第40話 私の手は、焼くための道をつくる手ではない
【前回までのあらすじ】
将軍は、十年前の援軍の大将だった。
「もう、公爵ひとりに、国境を背負わせはせん。だから、焼く」。
夏のおわり、私たちは、将軍の一行と、峠をこえた。
ふつうなら五日の道を、七日かけて。
馬車がゆれるたびに、クラウス様が、私の顔を見た。
宿に着くたびに、アンナが、私の足をもんだ。
おなかは、もう、はっきりと、ふくらんでいた。
◇
謁見の前の日、私たちは、王宮の薬草園の、地下の部屋をたずねた。
エルマー様は、私の顔を見るなり、椅子を、三つも、すすめた。
「座りなされ。座りなされ。身重の人を、立たせておくわけにはいかん」
私は、腰の袋から、布袋を出した。
夏に、向こう岸で取ってきた、灰色の土。
エルマー様は、布袋の口をあけて、土を、白い皿の上に、あけた。
指で、つまむ。
こすりあわせる。においを、かぐ。
それから、皿のすみの、親指の先くらいの、黒いところを、つまんだ。
「……これは」
「浅瀬の上で、手のひらにのせて、ためしました。そこだけ、生きかえりました」
エルマー様は、黒い土と、灰色の土を、かわるがわる、指でこすった。
長いこと、そうしていた。
「力を、使いきった土じゃ。ハーヴェルの、東の畑の土と、同じじゃな」
それから、エルマー様は、灰色の土を、指先で、そっと、ひろげた。
ごまつぶより小さな、黒い粒を、ひとつ、つまみだした。
「種じゃ」
「……種」
「力を使いきった土にも、種は、眠っておる。森の土なら、なおさらじゃ。何年も、何十年も、芽を出せる日を、待っておる」
エルマー様は、粒を、黒い土の上に、そっと置いた。
「土が起きれば、種も、起きる」
私の手は、種には、何もできない。
でも、種が、もう、そこにあるのなら。
私は、土を、起こすだけでいい。
エルマー様の目は、皿のすみの黒い土から、はなれなかった。
「陛下には、わしから、話しておこう。明日は、思ったとおりに、言いなされ」
◇
王宮の謁見の間には、おととしの冬と同じ、赤いじゅうたんが敷いてあった。
陛下の右には、薬師長のエルマー様。
左には、将軍が立っていた。
「将軍の案は、聞いた」
陛下が言った。
「向こう岸の森を焼く。火の手の兵を、氷の橋で渡す。……公爵は、橋をかけぬと言ったそうだな」
「はい」
「なぜだ」
クラウス様が、口をひらきかけた。
それから、私を見た。
私は、うなずいた。
「森のことは、妻のほうが、よく知っております」
◇
私は、一歩、前に出た。
「陛下。向こう岸の森は、焼かなくても、死にかけています」
謁見の間が、ざわっとした。
「この夏、向こう岸に渡りました。木は、夏なのに、葉を落としていました。土は、灰色で、かさかさでした」
私は、手のひらを、上に向けた。
「あの土は、私の生まれた家の、東の畑と同じです。力を、ぜんぶ使いきって、何も育たなくなった土」
エルマー様が、白いひげを、ゆっくりなでた。
「森が死ねば、獣は、食べるものがなくなります。浅瀬で死んだ一頭の口の中には、枯れた木の皮しか、ありませんでした」
「だから、焼けばよい」
将軍が言った。
「森がなくなれば、獣も、いなくなる」
「いなくなりません」
私は、将軍のほうを向いた。
「焼けば、森は、灰になります。灰の土は、もっと何も育ちません。獣は、食べるものを、ぜんぶなくします」
「それで、飢え死にする」
「飢え死にする前に、川を渡ります」
将軍が、口をつぐんだ。
「向こう岸に、何もなくなったら。こちら岸には、畑があります。村があります」
私は、渡し場の村の、黒い畑を思い出していた。
二十枚の畑。カブと豆の緑。
冬のあいだ、川の向こうからも、見えていたはずの。
「焼けば、獣は、もっと渡ってきます。……毎年」
「渡ってきたものは、斬ればよい」
将軍が言った。
「一頭、のこらず」
「向こう岸の森は、大河にそって、北の果てまで、続いています」
私は、言った。
「どこまで行けば、獣がいなくなるのか、誰も、知りません。ふちを焼けば、奥の獣が、焼けたふちを通って、川まで出てきます」
将軍は、何も言わなかった。
「獣が来るたびに、誰かが、川の前に立って、斬りつづけるのですか。十年前の、クラウス様のように」
私は、将軍のほうを、もう一度、見た。
「将軍様は、渡し場の村が、二度と逃げなくてすむように、と言いました。……私も、そうしたいんです」
将軍の眉が、少しだけ、動いた。
◇
しばらく、誰も、何も言わなかった。
将軍が、低い声で言った。
「では、奥方は、どうするというのだ。森が死ぬのを、待つのか」
「生きかえらせます」
私は、自分の手を見た。
あかぎれのあと。爪のすきまの、とれない黒。
「土の手の土は、力を使いきっても、手を当てれば、また生きかえります。森のふちに、生きた土の帯をつくれば、草が生えます。木の実が、なります」
「森ぜんぶをか」
「ぜんぶは、できません。でも、ふちだけなら。獣が、川まで来なくてもいいくらいの、食べものの場所を」
私は、陛下に向きなおった。
「この手は、十年、誰かのもうけのために、使われてきました。おととしの冬、陛下の前で、もう、誰かに預けられたくないと、申しあげました」
「覚えている」
「焼くための道を、つくる手でも、ありません」
私は、手を下ろした。
「生かすための道なら、つくります」
◇
陛下は、長いこと、私と、将軍を、かわるがわる見ていた。
それから、言った。
「冬のはじめまで、待とう」
将軍が、顔を上げた。
「公爵と、公爵夫人に、冬のはじめまで、時をあたえる。それまでに、森を焼かずに、獣が川を渡ってこないようにしてみせよ」
陛下は、将軍を見た。
「見せられなければ、そのときは、将軍の策をとる。将軍は、北に残り、見とどけよ。……それまで、兵は、一人も、川を渡らせてはならぬ」
「……はっ」
将軍は、頭を下げた。
でも、その目は、私のおなかを、ちらりと見た。
冬のはじめ。
産み月と、同じだった。
◇
謁見の間を出ると、エルマー様が、追いかけてきた。
「リーゼ殿。無茶を言ったのう」
「……はい」
「森のふちだけと言っても、帯の長さは、どれほどになる」
私は、答えられなかった。
向こう岸の森は、大河にそって、どこまでも続いていた。
エルマー様は、私の手を、しわだらけの両手で、包んだ。
「一人で、やろうとするでないぞ。おなかの子のためにもな」
次回、「森のふち」。雪見村から、助っ人が来ます。
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