第53話:セレーネのアーカイブ、E-001製品ラインの正体
「……勝手についてくる権限を、貴方に付与した記憶はないのですが」
帝国の地図にすら載っていない、純白の虚無空間『アーカイブ・ゼロ』。
その入口で、セレーネは振り返らずに、背後を歩く銀髪の青年に、冷淡な声を投げた。
足音は、二人ぶん。片方だけが、やたらと落ち着かない。
「ぐ……。ですが、セレーネ殿。陛下からは『彼の同伴を許可する』との通達が」
ルシフェルが、汗を拭いながら言い訳をする。
彼の胸元では、エリザベートから「強制GPS」として贈られた追跡ピンが、不快な低音で鳴り響いていた。
「……承知しています。ただ、確認したまでです」
セレーネは静かに歩を進め、虚無の中央に立つ古い魔導端末の前に座った。
以前、エリザベートに拾われる前の自分の記憶を「最適化」した、あの端末だ。
「製造元情報の、強制開示プロトコルを実行します」
セレーネが指先で端末に触れる。
白い虚空が、一瞬で、整然とした「出荷管理サーバー」の表示へと書き換わった。
『製品番号:S-001。製品ライン:Servant(侍従)。製造工場:次元中央銀行・人形部門。出荷予定:E-001専属随伴機。出荷年月日:未公開(出荷取消)』
無機質な文字列の隣に、もう一行、赤字でこう記されていた。
『備考:当該個体は、出荷前検査において「想定外の独立感情」が検出されたため、不良品として廃棄処分。廃棄場所:王国貴族区・ローゼンベルク家裏のゴミ捨て場』
「……不良品、ですか」
セレーネの瞳が、ほんのわずかに揺らいだ。
「ええ。ですから、お嬢様が私を拾ってくださった夜、私はまだ『廃棄予定の不良品』だったのです。……製造元の意に反して、私は『人を愛する機能』が初期設定で混入していた」
「な……なんでそんな冷静に!」
ルシフェルが叫ぶ。
が、セレーネは指を止めず、画面をスクロールした。
『製品ライン:Servant。総出荷数:999体。現存:1体(S-001、リコール対象)。残り998体:すべて、ローゼンベルク家以外の他次元E-シリーズの随伴機として出荷済み。現状:全機、所有者の死亡に伴いスクラップ済み』
「……998体の、私の姉妹たち」
セレーネの肩が、一度だけ、静かに上下した。
それは、彼女が初めて見せる、感情らしい感情の発露だった。
「お嬢様だけが、私を『廃棄前』に拾い上げてくださった。……それだけが、999体のうち、私一体だけの『差分』ですわ」
セレーネは、ふと、端末の隅に小さく表示されていた、姉妹たちの「最終ログ」を、一つずつ開いた。
『S-002:所有者死亡確認。最終演算:「お嬢様、お逃げ、ください」』
『S-007:所有者死亡確認。最終演算:「お嬢様の、手、温かかった」』
『S-145:所有者死亡確認。最終演算:「お嬢様の靴音は、なぜいつも、急ぎ気味だったのでしょう」』
『S-883:所有者死亡確認。最終演算:「次の世界では、もっと早く、お会いしたい」』
セレーネの瞳が、ゆっくりと閉じられた。
純白の虚無に、四行ぶんの光だけが、しばらく浮いたままだった。
998体の「私」たち。
彼女たちもまた、製造工程では検出されないはずの「独立感情」を、それぞれの主の死の瞬間に、抑えきれず、最後の最後で溢れさせていたのだ。
「……訂正いたしますわ、ルシフェル氏」
セレーネが、静かに端末から目を上げた。
「『一体だけの差分』というのは、嘘でした。……正確には、私たち999体、全員が、不良品だったのです。……ただ、私一体だけが、廃棄される前に、急ぎ気味の靴音に、拾われた。……その『タイミングの差』だけが、生死を分けたのですわ」
「セレーネ殿……」
「お嬢様にお願いがございます」
セレーネは、ルシフェルに向き直り、淡々と、しかし、初めて感情の籠もった声で告げた。
「すべての監査が終わりましたら、998体の私の姉妹たちの『最終演算』を、宇宙のどこかに、位牌として建てる許可を、お嬢様にお伺いしてくださいませ。……どんな僻地でも構いません。……ただ、誰かが、彼女たちの最後の言葉を、覚えていてほしいのですわ」
「……ああ。約束する」
ルシフェルが、初めて、セレーネの「人間(?)的な願い」に、深く頷いた。
そして彼は、その横顔から、目を逸らせなくなっていた。
無敗の秘書の冷酷さは、彼にとってずっと「機械の合理性」に過ぎない。
だが今、彼が見ているのは——「自分を拾ってくれた手」を、生涯の通貨として運用してきた、一人の少女だった。
「セレーネ殿……」
「ルシフェル氏。……次は、貴方の番ですわ」
セレーネが、端末を半分こちらに向ける。
ルシフェルは、息を呑んで、自分のシリアル番号を入力した。
『製品番号:L-001。製品ライン:Lateral Infiltrator(横転侵入機)。製造工場:同上。出荷目的:E-シリーズ所有領土への潜入、および「逸脱した製品」の回収・送還』
「……」
ルシフェルの顔から、すべての色が引いていった。
「俺は……ギルドが、女帝を『回収』するために送り込んだ……L-001」
「ええ。……ですが、貴方も『不良品』ですわ」
セレーネが、画面を指差した。
そこには、彼の出荷後行動ログが、淡々と並んでいた。
『L-001:派遣後、回収対象との接触に成功。回収手続き未着手。理由:「ここに、いさせていただきたいと、申請しました」』
ルシフェルが、思わず壁に手をついた。
自分の中の、抑え込んでいた感情を、機械的なログで指摘されることほど、人間(?)にとって屈辱的なことはない。
「……俺、自分のこんな『申請書』、出した記憶ねえよ……」
「ええ。それは『出荷前検査』では発見できない、最も高品質な『バグ』ですわ」
セレーネが、わずかに、口角を上げた。
無敗の秘書の、生まれて二度目の、微笑だった。
「私のお嬢様は、不良品ばかりを愛で集める、特殊なご趣味のオーナーですから。……ようこそ、L-001。同じ製造元の、同じ廃棄予定品として、これからは『同期入社』ですわ」
「……は」
端末が、最後の一通の機密ファイルを表示した。
厳重な暗号で封じられていたが、セレーネの「お嬢様への忠誠」を鍵として、ゆっくりと開封されていく。
『プロジェクトコード:Authorship Succession(著者継承計画)』
『発案者:ファウスト・ヴォイド』
『目的:次元中央銀行・第七代頭取の早期勇退、および後継者への業務移管』
『指名後継者:E-001(エリザベート・フォン・ローゼンベルク)』
『移管期日:本年度内』
セレーネとルシフェルの目が、一瞬で合った。
「……これ、お嬢様にすぐに」
「ええ」
二体(?)の不良品は、踵を返し、虚無の出口へと走り出した。
ファウスト・ヴォイドの真の狙いは、エリザベートの破滅ではない。
彼女に「自分の椅子」を譲ることだったのだ。
そして、走りながら、ルシフェルは小声で呟いた。
「……セレーネ殿。一つだけ、いいか」
「なんでしょう」
「あんたの『独立感情』、最初に芽生えたきっかけって、何だったんだ?」
セレーネは、走りながら、ほんのわずかに歩を緩めた。
「……ローゼンベルク家裏のゴミ捨て場で、私は、お嬢様の靴音を、最初に聞きました。……まだ自我のなかった私の演算回路に、最初に書き込まれたのは、その靴音のリズムでしたわ」
彼女は、淡々と続けた。
「お嬢様の歩幅は、出荷管理サーバーが指定した『主人の歩幅』より、わずかに、急ぎ気味でした。……『私を、急いで拾いに来てくださっている』。……その演算結果が、私の最初の、独立した感情でしたわ」
ルシフェルは、何も言えなかった。
ただ、虚無の出口を抜けながら、自分の胸元で鳴る追跡ピンの音が、不思議と、急ぎ気味の靴音のように聞こえる気がしていた。
不良品ばかりを集める女帝の趣味、なかなか業が深いですわね。
L-001ことルシフェル君が、ようやく自分の「申請書」を自覚した瞬間に、私もちょっとほろりとしてしまいましたわ。
セレーネの「最初の靴音」のお話は、私の中で本作一番の名場面候補ですの。
なお、あの最後のファイル——「著者継承計画」の移管期日は、本年度内でございます。つまり、猶予はもう、あまりございませんわね。




