第39話 渡し場の将軍
【前回までのあらすじ】
将軍の策は「向こう岸の森を、端から端まで焼く」。
クラウスは「森を焼く兵を渡す橋は、かけない」とことわり、陛下の前で話すことになった。
つぎの朝。王都へ発つのは、昼すぎだった。
馬車に荷を積んでいるあいだに、私は、アンナと、渡し場の村へ行った。
ペーターくんのおばあさんに、ひざかけを届ける約束をしていた。
アンナが編んだ、厚い毛糸の。
王都へ行けば、ひと月は、戻ってこられない。
村の入り口で、アンナが、私の袖を引いた。
「奥様。……あれ」
岸ぞいの、黒い土手の上に。
白いひげの、背の高い人が、ひとりで、立っていた。
赤いマントの兵は、一人も、つれていなかった。
◇
将軍は、村の畑を、見ていた。
一枚ずつ。
端から、端まで。
カブの葉が、夏の風に、ゆれていた。
豆のつるが、棒に、からみついていた。
ペーターくんが、桶をさげて、畑のあぜを、走ってきた。
将軍の前で、止まった。
「……兵隊の、えらい人?」
「えらいかどうかは、知らん」
将軍は、ペーターくんの桶を見た。
「この畑は、いつからある」
「三年前から。奥様が、がれきを、土にしたんだ」
ペーターくんは、うしろの私を、ふり返った。
将軍も、ふり返った。
私は、ひざかけの包みをかかえたまま、小さく、頭を下げた。
将軍は、何も言わなかった。
また、畑のほうを、向いた。
◇
そのとき、うしろで、杖の音がした。
ペーターくんのおばあさんが、家の戸口から、出てきていた。
おばあさんは、将軍の顔を、下から、じっと見あげた。
長いこと、見ていた。
「……あんた。十年前の、援軍の、大将だろう」
将軍の肩が、少しだけ、動いた。
「覚えていたか」
「覚えてるさ。城下へ逃げる道で、あんたの兵から、パンをもらった。かたい、黒いパンだったよ」
おばあさんは、杖の先で、土手の黒い土を、つついた。
「わしらが逃げた、三日目の朝に、来たんだろう」
「ああ」
将軍は、川のほうを見た。
夏の浅瀬。
黒い石が、水の上に、頭を出していた。
「着いたときには、もう、壁が立っていた。浅瀬の手前に、塔ほどの氷が、川のはばいっぱいに」
将軍の声は、低かった。
「壁の向こうに、獣が、何百と、折りかさなっていた。……凍って」
アンナが、私の腕に、そっと、ふれた。
「壁のはしは、向こう岸の、森のふちに、くいこんでいた。木が、何本も、氷の中に、立ったまま、白くなっていた」
将軍は、向こう岸の、灰色の森を見ていた。
「わしの兵は、あの三日、一人も、死ななかった。剣を、ぬきもしなかった。……壁の前で、見ていただけだ」
◇
おばあさんは、ふん、と鼻を鳴らした。
「それで、今度は、森を焼くのかい」
「焼く」
将軍は、すぐに、答えた。
「この村が、二度と、城下へ逃げなくてすむように」
おばあさんは、だまった。
将軍は、自分の手袋の手を、見おろした。
「あの三日、北の国境は、十八の若者の、片手にのっていた。千の兵が、その手のうしろで、ただ、立っていた」
将軍は、手を、にぎった。
「同じことは、二度と、させん。もう、公爵ひとりに、国境を背負わせはせん。だから、焼く。わしの手で」
私は、包みを、ぎゅっと、かかえた。
将軍は、クラウス様を、兵器だと思っているのだと、思っていた。
でも、この人は。
クラウス様に、もう一度、ひとりで、あの壁を立てさせたくないのだ。
◇
「将軍様」
私は、言った。
「向こう岸の獣を、近くで、見たことは、ありますか」
将軍は、私を見た。
「壁ごしに、な。凍ったのを」
「生きているのは」
将軍は、答えなかった。
かわりに、おばあさんが、杖で、浅瀬のほうを、さした。
「この夏、一頭、来たよ。そこで、倒れた。……なんにも、しなかった」
「聞いている」
「埋めたのは、そこの、土手の外さ」
将軍は、おばあさんの杖の先を、目で、たどった。
土手の外の、掘りかえした、新しい土。
まだ、草も、生えていなかった。
将軍は、しばらく、そこを見ていた。
「獣は、寒さが限界をこえると、山から、下りてくる」
ひとりごとのような、声だった。
「わしは、南の国境の、粉屋の息子だった」
「八つの年の夏は寒くて、山には、木の実ひとつ、ならなかった。その冬、狼の群れが、山から下りてきて、春には、村ごと、町へ逃げた」
将軍は、それきり、土手をおりて、城下のほうへ、歩いていった。
ペーターくんが、その背中に、言った。
「えらい人ー! カブ、いるー?」
将軍は、ふり返らなかった。
でも、片手を、少しだけ、上げた。
◇
城へ戻ると、私は、厩へ行った。
クラウス様が、わらに膝をついて、子馬の首に、腕をまわしていた。
私は、戸口で、かぞえた。
ひとつ。ふたつ。
――とお。
クラウス様は、そっと、腕をほどいた。
手袋の指先が、うっすら、白くなっていた。
子馬は、もう、逃げなかった。
クラウス様の膝に、鼻を、こすりつけていた。
私は、村で聞いたことを、話した。
援軍のこと。
将軍の、生まれた村のこと。
凍った獣のこと。
十八の若者の、片手のこと。
クラウス様は、子馬の首を、なでながら、聞いていた。
「……あの三日目の朝のことは、覚えていない」
クラウス様が、言った。
「壁を立てて、岸で、倒れた。目がさめたのは、城の、あの部屋だった。援軍の顔も、見ていない」
「壁が、どこまで、とどいていたかも?」
クラウス様は、手を止めた。
「向こう岸までは、見ていない」
子馬が、クラウス様の手袋を、くわえて、引っぱった。
クラウス様は、少しだけ、笑って、手をぬいた。
厩の窓から、川の向こうの、灰色の森が、見えていた。
門のほうで、馬車に荷を積む音がしていた。
次回、「私の手は、焼くための道をつくる手ではない」。王宮で、二人が答えます。
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