第5話 かまどのお茶会
【前回までのあらすじ】
身代わりで北の氷の公爵に嫁いだリーゼは、中庭のがれきを土に変え、薬草を芽吹かせた。
ある夜、自分の氷で凍えて眠れずにいた公爵クラウスに、リーゼは母と同じ薬草茶を淹れた。
七年ぶりに、クラウスは、厨房の丸椅子で眠った。
厨房のかまどで、夜のお茶会が始まるお話です。
次の夜。
私は、なんとなく眠れなくて、また厨房へ下りていった。
かまどの火を起こして、お湯をわかしていると、扉が、ぎい、と開いた。
「……」
公爵様が、立っていた。
扉のところで、何か言いたそうに、口を開けたり閉じたりしている。
「こんばんは、公爵様」
「……ああ」
「お茶、淹れましょうか」
公爵様は、一瞬、目をそらした。
「……厨房の火の始末を、見に来ただけだ」
公爵様が、城の厨房の火の始末を見に来る。
たぶん、そんなことは、これまで一度もなかったと思う。
でも、それは言わないでおいた。
「そうですか。じゃあ、ちょうどお湯がわいたところなので」
公爵様は、ゆうべと同じ丸椅子に、黙って腰をおろした。
◇
次の夜も。そのまた次の夜も。
公爵様は、「火の始末を見に」厨房へやってきた。
私がお茶を淹れて、公爵様が飲む。
それから、公爵様は、丸椅子で少しだけ眠る。
明け方、料理長が来る前に目を覚まして、「礼を言う」とだけ言って帰っていく。
料理長は、三日目から、丸椅子の上に、ふかふかのクッションを置いておいてくれるようになった。
誰も、何も言わなかった。
缶の薬草は、四日でなくなった。
でも、そのころには、中庭の花壇のカモミールとミントが、もう、摘めるくらいに育っていた。私の土で育つ薬草は、育つのが早い。
それからは、毎晩、花壇で摘んだ葉を、かまどの火で少しあぶって淹れた。
◇
一週間ほどたったころ。
「……地下室、と言ったな」
カップを手にしたまま、公爵様が、ぽつりと言った。
「最初の夜だ。地下室も寒かった、慣れている、と」
私は、ポットを持つ手を止めた。
「どういう意味だ」
かまどの火が、ちろちろと揺れていた。
少し迷った。
話して、どうなるものでもない。
でも、公爵様の青い目は、私の答えを、ただ静かに待っていた。
「……ハーヴェルの家には、地下に、作業場があるんです」
私は、話した。
格子窓が一つだけの、石の部屋のこと。
落とし口から落ちてくる、がれきのこと。
私の手は、がれきを、肥沃な土に変えること。家族は、それを「泥の手」と呼ぶこと。
母が死んだ冬から、そこで暮らしていたこと。
鍵は、いつも外からかけられていたこと。
袋の数が足りないと、ごはんがなかったこと。
私の土で育った薬草が、ハーヴェルの薬草茶になっていたこと。
その手柄が、全部、ミレイユの「植物の手」のものになっていたこと。
話しているあいだ、私の声は、一度も、ふるえなかった。
悲しいとも、つらいとも、思わなかった。
ただ、あったことを、順番に話しただけ。
話し終えると、厨房は、しんとしていた。
公爵様は、何も言わなかった。
ただ、カップを持つ手に、力が入っていた。
指の関節が、白くなるほど。
かまどの火が、ふっと、小さくなった。
「……公爵様?」
「……そうか」
公爵様は、しばらく、カップの中を見つめていた。
「大変だったんだな」
それだけだった。
でも、それで、じゅうぶんだった。
◇
しばらく、二人とも黙っていた。
それから、私は、聞いてみた。
ずっと、気になっていたことを。
「公爵様の、大河の氷壁のお話。本当なんですか?」
公爵様は、少し意外そうな顔をした。
「……どんな話になっている」
「一晩で、大河を全部凍らせて、氷の壁で、魔物の大群を止めたって」
「全部ではない」
公爵様は、かまどの火を見つめた。
「魔物の群れは、向こう岸から、渡し場の浅瀬を渡ってくる。だから、浅瀬の手前で川を凍らせて、そのまま、氷の壁を立てた。長さは千メートルほど。高さは三十メートル。この城の塔くらいだ」
「三十メートル……」
「魔物は、三日、壁の前で足を止めた。そのあいだに、南から援軍が来た」
淡々とした声だった。
でも、それは、お話よりも、ずっとすごいことのように聞こえた。
「だが、渡し場の村は、守れなかった」
公爵様の声が、少しだけ、低くなった。
「壁ができる前に、魔物の先頭が、村まで来ていた。村の者は逃がした。だが、家も、畑も、全部こわされた。今も、がれきの山のままだ。村の者たちは、城下に移り住んで、七年、帰れずにいる」
「十八の夏だった。父が死んだばかりで、俺しか、氷の手を持つ者がいなかった」
「夏に、大河を……」
「夏だから、手を使いすぎた。夏の川を凍らせるのは、冬の何倍も力がいる」
公爵様は、自分の右手を、開いたり閉じたりした。
「それから、手が、俺の言うことを聞かなくなった。夜になると、勝手に氷があふれる。自分の部屋を、氷で固めて、そこで夜を過ごすようになった。……ほかの者を、凍らせないように」
――俺の部屋には、近づくな。とくに、夜は。
最初の夜の言葉を、思い出した。
あれも、私を凍らせないための言葉だったんだ。
「ヴァルトシュタインの家は、戦の手柄で大きくなった家だ」
公爵様が言った。
「先祖は代々、氷の手で、北の国境を守ってきた。川を凍らせて、攻めてくる者を止めて、その手柄で、領地をもらった。……七年前の俺も、同じことをしただけだ」
「同じこと……」
「俺の手も、凍らせて、止めることしかできない。何かを作るのは、苦手だ」
公爵様は、少しだけ、自嘲するように口のはしを上げた。
「守ることしかできない手だ。……畑一つ、作れない」
◇
その夜、公爵様は、いつもより少し早く眠りについた。
私は、かまどの火を見ながら、ぼんやりと考えていた。
守ることしかできない手。
誰にもさわれない手。
なんだか、ちょっとだけ、わかる気がした。
私の手は、泥の手だ。
鍵のかかった部屋で、誰かのために、がれきを土に変えることしかできない手。
――ううん。
ふと、中庭の花壇を、思い出した。
あの夜、私は、誰にも言われずに、自分で決めて、がれきを土にした。
数えられもしない。袋にもつめない。
継母の畑のためでも、ミレイユのお茶会のためでもなかった。
私が、そうしたくて、した。
泥の手にも、そういう使い方が、あったんだ。
◇
明け方。
目を覚ました公爵様は、いつものように「礼を言う」と言ったあと、厨房の出口で、一度だけ立ち止まった。
「クラウスでいい」
「え?」
「公爵様、と呼ばれると、砦にいる気分になる」
それだけ言って、公爵様は――クラウス様は、厨房を出ていった。
かまどの前に残された私は、空になったカップを、しばらく見つめていた。
胸の奥で、何かが、ことりと動いた気がした。
それが何なのか、まだ、わからなかった。
夜のお茶会が日課になりました。
「火の始末を見に来た」公爵様、まったく隠せていません。
次回、クラウスが、中庭の花壇を見ます。




