第69話:二人の女帝、一年後の決算
一年後。
ヴォイド・コア最上階、月例会の円卓。
いつもの四十一人+αに加え、円卓の主座の隣に、もう一人、銀髪の少女が座っていた。
未来のエリザベートだ。
彼女の瞳には、もう、あの「深い欠損」は、なかった。
代わりに、E-56789のクロワッサンを齧る幸せそうな表情と、隣の現在のエリザベートと、肘でつつき合う気軽さがあった。
「未来さん、もうひとつ、いかが?」
「あら、E-56789さん。三つ目はさすがに、体重が」
「あはは、女帝に体重なんてございませんわよ!」
円卓に、軽やかな笑いが広がる。
その光景を、現在のエリザベートが、扇越しに、満足げに眺めていた。
「未来様。……一年が、経ちましたわね」
「……ええ。お早いものですわ」
月例会が一段落した頃、現在のエリザベートが、未来の自分に、静かに切り出した。
「貴女様の、ご決断を、伺ってもよろしくて?」
未来のエリザベートは、円卓の同志たちを、一人ずつ、ゆっくりと見渡した。
E-102の車椅子事業の報告書。E-78423の和平調停の成功例。ジュリアンの登録台帳。
そして、隣の現在のエリザベートと、彼女の隣のカエルス。
「……消える、お願いを、取り下げますわ」
円卓に、温かい、安堵の声が、一斉に上がった。
「ただし、現在のエリザベートとして、生きるのも、おかしな話ですわ。私には、貴女のような、新しい『現在』を生きる名前が、必要ですの」
「ええ。お考えが、おありで?」
未来のエリザベートは、立ち上がり、自分の銀髪を、軽く撫でた。
「……ローズ・ローゼンベルク、と。……『女帝エリザベート』ではなく、ただの『ローズ』として、これからは、生きていきたいですわ」
「素敵なお名前ですわね、ローズ様」
「ええ」
ローズと名乗った未来のエリザベートが、深く頷いた。
「私は、これからの一生を、四十一人の同志たちの『相談役』として、過ごします。……『未来から来た者』として、皆様の経営判断に、長期視点の助言を差し上げますわ。……それと」
彼女は、ちらりと、隅に座っていた、ある人物を、見つめた。
帝国「新規入荷エリザベート登録官」の制服を着た、銀髪の青年——ジュリアン(第1世界)だった。
「……ジュリアン氏」
「は、はい!?」
ジュリアンが、青ざめた。
数千の次元のうち、最も古典的に、彼を断罪した「原型」の未来版から、急に名前を呼ばれたのだから、無理もない。
「貴方が、登録官として、毎月、几帳面に台帳を整理なさるのを、私、一年見ておりましたわ。……あの誠実な仕事ぶり、本当に、立派ですの」
「あ、ありがとうございます……」
「もしよろしければ、来月から、私の『経営顧問補佐』を、兼任していただけませんかしら? 貴方の几帳面さは、長期視点の戦略立案に、大変、お役に立ちますの」
「……ま、まさか、私を、ですか……?」
「ええ。……私が、貴方を許したのではありませんわ。貴方の、この一年の仕事ぶりが、貴方自身を、新しい立場に持ち上げたのです」
ジュリアンの手から、台帳が滑り落ちかけた。
それを慌てて抱え直し、彼は、深く、深く、頭を下げた。
「……謹んで、お引き受けいたします、ローズ様」
その光景を、現在のエリザベートが、扇越しに、満足げに、しかし、少しだけ複雑な顔で、眺めていた。
月例会の閉会後。
執務室で、カエルスがエリザベートに、紅茶を淹れた。
「……エリザベート。君、今、少し複雑な顔をしているな」
「ええ、陛下。気付かれましたのね」
エリザベートは、紅茶のカップを、両手で包んだ。
「ローズ様が、私の覇道を、引き継いでくださる方向に、進んでいらっしゃる。それは、嬉しいのですわ。……ですが、私自身は、これから、何をすればよろしいのかしら?」
「……」
「四十一人の同志たちは、自分の事業を、自分で運営している。新しい妹たちは、自分のペースで、自分の世界で生きている。ローズ様が、長期視点の相談役を引き受けてくださった。ネットワークは、自立稼働している。読者様は、もう、誰も口出しできない」
カップを包んだ手のひらに、熱が伝わってくる。その熱だけが、今、彼女に残っている仕事のようだった。
「……つまり、私という『女帝』の役割は、もう、どこにも、必要ないということ」
「ああ」
カエルスは、紅茶を、優雅に啜った。
「ようやく、君は、自分自身を『失業者』にできたな」
「……陛下。それ、慰めですの?」
「いや、おめでとう、だ」
カエルスは、満ちた魂の温度で、艶やかに笑った。
「君は、生まれて初めて、女帝でも、皇后でも、経営者でもない、ただの『エリザベート・フォン・ローゼンベルク・アルカディア』として、生きる権利を、手に入れた」
「……ふふ」
エリザベートは、夫の言い分を、しばらく噛みしめていた。
そして、ゆっくりと、紅茶を飲み干した。
「……陛下。私、退屈ですわ」
「いい兆候だ」
「ええ。……どうしましょうか、これから」
「旅にでも、出るか?」
その瞬間——
女帝の長い季節が、静かに、しかし、確かに、終わった。
女帝の役割が、女帝の手を離れた、その日のことだった。
第三章、無事に閉幕ですわ。
未来様、改め「ローズ様」として、新しい役割をお引き受けくださいましたわね。
そして、現在の女帝は、生まれて初めて「失業」しましたの。
次の章は、最終章。女帝が「ただのエリザベート」として、退屈な朝から、新しい人生を始めますわよ。
【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】、女帝の「ご引退」に、ぜひ。




