第7話 公爵様の様子がおかしい
【前回までのあらすじ】
身代わりで北の氷の公爵に嫁いだリーゼは、毎晩、眠れない公爵クラウスにお茶を淹れている。
クラウスは、リーゼの土を見て「泥の手ではない。君の手は、北の宝だ」と言った。
城の人たちにも土の手を受け入れられ、リーゼは、魔物にこわされた渡し場の村のがれきを、畑に変えはじめた。
今回は、侍女アンナの視点です。
わたし、アンナ。ヴァルトシュタイン城の侍女になって、三年目です。
わたしがお城に来たときから、旦那様は、ずっと「氷の公爵様」でした。
お顔は、いつも、こわいくらいに静か。
使用人に話しかけるのは、用事のあるときだけ。それも、ひとことか、ふたこと。
夜になると、ご自分の部屋に閉じこもって、朝まで出ていらっしゃらない。
笑ったお顔なんて、一度も見たことがありませんでした。
それが、最近。
旦那様の様子が、おかしいのです。
◇
まず、朝ごはん。
これまでの旦那様は、朝ごはんを召し上がりませんでした。
夜じゅう、ご自分の氷の部屋にこもっていて、朝はそのまま執務室へ。
料理長が、毎朝、さみしそうに冷めたスープを下げていたものです。
それが、先月から。
「……リーゼは、もう食堂にいるか」
旦那様が、朝、食堂にお見えになるようになったのです。
奥様と、長いテーブルの、端と端に座って。
特に何を話すわけでもなく、黙々とパンを召し上がって。
でも、奥様が「おはようございます、クラウス様」とおっしゃると、旦那様は、ちゃんと「ああ。おはよう」とお返しになるのです。
料理長は、それを厨房の小窓からのぞいて、泣いていました。
◇
次に、贈り物。
ある朝、奥様のお部屋に、大きな箱が届きました。
開けてみると、外套が入っていました。
深い緑色の。若葉みたいな色の。
持ち上げると、ずしりと重くて。
えりには、銀ぎつねの毛皮が、ぐるりとついていて、指をうずめると、指先が見えなくなるくらい、ふかふか。
裏地には、羊の毛が、びっしり。
着たら、北の吹雪の中でも、汗をかいてしまいそうな外套でした。
「アンナ、これ、何かの間違いじゃないかしら」
奥様は、首をかしげていました。
「間違いじゃありませんよ。旦那様からです」
「でも、私、何もお願いしていないわ」
「奥様が、毎朝、薄い、つぎはぎの外套で渡し場の村の畑へお出かけになるのを、旦那様、執務室の窓からご覧になっていたんですよ」
これは、ハンスさんから聞いた話です。
旦那様の執務室は、城の東の塔の上にあって、窓から、城下の町と、その先の大河と、渡し場の村のあとが見わたせるのです。
旦那様は、毎朝、馬そりで渡し場の村へ向かう奥様を、そこから見ていらっしゃるそうです。
「寒そうだ」
と、ある朝、ぼそっとつぶやかれたのだとか。
その日の午後には、もう、仕立て屋さんが呼ばれていました。
次の週には、手袋が届きました。土いじりのための、やわらかい革の手袋。
その次は、長靴。
その次は、薬草の古い図鑑。王都の古本屋さんから、取り寄せたものだそうです。
「アンナ……」
図鑑を抱えた奥様が、困った顔でおっしゃいました。
「私の格好、そんなに、みすぼらしいのかしら」
「え?」
「公爵家の奥様が、つぎはぎの外套で村を歩いていたら、クラウス様が笑われてしまうものね。……気をつけなきゃ」
わたしは、心の中で叫びました。
――奥様! ちがいます! ぜんぜん、ちがいます!
――みっともないなんて、旦那様、ひとことも言っていません!
――旦那様は、奥様が寒くないか、心配で心配で、しかたないんです!
――恥ずかしい人を、執務室の窓から、毎朝ながめたりしません!
でも、口には出しませんでした。
ハンスさんに、「おふたりのことに、使用人が口を出すものではありません」と、きつく言われているのです。
◇
それから、畑。
旦那様は、執務の合間に、ときどき、渡し場の村の畑にお見えになるようになりました。
畑のはしで、腕を組んで、じっと立っていらっしゃいます。
村の子どもたちは、最初、こわがって、奥様のうしろに隠れていました。
なにしろ、氷の公爵様です。
でも、ある日。
村のおばあさんの孫の、ペーターくん。五つ。
畑に来る子の中で、いちばん小さな男の子です。
そのペーターくんが、とことこと旦那様のところへ歩いていって、カブを一つ、差し出したのです。
「こうしゃくさま、これ、ぼくがそだてたの」
旦那様は、固まっていました。
しばらく、本当に、しばらく固まっていらっしゃいました。
それから、ゆっくりと、手袋をはめた手で、カブを受け取って。
「……立派だ」
と、おっしゃいました。
ペーターくんは、うれしそうに、奥様のところへ走って戻っていきました。
奥様は、それを見て、笑っていらっしゃいました。
◇
そう。奥様は、笑うようになったのです。
お城に来られたばかりのころの奥様は、なんというか、とても静かな方でした。
雪みたいな白い髪。陶器みたいな白い肌。
とてもおきれいなのに、目だけが、いつも、どこも見ていないような色をしていました。
お話ししていても、声に、うれしいも、かなしいも、ないような。
わたし、正直、少しこわかったのです。
この方は、どこか、遠いところに心を置いてきてしまったんじゃないかって。
それが。
畑で、子どもたちに囲まれて。
料理長に、ハーブのスープをほめられて。
旦那様に、外套を贈られて、困った顔をして。
少しずつ、少しずつ、奥様の目に、色が戻ってきたのです。
最初は、灰色だと思っていました。
でも、ある朝、髪をとかしてさしあげていたとき、鏡の中の奥様の目が、窓からの光で、きらっと光りました。
緑色でした。
春の、若葉みたいな。
「奥様の目、緑色だったんですね」
思わず言うと、奥様は、鏡をのぞきこんで、少し驚いた顔をされました。
「……母も、そう言ってくれたの。八つのときに死んだ、本当の母。若葉の色ねって」
奥様は、鏡の中の自分を、しばらく見つめていらっしゃいました。
「でも、母が死んでから、十年。継母は、私の顔なんて、見ようともしなかったし。地下室には、鏡もなかったから」
奥様は、小さく笑いました。
「……忘れていたわ」
◇
その夜。
使用人の休憩室で、みんなで、こっそり話し合いました。
「王命で、しかたなく迎えた奥様のはずなのにね」
「旦那様、あれ、もう、ぜったい恋してるよね」
「朝、奥様が食堂に来るまで、旦那様、ずっと扉のほう見てるもん」
「この前なんか、奥様が熱を出して畑を休んだ日、旦那様、執務室と奥様のお部屋の前を、二十往復なさったって」
みんなで、くすくす笑いました。
でも、ハンスさんだけは、笑っていませんでした。
「問題は、旦那様が、ご自分でお気づきになっていないことです」
ハンスさんは、紅茶のカップを置いて、ため息をつきました。
「それと、奥様も」
そうなのです。
奥様は、「一年たったら離縁する」という約束を、本気で信じています。
この前も、「離縁のあと、どこかの村で、小さな畑を借りられたらいいな」と、うれしそうにお話しされていました。
「旦那様は、ご自分の手を、人を凍らせるものだと思っておられます」
ハンスさんが、静かに言いました。
「人を好きになっていい、と思ったことが、ないのでしょう。七年前のあの夏から、ずっと」
ハンスさんは、それ以上は話してくれませんでした。
七年前の夏のあと、このお城で、何があったのか。古くからいる人たちは、みんな、そこで口を閉じるのです。
休憩室が、しんとしました。
「……じゃあ、どうしたらいいんですか」
わたしが聞くと、ハンスさんは、窓の外を見ました。
厨房のほうに、小さな明かりが、ともっていました。
今夜も、おふたりのお茶会です。
「お見守りするのです。わたくしたちにできるのは、それだけです」
まわりは全員気づいているのに、本人たちだけが気づいていません。
次回、凍った北の地に、初めての収穫が来ます。そして、伯爵家から一通の手紙が。




