第51話:完璧な決算の翌朝、女帝のもとに「最も不愉快な督促状」が届きましたの
皆様、お久しぶりですわ。桐谷ルナでございます。
第50話にて「完璧な決算」をお届けしてから、ずいぶんと間が空きましたわ。
あの夜、女帝エリザベートは確かに、全宇宙の借金を「全額キャッシュで」買い叩きましたわね。
……ですが、ふと、思いませんこと?
その「キャッシュ」は、一体どこから出ていたのでしょう、と。
本日より、本作は「再開」ではなく「再監査」を開始いたします。
今度の被監査対象は——女帝エリザベート、そのひと自身ですの。
その朝、女帝エリザベートは、人生で初めて「自分の名前」が赤字で表示される朝を迎えた。
ヴォイド・コアの最奥、黄金の天蓋に守られた寝室。
彼女はいつものように、目覚めると同時に枕元の魔導タブレットへ手を伸ばした。全宇宙、全次元、全銀河の「利回り報告」を一秒で確認するのが、女帝の朝の儀式である。
だが今朝、画面に表示されていたのは、見慣れた黄金色のグラフではなかった。
『宇宙監査機構より緊急通知。被監査対象:エリザベート・フォン・ローゼンベルク。摘要:継続的な不当利得の受領。残額:算定不能』
「……あら」
エリザベートは、ゆっくりと指先を画面に滑らせた。
詳細を展開すると、そこには彼女がこれまでに享受した「勝利」の内訳が、一行ずつ几帳面に並んでいた。
『亡命先アルカディア帝国における身柄の安全保障。出所:未確認の融資』
『戴冠式に降り注いだ全大陸の祝福。出所:未確認の融資』
『並行世界観測装置の、無故障での連続稼働。出所:未確認の融資』
『建国記念日、帝都全域を濡らした「幸福の雨」。出所:未確認の融資』
『全次元の負債、一括帳消し。出所:未確認の融資』
すべて。
彼女が「自分の力で勝ち取った」と信じていた覇道の数々が、たった一行——「未確認の融資」という、出所不明の金で支えられていたと、その通知書は静かに告げていた。
寝台の隣で、漆黒の皇帝はまだ深く眠っている。半分しか持たない魂で、それでも彼女の隣で安らかな寝息を立てる男。
「……ふふ」
エリザベートは、震える指で枕元の扇を取った。
しかし、開く前に、その扇は彼女の手の中で、ぱきりと乾いた音を立てて折れた。
一片の傷も、外圧もなく。ただ自然な圧力で、黄金の扇骨が砕けたのだ。
金糸を織り込んだ扇面が、寝台の敷布の上に、羽根のように落ちた。
「……あらまあ。これは、傑作ですわ」
扇は、彼女の感情に最も忠実な道具である。それが「無傷で」砕けた。
つまり——女帝エリザベートが、自分自身の感情を、生まれて初めて制御できていない、という揺るがぬ監査結果だった。
「お嬢様」
影が、ノックもなく寝室に現れた。
セレーネ。常に無表情のはずの秘書は、しかし今朝に限って、その青白い瞳の光がほんのわずかに揺らいでいた。
「同じ通知書が、私の演算領域にも届いておりますわ。……加えて、もう一通」
セレーネは、二通目の通知書を主の前に静かに展開した。
そこには、これまでで最も短く、最も鋭い一文が記されていた。
『被監査対象:セレーネ。摘要:エリザベート・フォン・ローゼンベルクへの忠誠心の「無償譲渡」。受益者:同上』
「……」
エリザベートは、長く、長く、息を止めた。
夫の魂の半分。秘書の忠誠の全部。並行世界の「私」たちの命。そして、全宇宙の借金を肩代わりするための、底なしの資本。
これまでエリザベートが「自分の所有物」として運用してきたものすべて。
それらの本当の出所を、彼女は、一度たりとも、確認したことがなかった。
「セレーネ。……ルシフェルを」
返事はなかった。
なぜなら、その時にはもう、寝室の扉を蹴破る勢いで、青白い顔のインターンが転がり込んできていたからだ。
「陛下! こ、こ、これを見てください!」
ルシフェルが差し出したのは、彼の故郷——転生者ギルド本部から送られてきた、一通の緊急召喚状だった。羊皮紙の縁が、握りしめた指の形に湿っている。
「ギルドが……本拠『次元中央銀行』が、たった今、自ら『開店』を宣言しました。……宇宙の全住民に向けて、たった一つの『商品』を売り出すと」
「……商品?」
「貴女様が肩代わりした、宇宙の全借金。……あれを、買い戻したい者がいるなら、応じると。条件は——」
ルシフェルが、ごくりと喉を鳴らした。
「『女帝エリザベートの存在そのもの』を、担保にすること、です」
その瞬間、寝室の天井に、巨大なホログラム通信が割り込んできた。
帝国の最高機密層を、何者かが、まるで開いた窓を通るように突き抜けてきたのだ。
映ったのは、白髪の紳士だった。
仕立ての良い銀鼠の三つ揃いに、片眼鏡。年齢は読めない。表情は穏やかで、慈父のような気品さえ漂わせている。
『——お初にお目にかかります、エリザベート様。……いえ。お久しぶりです、と申し上げるべきでしょうか』
「……どなた、かしら」
『次元中央銀行・頭取、ファウスト・ヴォイドと申します。……銀河十二行の元締めであり、貴女様のこれまでの「ご融資元」でございます』
穏やかな声。だが、エリザベートの背筋を、これまで知らなかった種類の冷たさが走った。
神を裁いたときの冷たさでも、宇宙を凍らせたときの冷たさでもない。
「自分が、ずっと誰かの掌の上で踊らされていたかもしれない」という、知性そのものへの侮辱に対する、純度百パーセントの怒りだった。
『一つ、確認させていただきたいことがございまして。……貴女様が「全額買い戻し」を宣言なさいました、カエルス様の魂。……あれは、本当に「カエルス様のもの」だと、お思いですか?』
「——何を、仰っているの」
『そうですか。……では、私のほうから「監査開始」のご挨拶を、申し上げましょう』
ファウスト・ヴォイドは穏やかに微笑むと、エリザベートに向かって、目に見えない扇を、ゆっくりと閉じる仕草をしてみせた。
『——準備は、すべて整いましたわ』
通信が、切れた。
天井には、光の消えたあとの、わずかな熱だけが残った。
女帝が、生まれて以来、ただの一度も他人に明け渡したことのない台詞を、敵が先に口にした朝。
エリザベートは、砕けた扇の骨を敷布の上に集め、それから、隣で眠るカエルスの頬に、そっと指先を添えた。
「……陛下。お眠りのままで構いませんわ」
その瞳に、宿るのはもう「経営者の冷徹さ」ではなかった。
夫の半分の魂を盾にして覇道を歩いてきた、一人の女としての、これまで誰にも見せたことのない、剥き出しの感情だった。
「貴方の『隠し口座』、——本日、妻が、徹底的に開示させていただきますわよ」
女帝の第二部。
今度の戦場は、宇宙の外でも、神の上でもない。
彼女自身が、これまで一度も決算したことのない——「自分の幸福の出所」、その帳簿の中であった。
……ということで、桐谷ルナ、再起動いたしましたわ。
「完結」と申し上げたのは、半分ほど、嘘でございました。
正確には、第一部の決算があまりにも綺麗にまとまりすぎて、向こう側(皆様にはまだ見えない方々)の「不正会計」が、ようやく表に出てきただけのこと。
ファウスト・ヴォイド——彼の正体に、女帝も、皆様も、必ず一度は息を呑んでくださるはずですわ。
次回、眠っていた皇帝が、ようやくその「半分の魂」の内訳を、妻のために語ります。開示されるのは、三項目。
ぜひ【ブックマーク】の再点灯と、【☆☆☆☆☆】を、女帝の「自己監査」への一票としてお預けくださいませ。




