第8話 二つの手
【前回までのあらすじ】
身代わりで北の氷の公爵に嫁いだリーゼは、渡し場の村のがれきを畑に変え、村の人たちと種をまいた。
公爵クラウスは、リーゼに外套や手袋を贈り、毎朝、執務室の窓から畑へ向かう姿を見ている。
けれどリーゼは、「一年たったら離縁する」という約束を、本気で信じている。
北の地の、初めての収穫のお話です。
城に来て、二か月。
渡し場の村の畑で、初めての収穫をした。
カブ。エンドウ豆。ほうれん草。
それから、薬草。カモミールに、ミントに、ラベンダー。
村の人たちが、総出で手伝ってくれた。
子どもたちは、自分で植えたカブを抱えて、雪の上をはねまわった。
「冬に、とれたての野菜が食べられるなんて……」
村長のおじいさんが、カブを手に、目をうるませていた。
「わしが子どものころから、冬は、塩漬けと干し肉しかなかった。南からの荷が止まれば、それもなくなる。それが、北の冬じゃった」
その夜、城の大広間で、収穫を祝うささやかな宴が開かれた。
料理長が、腕によりをかけて、カブのスープと、ハーブの焼き料理をつくってくれた。
城の人たちも、村の人たちも、みんなが笑っていた。
私は、大広間のすみで、それを見ていた。
――私の手で、つくった土。
そして、その土で育った、食べもの。
誰かのために、鍵のかかった部屋で、袋の数を数えながらつくった土じゃない。
どこかの知らない人のお茶会に、運ばれていく薬草でもない。
みんなでがれきを集めて、私が土にして、みんなで種をまいて、みんなで育てて、今、みんなで食べている。
テーブルの上の、湯気の立つカブのスープ。
子どもたちが、ほっぺたをいっぱいにして、ほおばっている。
胸の奥が、じんわりと、あたたかかった。
◇
収穫が終わった次の日、私は、畑の土に、両手を置いてみた。
土は、まだ、ふかふかと、あたたかかった。
私の土も、作物を育てるたびに、少しずつ、力を作物にわたしていく。それでも、三年はもつ。
「奥様、三年たったら、どうするんです?」
手伝いに来ていた村の男の人が、聞いた。
「新しい土を足すの。がれきを運んでもらって、私が手を置けば、元どおり」
「そりゃあ、たいへんだ……」
「地下室では、ひとりで、袋の数を数えながらやっていたから。今は、お日さまの下で、みんなとできるから、ずっと楽よ」
男の人は、なんとも言えない顔をして、黙って、私のとなりのがれきを運んでくれた。
◇
問題が一つあった。
薬草が、とれすぎたのだ。
城と村で使う分を引いても、倉に入りきらないほどの薬草が残った。
その夕方、城の倉の前に、みんなが集まった。
私と、ハンスさんと、料理長と、アンナ。それから、村長のおじいさん。
「王都で売れば、いい値になるはずです」
ハンスさんが言った。
「北の冬に育った薬草など、王都では誰も見たことがありません。ただ……王都までは、馬車で五日。摘んだ薬草は、三日もすれば、しおれてしまいます」
「なら、馬を替えながら、夜も走らせりゃいい」
村長が言った。
「峠の道は、雪で、昼でも、馬が歩くのがやっとです。夜は、危なくて走れません。どう急いでも、五日はかかります」
ハンスさんが、首を横に振った。
「じゃあ、塩漬けにしたらどうです。うちの野菜は、冬じゅう、それでもたせてますよ」
料理長が言った。
「薬草は、塩漬けにすると、お茶にならないんです。しょっぱくて」
私が言うと、料理長は、「そりゃそうか」と頭をかいた。
「乾かしたら、どうですか? 奥様の缶の薬草みたいに」
アンナが言った。
それは、私も考えた。
乾かせば、いくらでも、もつ。
「でも、乾かすと、香りが半分になってしまうの。乾かした薬草なら、王都には、ハーヴェルの茶が、もう、山ほどある。北の薬草が高く売れるとしたら、摘みたての香りがあるからよ」
みんな、黙ってしまった。
「……いっそ、来年は、つくる量を減らしますか」
村長が、ぽつりと言った。
「城と村で食べる分だけなら、売らんでも、困りはしません」
私は、すぐには、うなずけなかった。
村の人たちは、まだ、城下の空き家に住んでいる。
畑はできても、家は、がれきの山のままだ。
村に帰って、家を建てなおすには、お金がいる。
この薬草が売れれば、そのお金になる。
「……減らしたく、ないです」
私は、言った。
「でも、どうしたらいいのか、わからなくて」
倉の前が、しんとした。
山のような薬草が、夕暮れの中で、少しずつ、しおれはじめていた。
「――冷やせばいい」
うしろで、声がした。
ふり返ると、倉の入り口に、クラウス様が立っていた。
いつから聞いていたのだろう。
「凍らせはしない。凍らせたら、薬草は死ぬ。ぎりぎりのところで、冷やしておく」
◇
次の日。
厨房の裏口を出て、雪の小道を、百歩ほど。
城の北側の、切り立った岩壁のかげに、古い石の建物があった。
ここは、一日じゅう、お日さまが当たらない。
真昼なのに、吐く息が、すぐに白くこおった。
その前に、私とクラウス様と、ハンスさんがいた。
ヴァルトシュタイン家の、昔の氷室だった。
大きさは、城の馬小屋ひとつぶんくらい。
半分、地面に埋まっていて、外から見えるのは、雪をかぶった、低い石の屋根だけだ。
窓は、一つもない。
重い木の扉を、二枚くぐって、石の階段を五段下りる。
中は、思ったより、広かった。
荷車が二台、そのまま入るくらい。天井は、クラウス様が手をのばしても、とどかない。
石の壁は、私の腕の長さほども厚くて、壁ぎわには、木の棚と、古いわらが、ずらりと並んでいた。
ひんやりとして、うす暗くて、しんと静か。
古いわらと、石と、冬のにおいがした。
いちばん奥の壁ぎわに、細長い、石の水槽があった。
私が寝そべれるくらいの長さで、深さは、ひざくらい。
岩壁からしみ出す湧き水が、木のといをつたって、ちょろちょろと、そこに流れこんでいる。
あふれた水は、床の溝を通って、外へ流れていく。
クラウス様のおじい様の代までは、ここに冬の湖の氷をためて、夏のあいだ、城の食べ物を冷やしていたのだという。
今は、もう何十年も、使われていない。
クラウス様が、考えたやり方は、こうだった。
まず、摘んだ薬草を、この氷室に入れて、ひと晩、冷やしておく。
次の朝、荷車の荷台の、底と四方の板に、クラウス様が、氷の板を張る。
そこに、薬草をつめたかごを並べて、上にも氷の板をかぶせる。
最後に、わらと、厚い布でおおう。
荷台が、まるごと、動く氷室になる。
「氷の板が五日もてば、薬草は、王都まで、摘んだときのままだ」
ハンスさんが、こまった顔をした。
「旦那様。ふつうの氷では、荷車の上で、二日ともちません。それに、薬草に氷がじかにふれれば、葉が凍って、黒くなります」
「わかっている」
「でも、クラウス様。何かを作るのは、苦手だって……」
「ああ。苦手だった」
クラウス様は、石の水槽の前に、片ひざをついた。
そして、右手を、湧き水の中に、そっと入れた。
「凍らせて止めることはできる。だが、俺の氷は、いつも、まわりのものまで、全部、凍らせてしまう。形をととのえて、溶けにくく固めて、それでいて、そばのものは凍らせない。そういう加減が、ずっとできなかった。手が、言うことを聞かなかったからだ」
クラウス様の手のひらから、白い冷気が、すうっと流れ出した。
水槽の水の表面に、うすい氷が張っていく。
それが、少しずつ、下へ、下へと厚くなって。
クラウス様が手を引きぬくと、水槽の中に、ガラスみたいに透きとおった、きれいな氷の板ができていた。
厚さは、指三本ぶんくらい。
クラウス様は、それを、両手で、水槽から持ち上げた。
ひびも、にごりも、一つもなかった。
クラウス様は、その氷の板の前に、摘んだばかりのミントの束を、そっとかざした。
ミントは、凍らなかった。
葉の先に、うっすらと、つめたい露が浮いただけだった。
ハンスさんが、息をのんだ。
「旦那様……これは、先々代様の氷と、同じ……」
「この二か月、夜に、手があばれなくなった。あばれなくなったら、思いどおりに、形をつくれるようになった。……君の茶のおかげだ」
クラウス様が、私を見た。
「リーゼ。君の土で育てて、俺の氷で冷やして、王都へ運ぶ。……やってみないか」
◇
最初の荷車は、それから一週間後に、王都へ向かった。
五日後、王都の商会から、早馬で手紙が届いた。
『荷、すべて新鮮なまま到着。真冬に北の地で育った薬草とは、信じがたい。香りが、これまでのどの薬草茶より強い。「北の雪の茶」として売り出したところ、一日で売り切れた。次の荷を、三倍の量で頼みたい』
ハンスさんが手紙を読み上げると、厨房に集まっていた城の人たちが、わっと歓声をあげた。
クラウス様は、何も言わずに、手紙をハンスさんから受け取って、もう一度、自分で読んでいた。
その口のはしが、ほんの少しだけ、上がっていた。
私の手は、土をつくる。
クラウス様の手は、冷やして、守る。
ひとつずつなら、地下室の泥の手と、誰にもさわれない氷の手。
でも、二つ並べたら、北の野菜が、真冬の王都まで届いた。
――この人と、手をつないだら。
氷で守られてきたこの家を、もっと大きな家にできるのかもしれない。
そこまで考えて、私は、自分の手を見下ろした。
手をつなぐのは、一年だけ、だけれど。
◇
その手紙が届いたのは、二度目の荷車が出た日だった。
ピンク色の封筒。甘ったるい香水のにおい。
『お姉様へ
ねえ、うちの薬草畑が、おかしいの。
いちばん古い東の畑が、急に、何も育たなくなったの。去年まで、あんなに育ってたのに。種をまいても、芽が出ないの。
お母様は、畑の薬草茶を「植物の手の令嬢の茶」って名前で、十二の貴族の家と一年ぶんの約束をして、前金までもらってたんだけど、このままじゃ届けられないって、真っ青になってるの。
それに、ほかの畑も、なんだか、元気がないのよ。
お茶会でも、わたしの鉢の芽が出なくなっちゃったし。
みんな、変な顔してる。
それにね、最近、王都で「北の雪の茶」っていうのが売れてるんですって。
ハーヴェルの茶より香りがいいって、みんな、そっちを買うの。
ねえ、お姉様、なにか細工していったんでしょう?
とにかく、帰ってきて。地下室、ちゃんと空けてあるから。
公爵様には、「実家の用事」って言えばいいでしょ。どうせ、泥の手の妻なんだから、いなくなっても気づかれないわよ。
ミレイユより
追伸 来月、王宮の夜会があるの。わたし、「植物の手の令嬢」として、王太子殿下に、ダンスを申しこまれる予定なの』
◇
手紙を読み終えたとき、ふしぎと、手は震えなかった。
細工なんて、していない。
私が、毎年していたことを、もう誰もしていないだけ。
地下室に、帰ってきて。
前の私なら、きっと、すぐに荷造りをしていた。
「家のため」と言われたら、それが当たり前だと思っていたから。
でも、今は。
窓の外に、渡し場の村の畑が見える。
村の子どもたちが、雪の中で、新しいがれきを、えっさえっさと運んでいる。
私は、手紙を、そっとたたんだ。
その夜、厨房で、クラウス様に手紙のことを話した。
クラウス様は、黙って聞いていた。
聞き終わると、カップを置いた。
「帰りたいのか」
「いいえ」
すぐに、答えが出た。
「帰りたくないです。あの部屋には、もう、戻りたくないです」
クラウス様は、少しだけ、目を細めた。
それから、手紙を、もう一度、手に取った。
「『どうせ、泥の手の妻なんだから、いなくなっても気づかれない』」
クラウス様が、手紙の一行を、低い声で読んだ。
かまどの火が、ふっと、小さくなった。
「……気づかれない、か」
クラウス様は、手紙を置いた。
「俺は、七年、王都の夜会に一度も出ていない。毎年、招待状は来るが、全部、断ってきた。だから王都の者は、北の公爵に妻がいることも、その妻がどんな人なのかも、ほとんど知らない」
クラウス様は、上着のポケットから、一通の封筒を取り出した。
金色のふちどり。王家の紋章。
「だから、こういう手紙が来る」
封筒を、かまどの横の作業台に置いた。
「来月の、王宮の夜会だ。君の妹も来るらしい。『植物の手の令嬢』として」
「……はい」
「今年は、出ようと思う。北の公爵の妻が誰なのか。『北の雪の茶』を、誰の手が育てているのか。王都の者に、自分の目で見せる」
青い瞳が、まっすぐに、私を見た。
「リーゼ。俺と一緒に、来てくれないか」
土の手と氷の手。二つの手で、北の地が動き出しました。
一方、伯爵家の薬草畑は、いちばん古い畑から、育たなくなってきたようです。
次回、初めての王宮の夜会です。




