第4話 眠れない公爵
【前回までのあらすじ】
妹の身代わりで北の氷の公爵に嫁いだリーゼは、「一年たったら離縁する」と告げられた。
「好きにしていい」と言われたリーゼは、夜の中庭で、がれき置き場だった花壇を、自分の土に変えた。
翌朝、雪の中で芽が出ているのを、執事のハンスが公爵に報告した。
砦から戻った公爵と、夜の回廊で出会うお話です。
それから三日。
中庭の芽は、毎朝、少しずつ大きくなっていった。
葉が増えて、茎がのびて。
雪の中で、そこだけ、緑色の小さな島みたいになった。
使用人の人たちは、毎朝、中庭をのぞきに来るようになった。
「奥様の花壇」と、みんなが呼びはじめていた。
公爵様は、国境の砦に出かけていて、まだ見ていない。
ハンスさんによると、城の東側の、執務室と自室を行き来しているだけで、中庭のある西側には、めったに来ないのだそうだ。
◇
四日目の夜。
公爵様が、砦から戻ってきたと聞いた日だった。
私の土は凍らない。でも、土から出た葉っぱは、べつだ。
北の夜の寒さに、芽が負けていないか、気になって、私は、また、こっそり中庭へ出た。
月が、雲に隠れていた。
中庭は、昼間よりもずっと暗くて、ずっと寒い。
花壇の前にしゃがんだとき。
――きし。
中庭の向こうの回廊で、音がした。
氷がきしむような音。
顔を上げると、回廊の柱のかげに、誰かがいた。
銀色の髪。
――公爵様だ。
帰ってきたその足で、花壇を見に来たのだろうか。
公爵様は、柱に片手をついて、うつむいていた。
その手の下から、白い氷が、柱をはいのぼっていく。
石の床に、氷の花が、ぱきぱきと広がっていく。
そして、公爵様の体が、ずるりと、柱をすべり落ちた。
「公爵様!」
考えるより先に、走り出していた。
回廊に駆けこむと、公爵様は、床に片ひざをついて、肩で息をしていた。
「……来るな」
かすれた声だった。
「俺に、さわるな。凍る」
公爵様の手は、真っ白だった。
指先に、氷の粒がこびりついている。
吐く息まで、細かい氷になって、きらきらと落ちていく。
「どうなさったんですか」
「いつものことだ。夜になると、手が、言うことを聞かなくなる」
公爵様は、歯を食いしばった。
「昼は、抑えておける。だが、夜、気がゆるむと、氷があふれて、俺の体のほうまで凍らせにくる。眠れば、そのまま朝まで凍りつく。だから、眠れない」
「ずっと、ですか」
「……七年前、大河を凍らせた夜からだ。あのとき、手を使いすぎた」
大河の氷壁。
北の英雄の、いちばん有名なお話。
みんなが、その話をするとき、うれしそうに、誇らしそうに話していた。
でも、その英雄は、それから七年間、毎晩、こうして凍えていたのだ。
「放っておけ。朝になれば、おさまる」
放っておけるわけ、なかった。
だって、こんなに、震えているのに。
◇
私は、公爵様の肩に、自分のガウンをかけた。
「おい……」
「厨房へ行きましょう。かまどに、まだ火が残っているはずです」
「聞こえなかったのか。俺にさわると――」
「凍っても、かまいません」
自分でも驚くくらい、するりと言葉が出た。
「地下室も、寒かったですから。慣れています」
公爵様が、私を見た。
何か言いかけて、口を閉じた。
その顔が、さっきよりも、ずっと苦しそうに見えた。
◇
夜の厨房は、静かだった。
大きなかまどの奥に、まだ、赤い炭がくすぶっていた。
私は、薪を足して、火を起こした。
公爵様は、かまどの前の、料理長のものらしい丸椅子に、黙って座っていた。
もう、言い返す元気もないみたいだった。
私は、鞄から持ってきていた、小さな缶を開けた。
地下室の鉢で育てて、乾かしておいた薬草。
カモミールと、レモンバーム。母がいつも淹れてくれたお茶と、同じもの。
小さいころ、冬の夜に、寒くて眠れないと泣いた私に、母は、いつもこのお茶を淹れてくれた。
「冷えた体はね、外からじゃなくて、中からあたためるのよ」
毛布をいくら重ねても震えていた体が、お茶を一杯飲むと、おなかの底から、ぽかぽかしてきた。
地下室に入れられてからも、寒くて眠れない夜は、レモンバームの葉を一枚ちぎって、冷たい水にひたして、母のまねをした。
凍えている人に、私ができることは、それしか知らなかった。
それから、缶の底に、二枚だけ残っていた、青い花びら。
母が、私が小さいころに、自分の土で一度だけ咲かせた、あの青い花の花びらだ。
ずっと、お守りのように、とっておいたもの。
薬草を、ひとつまみずつ、ポットに入れる。
少し迷ってから、青い花びらも、一枚だけ、入れた。
お湯を注ぐと、ふわっと、やさしい香りが広がった。
「どうぞ。熱いので、気をつけてください」
カップを差し出すと、公爵様は、しばらくそれを見つめていた。
「……なぜ、俺にこんなことをする」
「なぜって……」
私は、少し考えた。
「寒そうだったからです」
それ以外に、理由なんてなかった。
公爵様が、カップを受け取った。
白く凍った指先がふれると、カップのふちに、うすく氷が張った。
でも、お茶はまだ、湯気を立てている。
公爵様が、ひと口、飲んだ。
それから、もうひと口。
「……あたたかい」
ぽつりと、公爵様がつぶやいた。
見ると、公爵様の指先から、少しずつ、白い色がひいていくところだった。
こびりついていた氷の粒が、とけて、水になって、ぽたりと床に落ちる。
「公爵様、手が……」
「ああ」
公爵様は、自分の手を、信じられないものを見るように見つめた。
「……おさまっている」
◇
それから、どれくらいたっただろう。
かまどの火が、ちろちろと燃えていた。
気がつくと、公爵様は、丸椅子に座ったまま、壁にもたれて、目を閉じていた。
規則正しい、静かな寝息。
――眠ってる。
私は、起こさないように、そっと、料理長の大きな前かけを、公爵様のひざにかけた。
眠っている公爵様は、昼間よりも、ずっと若く見えた。
眉間のしわが消えて、まるで、疲れきった子どもみたいだった。
――俺にさわると、凍る。
あれは、私を突き放すための言葉じゃなかった。
私を、凍らせないための言葉だったんだ。
私は、かまどの火を見ながら、膝をかかえた。
この人も、ずっと、冷たい場所に、ひとりでいたんだ。
厨房の柱時計が、ひとつ、鳴った。
かまどの火が、あたたかかった。
いつのまにか、私も、膝をかかえたまま、うとうとしていた。
◇
明け方。
「……うおっ」
厨房の扉を開けた料理長が、大きな体を、びくっとのけぞらせた。
丸椅子で眠る公爵様と、その横で膝をかかえている私を見て、口をぱくぱくさせている。
その声で、私も、公爵様も、目を開けた。
柱時計は、五時をさしていた。
ぼんやりと、厨房を見回して。
それから、ひざの上の前かけと、私を見て、目を見開いた。
「……朝、か」
「おはようございます、公爵様。……たぶん、四時間くらい、眠っていらっしゃいました」
「眠っていた? 俺が?」
公爵様は、しばらく、何も言わなかった。
それから、前かけをていねいにたたんで、料理長に返した。
「……邪魔をした」
料理長が、目を白黒させながら、前かけを受け取った。
公爵様は、厨房の出口で、一度だけ、立ち止まった。
ふり返らないまま、言った。
「昨夜のことは。……礼を言う」
足早に出ていく背中を、私と料理長は、ぽかんと見送った。
「奥様」
料理長が、ぼそっと言った。
「旦那様が、人に礼を言うのを、わしは、二十年この城にいて、初めて聞きました」
公爵様の「眠れない」理由がわかりました。
リーゼのお茶、ただのお茶ではなさそうです。
次回、厨房のかまどで、夜のお茶会が始まります。




