第10話 取り消せ
【前回までのあらすじ】
リーゼは、クラウスと一緒に王宮の夜会に出た。
広間で、実家の父と継母、そして「植物の手の令嬢」と呼ばれる妹ミレイユに再会する。
継母の嫌みに、クラウスは「リーゼには、十分すぎるほど、助けられている」と答えた。
夜会の広間で、ミレイユが言い出したことのお話です。
「リーゼ。少し、話がある」
父が、低い声で言った。
「ミレイユの手紙は、読んだだろう。地下室のことだ。屋敷に戻って――」
「お父様、こんなところで」
継母が、父の袖を引っぱった。
まわりの貴族たちが、ちらちらとこちらを見ていたからだ。
継母は、声をひそめて、私にだけ聞こえるように言った。
「リーゼ。北の雪の茶、あれは、うちの薬草茶のまねでしょう。地下室で、ミレイユのお茶の配合を盗み見て、種まで持ち出したのね?」
「何も、持ち出していません」
◇
そのとき。
「ねえ、皆様、お聞きになって?」
ミレイユが、急に、大きな声を出した。
まわりの令嬢たちに、話しかけるように。
でも、広間じゅうに聞こえるように。
「最近、王都で人気の『北の雪の茶』。あれ、本当は、ハーヴェルの薬草茶のまねなのよ」
広間が、少しだけ静かになった。
「お姉様が、北に嫁ぐとき、うちの薬草の種と、わたしが何年もかけて考えたお茶の配合を、こっそり盗んでいったの」
ミレイユは、悲しそうに目をふせた。
「お姉様には、手がないの。生まれたときから。だから、ずっと、わたしのことがうらやましかったんだと思う。かわいそうなお姉様……」
令嬢たちが、扇のかげで、ひそひそとささやきあった。
「まあ……」
「妹の手柄を、横取り……?」
「手のない方って、そういう……」
顔から、血の気が引いていくのがわかった。
違う、と言いたかった。
でも、言葉が出てこなかった。
十年間、言い返したことなんて、一度もなかったから。
口を開けても、喉の奥で、声が、地下室の壁にぶつかって止まってしまう。
ミレイユが、勝ちほこったように、私を見て笑った。
そのとき、私の手を、誰かが、しっかりとにぎった。
クラウス様だった。
手袋ごしでも、わかった。
少しだけ、冷たい手。
でも、凍らせるような冷たさじゃなかった。
「――取り消せ」
クラウス様の声は、静かだった。
静かなのに、広間のすみずみまで、はっきりと届いた。
音楽が、いつのまにか、止まっていた。
「な、なによ……」
「リーゼを、盗人と呼んだことを、取り消せ」
ミレイユは、一歩あとずさった。
でも、すぐに、あごをつんと上げた。
「と、取り消さないわ! 本当のことだもの! ハーヴェルの薬草茶は、わたしの植物の手で育てたものよ! 王都じゅうの人が知ってるわ!」
「そうか」
クラウス様は、少しも声を荒げなかった。
「北の雪の茶は、北の畑で育てて、北の城の厨房で、北の者たちとつくったものだ。ハーヴェル家のものは、種ひと粒も使っていない。疑うなら、いつでも、北へ見に来るといい。村の者が、全員で案内する」
「そ、そんなの、うそに決まって――」
「それと」
クラウス様は、ミレイユを、まっすぐに見た。
「君が植物の手を持っているというのなら、ちょうどいい。ここで、見せてもらおうか」
ミレイユの顔が、さっと青くなった。
◇
「――まあ、お待ちなされ」
人垣のうしろから、しわがれた声がした。
人々が、さっと道をあけた。
白くて長いひげ。深い緑色のローブ。
胸には、王宮の薬師のしるしの、銀の葉っぱのブローチ。
「王宮薬師長の、エルマー様だ……」
誰かが、ささやいた。
ハンスさんの帳面で見た、あの絵のおじいさんだった。
草木と土のことなら、この国で、いちばん詳しい人。
エルマー様は、杖をつきながら、ゆっくりと私たちのほうへ歩いてきた。
「わしも、前から、気になっておったのじゃ。ハーヴェルの薬草茶と、北の雪の茶。香りが、あまりにも、よく似ておる」
エルマー様は、ミレイユと、私を、交互に見た。
私は、あわてて、頭を下げた。
ハンスさんに教わったとおりの、いちばんていねいなおじぎ。
胸元の匂い袋が、エルマー様のすぐ前で、ふわりとゆれた。
エルマー様の足が、ぴたりと止まった。
草木の香りをかぎわけて、五十年。そういう人の鼻が、何かをとらえた顔だった。
ほんの少しだけ、目が見開かれた。
「……雪月草の、香りじゃな」
エルマー様は、小さくつぶやいた。
でも、それ以上は、何も言わなかった。
せつげつそう。
聞いたことのない名前だった。
胸元の匂い袋には、アンナが縫いこんでくれた、母の青い花びらが入っているだけだ。
「ここは夜会の広間じゃ。土も、鉢もない。手を見せよと言われても、見せようがあるまい」
エルマー様は、ゆっくりと言った。
ミレイユの肩から、すっと力が抜けた。
ここで種をまいてみせなくていい。それだけで、ほっとしたのがわかった。
「陛下に、お願い申し上げてみよう。明日の昼、王宮で、陛下の前で、見せていただく。ミレイユ嬢の、植物の手を。ハーヴェル家の皆様も、公爵夫妻も、おいでくだされ」
ミレイユの顔が、また、こわばった。
明日。陛下の前。
そのとき、継母が、扇でかくして、ミレイユの耳もとに、何かささやいた。
ミレイユの顔に、ぱっと色が戻った。
「ええ、ぜひ! 陛下にも、わたしの手を、見ていただくわ」
継母も、扇のかげで、ほっと息をついた。
何をささやいたのかは、聞こえなかった。
でも、聞こえなくても、わかった。
ハーヴェルの屋敷は、王都のはずれにある。馬車で、半日もかからない。
今夜のうちに使いを走らせれば、明日の昼までに、屋敷の畑の土を、鉢に入れて持ってこられる。
その土にミレイユが種をまけば、いつものように、すぐに芽が出る。
「ほら、これが植物の手です」と言える。
十年、同じことを、地下室から見てきた私には、継母の考えていることが、手に取るようにわかった。
エルマー様は、私の手を見ていた。
手袋のすきまからのぞく、あかぎれの指先を。
それから、何も言わずに、にっこりと笑った。
◇
ミレイユは、つんとあごを上げて、広間を出ていった。
継母が、そのあとを追いかけた。
父は、私とクラウス様を、ちらりと見て、何か言いたそうな顔をして、それから、黙って二人のあとに続いた。
三人がいなくなると、広間に、ゆっくりと音楽が戻ってきた。
人々の視線が、さっきとは違う色で、私に向けられていた。
「……リーゼ」
クラウス様が、小さな声で言った。
「すまない。勝手に、話を大きくした」
「いいえ」
私は、首を横に振った。
にぎられたままの手を、そっと見下ろす。
「私、何も言えませんでした。言い返そうとしても、声が出なくて」
「知っている」
クラウス様は、少しだけ、私の手をにぎる力を強めた。
「だから、俺が言った。……君が自分で言えるようになるまでは、俺が言う」
胸の奥が、きゅっとなった。
「明日、こわいか」
「……少し」
「そうか」
クラウス様は、それ以上、何も言わなかった。
ただ、夜会が終わるまで、ずっと、私の手をはなさなかった。
ざまぁ……の、一歩手前でした。
次回、王宮で、手の試し。
☆何個でもいいので、つけてください!




