第62話:「迎えに行く」のリスク、自己選択の罠
ある日、ヴォイド・コアの中央モニターに、奇妙な「赤い通知」が灯った。
『新規入荷検出:E-99999。発生世界:第99999並行世界。状況:婚約破棄、完了済み。経過:既に独自帝国を運営中。本人より、立入禁止勧告あり』
「……あら」
エリザベートは、扇の手を止めた。
「立入禁止勧告、ですって?」
「は、お嬢様。E-99999は、お嬢様の支援を一切拒否し、ご自身の世界で、すでに独自の覇道を完成させていらっしゃいます」
セレーネが、淡々と報告する。
「興味深いわね。……陛下、ご挨拶だけ伺いましょう」
「いや、エリザベート。それこそが、彼女が拒否したいことではないのか?」
カエルスが、紅茶のカップを置いて、妻に向き直った。
「彼女は『来るな』と言っている。君が『挨拶』として乗り込むことが、すでに彼女の境界を犯している」
「……ですが、陛下。同じ顔の妹が、一人で覇道を歩んでいるのですわよ? 心配しないわけには——」
「心配は、君の都合だ」
カエルスの言葉は、優しく、しかし鋭かった。
エリザベートの扇が、開きかけたまま、止まった。
「……」
「君が彼女のことを思うのと、君が彼女に介入する権利を持つのは、別の話だ。……それは、ファウストが君にしたことと、構造的に同じだぞ」
エリザベートは、扇を、ゆっくりと、テーブルに置いた。
「……陛下。今日も、貴方の知性が、私のそれを上回りますわね」
「半分の魂のせいだ」
「ふふ。……では、こちらから出向くのは、やめましょう。……ただ、向こうから来てくださるのを、お待ちすることにいたしますわ」
予想外に、そのお招きは、その日のうちに、向こうから届いた。
午後三時、ヴォイド・コアの正面ロビーに、E-99999が、一人で堂々と入ってきた。
供も、護衛も、連れていない。大理石の床を打つ靴音だけが、ロビーの高い天井に、規則正しく返ってくる。
漆黒のドレスに、銀の冠。
顔立ちは、エリザベートと同じだったが、雰囲気は、まるで違った。
より鋭く、より孤独に、より燃えていた。
「お初にお目にかかります、E-001さん」
彼女は、エリザベートを「お母様」とも「お姉様」とも呼ばなかった。
ただの「E-001さん」だった。
「私の世界には、来ないでいただきたい。それを、直接お伝えに参りましたわ」
「……理由を伺っても?」
「あなた様の覇道は、見事ですわ。ですが、私の覇道とは、流儀が違います。混ざると、お互いの作品が、濁ります」
E-99999は、扇を持っていなかった。
代わりに、銀の懐中時計を、いつも左手で握りしめていた。
「私は、私の世界で、私の方法で、私の敵を、すでに完封済みです。……あなた様の『教育』も、『相互融資』も、必要ございません。……分散ネットワークの一粒だけは、ありがたく頂戴いたしますが、それ以上は、結構ですわ」
「……承知いたしましたわ、E-99999」
エリザベートは、深く頭を下げた。
女帝が、自分と同じ顔の相手に、交渉ではなく承服として頭を下げたのは、これが初めてだった。
背後で、セレーネの記録用の光が、一瞬だけ強くなる。この一礼を、台帳に残すべきだと判断したのだろう。
「貴女の境界を、尊重いたします。今日以降、私の側からは、貴女の世界に、一切の介入をいたしません。お約束いたします」
「ありがとうございます。それと、もう一つ」
E-99999は、懐中時計を、テーブルに置いた。
「これを、契約書代わりに、お預けいたします。……万が一、あなた様の側で、私の世界への介入が発生した場合、この時計が、止まります。止まった瞬間、私からあなた様の世界に、対等な『反介入』を行う権利を、確約していただきたい」
「ええ。……『相互不干渉条約』、調印いたしますわ」
エリザベートは、扇代わりの指で、テーブルの上の時計に、優雅にサインを書いた。
その瞬間、時計が、わずかに金色に光り、契約が成立した。
「ありがとうございます」
E-99999は、最後に、ほんのわずか、口角を上げた。
「……お姉様。あなた様が、私と同じ顔をしていることは、誇りに思いますわ」
それだけ告げて、彼女は、踵を返し、ロビーを出ていった。
「……」
エリザベートは、回転扉の向こうに靴音が消えるまで、その背中を見送った。
「……陛下。私、今、ようやく、ファウスト様の気持ちが、少し分かりましたわ」
「ん?」
「彼が三千二百年もかけて、宇宙の物語を運営してきた理由——『どの妹も、自分の手の届く範囲に置きたかった』のですわ。……その『置きたい』という願いそのものが、宇宙の最大の歪みだった」
カエルスは、妻の手を、静かに握った。
「君は、ファウストとは違う。彼女が『来るな』と言った時、君は、本当に行かなかった」
「ええ。……行かなかった、というよりも、行く権利を、彼女が認めなかった。それだけのことですわ」
エリザベートは、テーブルの上の懐中時計を、扇のように、指先で軽く撫でた。
その金色の光は、彼女の覇道の、新しい「制約」として、永遠に、刻まれた。
E-99999、なんと格好いい妹でしょう。「お姉様」と呼ぶのを最後の一言まで取っておくあたり、最高ですわ。
女帝、ファウスト様と同じ轍を踏まずに済みましたわね。「迎えに行く」の優しい暴力性に、気付かれたお陰ですわ。
次は、四十一人の月例会。クロワッサンのタワーを囲む和やかな席に、差出人の欄が二文字しかない通知が、一通だけ紛れ込みますの。
【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】、女帝の「不介入」の重みに、ぜひ。




