第38話 将軍
【前回までのあらすじ】
はじめて渡った向こう岸の森は、灰色に枯れていた。獣たちは、遠まきに見ているだけだった。
城に戻ると、王都から早馬。「将軍が、兵をつれて北へ来る」。
向こう岸から戻った、つぎの朝。
ハンスさんの帳面の一行は、『床を這って、扉の下まで』だった。
浅瀬に、氷の板を、何十枚も並べた日だった。
その日の夕方も、クラウス様は、厩へ行った。
夏のあいだに、十かぞえるあいだは、子馬の首を抱いていられるようになった。
手袋の指先は、まだ、ときどき、白くなった。
◇
将軍が城に着いたのは、十日後だった。
兵が、五十人。
そのうちの十人は、赤いマントを着ていた。
「火の手の兵だ」
城の窓から見おろして、クラウス様が言った。
「火の手……」
「手のある者だけを集めた、王宮の隊だ。火を出せる。……戦のときに、使う」
城門をくぐった兵たちは、中庭で、馬からおりた。
赤いマントの一人が、手袋をぬいで、手のひらを、上に向けた。
ぽっ、と、手のひらの上に、炎が立った。
こぶしくらいの、オレンジ色の火。
その火で、ほかの兵たちが、たき火の薪に、火をつけていく。
中庭の花壇のそばで、ヘルガ様の使いで、薬草を届けに来ていたフィンくんが、目をまるくして、見ていた。
「……すげえ」
アンナが、あわてて、フィンくんの肩を、うしろへ引いた。
赤いマントの兵は、フィンくんに気づくと、手のひらの炎を、ふっと、にぎりつぶした。
「坊主。手は、あるのか」
「土の手」
フィンくんが、胸を張った。
兵は、少しだけ、笑った。
「土か。戦じゃ、使えねえな」
フィンくんの顔が、まっ赤になった。
兵は、それきり、ふり返らずに、たき火のほうへ戻っていった。
中庭の花壇は、北に来た最初の冬、私が、はじめて、がれきを土にした花壇だった。
その黒い土に、兵の長靴のあとが、いくつも、ついていた。
◇
将軍は、白いひげの、背の高い人だった。
大広間に入ってくるなり、テーブルの上に、地図を広げた。
北の地図。
大河と、向こう岸の、黒い森。
「公爵。おととしの冬に、魔物の群れが、浅瀬を渡ってきたそうだな」
「来た。止めた」
「次は、止められるか」
クラウス様は、答えなかった。
「十年前も来た。おととしの冬にも来た。この夏も、来たと聞く」
将軍は、森の上に、太い指を置いた。
「森がある限り、魔物は来る。なら、森をなくせばいい」
広間が、しんとした。
「焼くのだ。向こう岸の森を、端から端まで。火の手の兵なら、ひと月で、灰にできる」
◇
「森は、もう、半分、死にかけています」
私が言うと、将軍は、はじめて、私を見た。
「……奥方か」
「向こう岸に、渡りました。木は、夏なのに、葉を落としていました。土は、かさかさで、灰色です」
「なら、なおさら、焼けばよく燃える」
「獣たちは、襲ってきませんでした」
将軍は、眉を上げた。
「遠くから、見ていただけです。浅瀬で死んだ一頭も、畑を見つめて、倒れただけでした。口の中には、枯れた木の皮しか、ありませんでした」
「飢えた獣ほど、人を襲うものだ」
将軍は、地図から、目を上げなかった。
「奥方。戦は、情けでは、守れん」
◇
将軍は、それから、クラウス様に向きなおった。
「公爵には、橋をつくってもらう」
「橋?」
「火の手の兵が、川を渡るための、氷の橋だ。浅瀬だけでは、五十人の兵と、油の樽は、運べん」
将軍は、クラウス様の右手を、じっと見た。
「十年前、大河を一晩で凍らせて、千メートルの壁を立てた手だ。橋の一本くらい、わけはあるまい」
クラウス様の手が、テーブルの下で、にぎりしめられた。
私は、その手を、見ていた。
十年前、あの壁を立てたあと、七年、毎晩、自分の氷で凍えつづけた手。
おととしの冬、王の道の橋をかけて、はじめて「軽い」と言った手。
「この手は」
クラウス様が、低い声で言った。
「人を、渡すための橋は、かける。森を焼く兵を、渡すための橋は、かけない」
将軍の顔色が、変わった。
「王命だぞ、公爵」
「まだ、陛下の命ではない。将軍の案だ」
クラウス様は、立ちあがった。
「陛下の前で、話をさせてもらう」
◇
将軍は、兵をつれて、城下の宿に移った。
その夜、城の窓から、渡し場のほうを見ると、岸に、赤い火が、いくつも見えた。
火の手の兵たちが、たき火をしていた。
大河の向こうに見せつけるように。
向こう岸の森は、まっ暗だった。
「あの将軍を、前から、ご存じなんですか」
私が聞くと、クラウス様は、窓わくに、手をかけた。
「十年前、壁を立てたあと、王都に呼ばれた。勲章をくれたのが、あの男だ」
「勲章……」
「『北の氷は、千の兵に勝る』と、陛下の前で、言った」
クラウス様の指のまわりで、窓わくに、うっすらと、霜がひろがった。
「それから、毎年、手紙が来た。南の国境で、小ぜりあいがあるたびに。氷の公爵の手を、貸してほしいと」
「……行ったんですか」
「一度も」
クラウス様は、窓わくから、手をはなした。
霜は、すぐに、とけて、しずくになった。
「あのころは、毎晩、自分の氷で、目がさめた。……眠れない者が、行ったところで、役には立たん」
私は、クラウス様の手を見た。
十年前、あの壁を立てたあと、七年、毎晩、自分の氷で凍えつづけた手。
将軍は、その七年を、知らない。
知っているのは、千メートルの壁のことだけだ。
「……リーゼ」
クラウス様が、うしろから言った。
「あす、王都へ発つ。将軍も、一緒だ。陛下の前で、話をつける」
「私も、行きます」
「身重で、峠の五日は」
王の道は、冬の道だ。
支流の橋も、崖の下の棚も、クラウス様の氷でできている。夏の日ざしの下では、かけたそばから、とけていく。
だから、今は、橋がない。
夏に南へ行くなら、峠をこえるしかない。
「行きます」
クラウス様は、少しのあいだ、だまっていた。
「峠は、ゆっくり行く。七日かけて」
「はい」
私は、窓の外の、向こう岸を見た。
まっ暗な森の、どこかで。
昼間、私のおなかのあたりを見ていた、あの獣たちも、こちら岸の火を、見ているのだろうか。
次回、「渡し場の将軍」。将軍が、渡し場の村を歩きます。
マジで☆何個でもいいので、つけてください!




