第3話 がれきの花壇
【前回までのあらすじ】
「泥の手」と呼ばれ、十年間、地下室で土をつくらされてきたリーゼは、妹の身代わりで北の氷の公爵に嫁いだ。
公爵クラウスは「君を愛するつもりはない。一年たったら離縁する。それまでは好きにしていい」と言った。
リーゼは、契約書と王宮への婚姻の届けに、自分の名前を書いた。
城の中庭の、がれき置き場のお話です。
次の朝、私は、日が昇る前に目が覚めた。
十年間、毎朝この時間に起きて、がれきの前にしゃがんでいた。
体が、もう覚えてしまっている。
起き上がって、ふと、窓の外を見た。
空が、だんだん明るくなっていくところだった。
紺色が、紫になって、それから、うすい桃色になる。
私は、ベッドに座ったまま、ずっとそれを見ていた。
朝焼けを見たのは、十年ぶりだった。
◇
扉が、こんこん、と控えめにたたかれた。
「失礼いたします。奥様、お目覚めでいらっしゃいますか」
開けると、茶色いおさげの女の子が、ランプを持って立っていた。
私と同じくらいの年。紺色のお仕着せ。
「おはようございます! 奥様のお世話をさせていただく、アンナと申します!」
アンナは、ぺこっと頭を下げて、それから顔を上げて、私を見て、目をまるくした。
「わあ……」
「……どこか、おかしいかしら」
「いえっ! あの、髪、すっごくきれいだなって。雪みたいで」
雪みたい。
そんなふうに言われたのは、初めてだった。
継母は「おばあさんみたい」と言った。ミレイユは「気味が悪い」と言った。
「……ありがとう」
アンナは、にこっと笑った。
でも、そのあと、少しだけ、心配そうな顔をした。
私の目を、見たからだと思う。
◇
その日、私は、アンナに案内してもらって、城の中を歩いた。
食堂。図書室。礼拝堂。
それから、城の西側の、四角い中庭。
中庭は、一面、雪におおわれていた。
そのまんなかに、石で囲った、古い花壇のあとがあった。
花壇は、くずれていた。
囲いの石は割れて、中には、土ではなく、石くずとれんがのかけらが、山になっていた。
「昔は、ここに、花が咲いてたそうなんです」
アンナが言った。
「旦那様のおばあ様の代に、南から、馬車で土を運んだんですって。でも、北は寒すぎて、何年かで、なんにも育たなくなって」
アンナは、割れた囲いの石を、つま先でつついた。
「空っぽの花壇が、もったいないからって、城の壁や塔を直すたびに出る石くずやれんがを、ここに捨てるようになったんです。今はもう、ただのがれき置き場です」
私は、しゃがんで、雪の下のがれきを、指でつまんでみた。
割れたれんが。くだけた石。
――地下室に、毎日、落とし口から落ちてきたのと、同じ。
「奥様?」
「……ううん。なんでもないの」
◇
その夜。
みんなが寝静まったころ、私は、そっと部屋を抜け出した。
鞄の中から、母の種の袋を持って。
中庭は、月明かりで、青白く光っていた。
しんと冷たくて、吐く息が、すぐに凍る。
私は、花壇の雪を、手でかきわけた。
がれきの山に、両手を置く。
冷たい。指先が、じんじんと痛い。
でも、地下室の冬だって、こんなものだった。
目を閉じた。
――好きにしていい。
公爵様の声を、思い出した。
誰にも、数えられない。
袋につめなくていい。
継母の畑のためでも、ミレイユのお茶会のためでもない。
私が、私のために、つくる土。
手のひらの下で、れんがのかけらが、ほろほろとくずれていく。
石くずが、しっとりと湿っていく。
目を開けると、花壇の中に、黒い土が広がっていた。
月明かりの中で、ほんのりと、湯気が立っていた。
私の土は、凍らない。
カモミールの種を、ひとつ、土に落とす。
土をかぶせて、手のひらで、そっと押さえる。
それから、母がいつもしていたように、話しかけた。
「ここで、大きくなってね」
ミントも。ラベンダーも。
一つずつ、植えていく。
最後に、青い種を、手のひらにのせた。
少し迷って、それは、袋に戻した。
この子は、気難しいから。
植え終わると、手は、真っ黒で、真っ赤だった。
――泥の手。
継母の声が、頭の中で響いた。
私は、手をこすり合わせて、部屋に戻った。
◇
次の朝。
扉が、どんどんどん、と、いつもの三倍の速さでたたかれた。
「失礼いたします! 奥様、あの、急いでお越しください!」
扉を開けると、アンナが、息を切らせて立っていた。
「中庭が! 中庭が、たいへんなんです!」
ガウンをはおって、中庭へ走った。
中庭には、もう、何人もの使用人が集まっていた。
みんな、花壇をのぞきこんで、ざわざわしている。
がれき置き場だった花壇が、黒い土でいっぱいになっていた。
そして、その土の上に。
小さな、緑色が、点々と並んでいた。
芽だ。ゆうべまいた、薬草の芽。
雪の積もる中庭で。
指先ほどもない、小さな小さな芽が、朝の光の中で、まっすぐに立っていた。
「なんで……」
使用人の誰かが、つぶやいた。
「がれきが、土になってる……」
「しかも、芽が出てるぞ。ひと晩で?」
「冬だぞ、今は……」
みんなの目が、私のほうを向いた。
私の手は、まだ、爪のあいだまで、黒かった。
あわてて、手をうしろに隠した。
――汚い仕事は、汚い場所でするものよ。
また、叱られる。
みっともないと、言われる。
そう思って、うつむいたとき。
「……奥様が、これを?」
庭師のおじいさんが、花壇の前にしゃがみこんでいた。
黒い土を、ひとつかみ、すくい上げる。
指でほぐして、においをかいで。
それから、ふるえる声で言った。
「わしは、五十年、北で土をいじってきました。こんな土は、見たことがない」
おじいさんは、土をにぎったまま、私を見上げた。
「奥様。これは、宝ですよ」
◇
「奥様」
うしろで、ハンスさんの声がした。
ふり返ると、ハンスさんが、私と、花壇を、じっと見比べていた。
「ゆうべ、夜の見回りの途中で、西の回廊から、拝見しておりました」
私は、息をのんだ。
「奥様が、がれきの山に両手を置かれて。それが、ほろほろと、黒い土に変わっていくところを」
ハンスさんの声は、静かだった。
責めるような声では、なかった。
「旦那様には、わたくしから、見たままをご報告いたします」
ハンスさんは、ていねいに頭を下げた。
「中庭で起きたことは、城で起きたこと。旦那様に申し上げるのが、わたくしの務めでございますので」
◇
その日の夕方。
ハンスさんが、報告の結果を、こっそり教えてくれた。
「旦那様は、『ハンスが見たのなら、見たのだろう』と」
ハンスさんは、そこで、少し言葉を切った。
「それから、『だが、あの娘は、最初の日に、自分の口で、手はないと言った』と」
「……はい。言いました」
ハンスさんは、少しだけ、困ったような顔をした。
「旦那様は、明日から三日、国境の砦へお出かけになります。お戻りになったら、ご自分の目でお確かめになるでしょう」
がれき置き場が、ひと晩で花壇になりました。
「泥の手」は、北では宝物かもしれません。
次回、眠れない公爵様と、夜の中庭で出会います。




