出した。
朱肉に当て、余分を落とし、紙の目に沿って、まっすぐに置く。書類を千枚さばく手つきと、寸分違わない所作だった。
ただ、押し当てたあと、彼女の指は、いつもより一拍だけ長く、判子の上に留まっていた。
その瞬間——
帝国のヴォイド・コア中央演算機が、わずかに、温度を上げた。
歴史上、初めて、契約でも、復讐でも、ざまぁでも始まらない、純粋な「申請」と「承諾」が、帝国の中で、成立した瞬間だった。
「……あの、お嬢様。ご結婚式は、いつ頃を予定なさいますか?」
ルシフェルが、ようやく、頭を上げて、問うた。
エリザベートは、艶やかに微笑んだ。
「ちょうどよろしいですわ。来月、私が主催する『卒業パーティー』の場で、お二人の婚約発表を、なさいませ」
「卒業……パーティー?」
「ええ。私の引退記念ですわ。……四十一人の同志、新しい妹たち、ローズ様、ジュリアン氏、ケルちゃん、各次元の元・神々と元・魔王、待合室で救った債務者の皆様、そして、貴方たち二人。……みんな、集まっていただきますわ」
エリザベートは、立ち上がり、執務室の窓辺に歩み寄った。
外には、宇宙の全域が、自立稼働の温度で、静かに、輝いていた。
「……陛下。私、後継者を、お決めいたしましたわ」
「……ほう?」
「『後継者を作らないこと』、それが、私の後継者ですの」
カエルスが、満ちた魂の温度で、艶やかに笑った。
「君らしい、選択だな」
「ええ。……セレーネとルシフェルの婚約が、その第一歩ですわ。これからは、帝国に、契約ではなく、申請が満ちる。……そういう、軽やかな宇宙を、私の卒業の置き土産に、いたしましょう」
女帝の最後の業務は、後継を「育てる」のではなく、後継を「不要にする」ことだった。
帝国に、初めての慶事ですわ!
ルシフェル君、最高の正規品感情を、申請なさいましたわね。セレーネさんも、無表情ながら、瞳の星が瞬きまくっておりますわ。
そして来月、あの夜に台無しにされた女帝の卒業パーティーが、今度こそ、本物として、開催されますわよ。招待状の宛名は、もう三百通を越えておりますの。
【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】、お二人の婚約に、ぜひ。




