第41話 森のふち
【前回までのあらすじ】
王宮で、リーゼは「焼けば、獣は、もっと渡ってくる」と答え、森のふちに食べものの場所をつくると言った。
陛下の猶予は、冬のはじめまで。リーゼの産み月と、同じ。
北に戻ると、城門の前に、馬そりではなく、荷車が三台、とまっていた。
先頭の荷車に、杖をかかえた、小さな人。
「おばあ様!」
雪見村の祖母、ヘルガおばあ様は、荷車の上から、私のおなかを、じろりと見た。
「ハンスって人から、手紙が来たよ。産み月は冬のはじめ。そのうえ、森のふちに、土の帯をつくるんだって?」
「……はい」
「ばかだね、あんたは」
おばあ様は、荷車からおりると、杖の先で、私の足もとを、こつんとたたいた。
「ローザも、そうだった。言いだしたら、きかない」
うしろの荷車から、雪見村の若い人たちが、五人、おりてきた。
◇
秋の浅瀬は、まだ、水が少なかった。
クラウス様が、氷の板を並べる。
その上を、雪見村の人たちと、渡し場の村の人たちが、シャベルを持って、渡っていく。
私の前には、城の護衛の兵士さんが、二人。槍を持って、先に渡っていった。
将軍は、岸の上から、腕を組んで見ていた。
火の手の兵たちも、そのうしろに並んでいた。
誰も、川には、入ってこなかった。陛下の命だから。
将軍が、岸の上から、声をかけてきた。
「奥方。土の帯とやらは、ひと月で、何枚できる」
私は、氷の板の手前で、ふり返った。
「わかりません。はじめてなので」
「森は、大河にそって、山のふもとまで、続いておる。馬で、三日だ」
将軍は、腕を組んだまま、言った。
「その、子どもの手で、冬のはじめまでに、どれほどができる」
フィンくんが、私の外套のすそを、ぎゅっと、にぎった。
私は、フィンくんの手を、上から、包んだ。
「渡し場の浅瀬の、向こう側だけです」
「それだけか」
「獣が、渡ってくるのは、この浅瀬だけです。十年前も、おととしの冬も」
将軍は、しばらく、私を見ていた。
それから、鼻で、笑った。
「土でこしらえた、浅瀬の向こうの、ちっぽけな草っぱらで、何百頭の腹が、ふくれると思うか」
私は、答えなかった。
かわりに、氷の板に、足をのせた。
◇
向こう岸の森のふちで、私は、しゃがもうとした。
「……座ってくれ」
「座りな」
クラウス様と、ヘルガおばあ様が、同時に言った。
二人とも、私のおなかを、見ていた。
二人は、顔を見あわせた。
おばあ様が、ふん、と鼻を鳴らした。
「公爵様。この子は、今日は、手を出さない。見ているだけ」
「……はい」
「フィン」
おばあ様が呼ぶと、フィンくんが、前に出た。
去年の春から、月に一度、城の外の教室で、私に土の手を習ってきた。
手のひらいっぱいの土なら、もう、半日で、つくれるようになっていた。
でも。
「今日は、一枚だ。畑一枚ぶん」
おばあ様は、森のふちを、杖をついて、ひとまわり歩いた。
灰色の土に、獣の足あとが、何本も、浅瀬のほうへ、おりていた。
いちばん、足あとの多いところ。
おばあ様は、そこに、杖で、四角い線を引いた。
ぜんぶは、起こせない。
だから、獣が通るところにだけ。
渡し場の村の畑と、同じ大きさ。
雪見村の人たちと、渡し場の村の人たちが、シャベルを持って、四角の中に入った。
枯れ枝と、かさかさの落ち葉を、すくって、外へ、どけていく。
灰色の土が、むきだしになった。
フィンくんの顔が、こわばった。
「……そんなに、やったこと、ない」
「知ってるよ」
おばあ様は、杖にもたれた。
「わたしの手は、もう、弱い。この子は、身重。……あんたしか、いないんだよ」
◇
フィンくんは、四角の、いちばんはしに、しゃがんだ。
両手を、灰色の土に、置いた。
長いこと、そうしていた。
何も、変わらなかった。
フィンくんの肩が、ふるえはじめた。
「……できない」
「フィンくん」
私は、椅子がわりの、雪見村の人が持ってきた木箱から、立ちあがりかけた。
クラウス様の手が、私の肩を、そっと押さえた。
私は、座ったまま、言った。
「がれきを土にするのと、ちがうの」
フィンくんが、ふり返った。
「この土は、死んでるんじゃない。力を、使いきって、眠ってるだけ。つくるんじゃなくて、起こすの」
おととしの冬、王の道の、昔の土に、はじめて手を置いたとき。
私が、そう感じたことだった。
「――起きて、って」
フィンくんは、もう一度、土に、向きなおった。
両手を、置きなおす。
唇が、小さく、動いた。
起きて。
手のひらの下で、灰色が、ほんの少し、黒くなった。
◇
フィンくんが、四角の土を、ぜんぶ黒くしおえたのは、日がしずむころだった。
最後のひと手を置いて、そのまま、黒い土の上に、あおむけに、ひっくり返った。
「……できた」
「できたね」
雪見村の人たちが、わっと、声をあげた。
ヘルガおばあ様は、そっぽを向いていた。
黒い土の四角は、灰色の森のふちで、そこだけ、しっとりと、湿っていた。
その夜、フィンくんは、夕ごはんの途中で、眠ってしまった。
スプーンを、にぎったまま。
手のひらは、まっ赤に、すりむけていた。
私は、料理長から、ぬるい湯をもらって、フィンくんの手を、そっと、洗った。
地下室にいたころの、自分の手を、思い出した。
ヘルガおばあ様が、テーブルのむこうで、お茶をすすっていた。
「ローザが、はじめて畑一枚やったのは、十五のときだよ」
おばあ様は、フィンくんの寝顔を見ていた。
「あの子は、まだ、十二だ」
◇
つぎの朝、浅瀬をこえて、見に行った。
きのうと同じ、護衛の兵士さんが、二人。
黒い四角の上に、緑が、うっすらと、出ていた。
草の芽だった。
灰色の土の中で、眠っていた種が、目をさましたのだ。
そして、四角の向こうの、灰色の木々のあいだに。
影が、一つ、立っていた。
あの、狼に似た獣。
クラウス様が、すぐに、私の前に立った。
手袋をはずした右手のまわりで、空気が、きらきらと、光りはじめた。
朝の霧が、そのまま、こまかい氷の粒になって、指のあいだに、集まっていく。
川の水が、なくても。
兵士さんたちが、槍をかまえた。
獣は、前に出てこようとして、私たちを見て、止まった。
うなりも、しなかった。
鼻先を、黒い土のほうへ、のばしていた。
緑の、においを、かいでいるようだった。
次回、「となりの部屋」。クラウス様の、もう一つの問題です。
マジで☆何個でもいいので、つけてください!




