第35話 春の知らせ
【第二部までのあらすじ】
地下室で十年、土をつくらされてきたリーゼは、氷の公爵クラウスの妻になり、北を二人で守ってきた。
北に来て三年がたった春。リーゼのおなかには、子がいる。
城のみんなに話したのは、畑でクラウス様にかごを取りあげられた、次の朝だった。
厨房の、朝ごはんの席で。
「……あの。みなさんに、お話があります」
ハンスさんが、スープの皿を置いた。
料理長が、おたまを持ったまま、ふり返った。
トマさんは、パンを口に入れたまま、止まった。
アンナだけが、もう、泣いていた。
「アンナ。まだ、何も言ってないわ」
アンナは、両手で口をおさえたまま、何度も、何度も、うなずいた。
それで、みんなに、わかってしまった。
◇
ハンスさんは、すぐに、帳面をひらいた。
「冬のはじめ、でございますね」
指で、月をかぞえる。
「雪が深くなる前に、王都から、産婆を呼んでおきます。いえ、雪見村から、ヘルガ様にも、お越しいただいて……」
「ハンス」
クラウス様が言った。
「まだ、春だ」
ハンスさんは、帳面から、顔を上げた。
「さようでございます。ですが、今のうちから、手配はしておきます」
料理長は、何も言わずに、私のスープに、肉をもうひと切れ、足した。
次の日も、その次の日も、足した。
◇
クラウス様は、少し、おかしくなった。
私が、中庭の花壇に、しゃがもうとすると。
「座れ」
厨房で、水がめを持とうとすると。
「俺が持つ」
月に一度、フィンくんが習いに来る日の、城の畑のすみの、外の教室で、がれきに手を置こうとすると。
「フィン。今日は、お前がやれ。リーゼは、見ているだけだ」
フィンくんは、目をまるくして、それから、うれしそうに、がれきにかじりついた。
「……クラウス様。私、病気じゃないんです」
「わかっている」
わかっていない顔で、クラウス様は、私の手から、シャベルを取りあげた。
◇
次の日の昼、私は、厩へ行った。
トマさんが、荷車の車輪に、油をさしていた。
峠の雪がとけたら、王都へ、今年最初の雪の茶を運ぶ。
「奥様。おめでとうございます」
トマさんは、手を止めて、帽子を取った。
「きのうは、おどろいてしまって、何も言えませんでした」
私が笑うと、トマさんも、笑って、また、車輪にかがみこんだ。
少しだけ、右の足を、ひきずって。
「そういえば、旦那様が、きのうの夕方、ここに来ました」
「クラウス様が?」
「馬を見に来たのかと思ったら、馬は見ないで、おれのほうを、じっと見てました。……おれの、足を」
トマさんは、油のつぼに、刷毛をつっこんだ。
「何か用ですかって聞いたら、何でもない、って。それで、帰っていきました」
私は、厩の入り口に立ったまま、しばらく、トマさんの足もとを見ていた。
両足の指は、十年前、凍って、なくなった。
毛布を持って、あの部屋の扉の前に立った、その夜に。
◇
その夜。
寝台が、ぎしりと鳴って、私は、目をさました。
クラウス様が、寝台から、そっと、おりるところだった。
自分の枕と毛布を、わきにかかえて。
「……クラウス様?」
クラウス様の背中が、止まった。
「どこへ、行くんですか」
「回廊の奥の、客間だ」
「どうして」
クラウス様は、ふり向かなかった。
「おととしの秋、荷車に積む、十日もつ氷の板をつくっただろう」
「……はい」
「あの夜、手を使いすぎて、眠っているあいだに、霜をこぼした。君は、冷たくて、目をさました」
クラウス様の側の毛布にだけ、白く、霜が降りていた夜。
クラウス様は、自分の手を見た。
「赤ん坊は、目をさまさない」
私は、何も言えなかった。
昼間、厩で見た、トマさんの足を、思い出していた。
「抱けるのか。俺は」
クラウス様の声が、暗い部屋に、落ちた。
◇
クラウス様は、扉のほうへ、一歩、歩いた。
「待ってください」
私は、寝台の上で、起きあがった。
「ひとりで決めて、ひとりで行かないでください」
クラウス様の足が、止まった。
「この子は、クラウス様の子でもあるんです。どうするかは、二人で、ちゃんと、話しあいましょう」
私は、手をのばした。
クラウス様は、しばらく、その手を見ていた。
それから、毛布と枕を、床に置いて、私の手を、にぎった。
冷たかった。
でも、霜は、降りなかった。
◇
毛布にくるまって、窓辺の椅子に、ならんで座った。
眠っているあいだの氷を、どうするか。
赤ん坊が生まれたら、どこで、誰が、寝かせるのか。
一つずつ、話した。
すぐに答えの出ることは、一つもなかった。
「冬のはじめまでに、二人で、方法を考えましょう」
「……ああ」
「それまで、眠るときは、あの客間で眠る」
「はい。……でも、眠るまでは、ここにいてください」
クラウス様は、私の手を、にぎりなおした。
窓の外が、白くなるまで、私たちは、話しつづけた。
次回、「夏の浅瀬」。渡し場の村の子が、川で、あるものを見つけます。
マジで☆何個でもいいので、つけてください!




