第9話 夜会へ
【前回までのあらすじ】
リーゼの土で育った北の薬草は、クラウスの氷で冷やして王都へ運ばれ、「北の雪の茶」として売り切れた。
一方、実家の伯爵家では、いちばん古い東の畑が枯れはじめ、妹ミレイユから「帰ってきて」と手紙が届く。
「帰りたくないです」と答えたリーゼに、クラウスは、王宮の夜会へ一緒に来てほしいと言った。
初めての、王宮の夜会のお話です。
「無理です」
招待状を前に、私は、首をぶんぶん横に振った。
「夜会なんて、一度も出たことがありません。ダンスも、八歳のときに、少し習っただけで」
「かまわない。俺も、ダンスは得意じゃない」
「それに、私が行ったら、クラウス様が笑われます。こんな、白い髪で」
クラウス様は、しばらく黙っていた。
それから、かまどの火を見たまま、言った。
「最初に城に来た日、君の髪を見て、雪原みたいだと思った」
「……え?」
「北の人間にとって、雪は、こわいものだ。人を凍えさせて、道をふさぐ。だが、晴れた朝の雪原は、どこよりもきれいだ」
クラウス様は、少しだけ、目をそらした。
「誰が笑おうと、かまわない。……俺には、美しく見える」
私は、何も言えなくなってしまった。
「……わかりました。行きます」
◇
それから一か月は、目が回るほど忙しかった。
王都から、仕立て屋さんがやってきた。
ダンスの先生もやってきた。
アンナは、毎晩、私の髪に香油をすりこんでくれた。
夜は、ハンスさんの「王都のお勉強」。
「夜会では、名前を知らない方に話しかけられても、あわてないことです。主な方々だけ、覚えておきましょう」
ハンスさんは、厚い帳面を開いて、一人ずつ教えてくれた。
王太子殿下。宰相様。王都の大きな商会の会頭たち。
「それから、この方。王宮薬師長の、エルマー様」
白くて長いひげの、おじいさんの絵だった。
「王宮の薬草園をあずかる方です。陛下のお茶も、王都の薬屋の薬も、この方が『よし』と言わなければ、出回りません。草木と土のことなら、この国で、いちばん詳しい方です」
「……北の雪の茶も、ですか?」
「ええ。王都で売りはじめたとき、一度、この方の目を通っております」
ハンスさんは、少しだけ、首をかしげた。
「ふしぎなことに、何もおっしゃらなかったそうです。ほかの茶なら、ひとこと、何かおっしゃる方なのですが」
畑のほうは、村の人たちが、交代で見てくれることになった。
子どもたちは、「奥様がいないあいだ、ぼくたちがカブに話しかけておく」と約束してくれた。
ダンスの練習の相手は、クラウス様がしてくれた。
一日目は、私が三回、クラウス様の足を踏んだ。
二日目は、二回。
五日目には、一回も踏まなくなった。
「上達したな」
「クラウス様が、合わせてくださるからです」
「……合わせているつもりはない」
「じゃあ、きっと、相性がいいんですね」
何気なく言ったら、クラウス様が、ぴたりと足を止めた。
「クラウス様?」
「……なんでもない。もう一曲だ」
耳が、少し赤かった。
◇
夜会の当日。
鏡の前に立った私は、それが自分だと、すぐには信じられなかった。
深い青色のドレス。
すそに向かって、銀糸で、雪の結晶と、小さな若葉の刺繍が散りばめられている。
クラウス様の雪と、私の畑。仕立て屋さんにそう頼んだのは、クラウス様だと聞いた。
白い髪は、アンナが、ゆるく編みこんで、まとめてくれた。
髪飾りは、渡し場の村の畑で咲いたカモミールを、銀細工の職人さんが形にしてくれたもの。
それから、胸元に、小さな匂い袋をしのばせた。
母の缶の底に、最後の一枚だけ残っていた、あの青い花びら。アンナが、お守りにと、縫いこんでくれたものだ。
鏡の中の私の目は、もう、灰色ではなかった。
「……奥様」
アンナが、目をうるませていた。
「きれいです。雪の精みたいです」
部屋を出ると、廊下に、クラウス様が立っていた。
黒の正装。銀の髪を、うしろになでつけて。
クラウス様は、私を見て、固まった。
一秒。二秒。三秒。
「……どこか、変ですか?」
「いや」
クラウス様は、片手で口元をおおって、目をそらした。
「……似合っている。とても」
◇
王都までの五日の旅を終えて。
王宮の大広間は、まぶしかった。
いくつものシャンデリア。色とりどりのドレス。
音楽と、笑い声と、香水のにおい。
「ヴァルトシュタイン公爵閣下、ならびに公爵夫人、ご到着!」
呼び出しの声が響いたとたん、広間が、ざわっとした。
「氷の公爵だ……」
「夜会に来るなんて、初めてじゃないか?」
「となりの方は? あの白い髪……」
「ハーヴェル家の、手のない姉のほうだろう? ずっと病気で、屋敷から出なかったという」
「病気? あれが?」
ささやき声が、波のように広がっていく。
私は、思わず、クラウス様の腕にかけた手に、力をこめてしまった。
「大丈夫だ」
クラウス様が、前を向いたまま、小さな声で言った。
「俺のとなりにいればいい」
その言葉だけで、背すじが、すっとのびた。
◇
最初の一曲は、クラウス様と踊った。
氷の公爵がダンスを踊っている、と、また広間がざわついた。
でも、私は、もう気にならなかった。
練習のときと同じ。
クラウス様は、私の手を取るとき、一瞬だけ、ためらう。
それから、そっと、壊れものにさわるみたいに、指をからめる。
二か月前までは、手袋ごしでなければ、ふれようともしなかった人が。
一曲が終わって、壁ぎわに下がったとき。
「――お姉様?」
聞きなれた、甘ったるい声がした。
ふり返ると、淡い緑色のドレスのミレイユが、立っていた。
すそに、金の糸で、葉っぱの刺繍。
いつか、地下室の階段で、くるりと回ってみせた、あのドレスだ。
うしろには、継母のドロテア様と、父も。
三人とも、目をまんまるにして、私を見ていた。
「うそ……お姉様、なの?」
ミレイユが、私の頭のてっぺんから、つま先までを見た。
青いドレス。銀の刺繍。カモミールの髪飾り。
それから、私のとなりに立つ、クラウス様を。
ミレイユの顔が、みるみる赤くなっていった。
「なによ、そのドレス……。お姉様のくせに、なんで……」
「ミレイユ」
継母が、ミレイユの腕を、ぎゅっとつかんだ。
それから、ぱっと扇を広げて、とびきりの笑顔をつくった。
「まあ、公爵閣下! ごきげんよう。娘が、いつもお世話になっております。この子、手もないし、お役に立てておりますかしら」
クラウス様は、何も答えなかった。
ただ、ゆっくりと、一歩前に出た。
私と、継母のあいだに、立つように。
「ハーヴェル伯爵夫人」
低い声だった。
「リーゼには、十分すぎるほど、助けられている」
それだけ言って、クラウス様は、私の手を取りなおした。
継母の笑顔が、ぴくりと引きつった。
ついに、家族と再会しました。
次回、ミレイユが○○を言い出します。
☆何個でもいいので、つけてください!




