第34話 春の王の道
【前回までのあらすじ】
陛下の裁きで、ブラント商会は店をたたみ、土の手を王家があずける話は、なしになった。
ハーヴェルの畑は、ミレイユにあずけられた。「ふつうの土で、やってみます」。
北に、春が来た。
大河の氷の橋は、すっかりとけて、ただの川に戻った。
岸の黒い土の帯だけが、雪のとけた野原の中に、まっすぐ、残っていた。
春になれば、峠の雪も消える。荷車は、峠を通れる。
もう、関所で止められることもない。
ブラント商会の店が閉まって、北の塩と油は、南の小さな店から、届くようになった。
値は、もとに戻った。
王の道は、また、冬に、つくりなおす。
私が土に手を当てて、クラウス様が、橋をかけて。
◇
雪どけの道を、馬そりではなく、荷車が一台、城にやってきた。
手綱をにぎっていたのは、フィンくんだった。
荷台には、雪見村の祖母、ヘルガおばあ様が、杖をかかえて座っていた。
「おばあ様!」
「春の薬草を売りに来たついでさ」
おばあ様は、ふん、と鼻を鳴らした。
それから、フィンくんの背中を、杖の先で、こつんと押した。
「この子に、ちょいと、見せてやっておくれ」
フィンくんが、帽子をにぎりしめて、一歩、前に出た。
「お、おねえさん。土の手を、教えてください」
フィンくんの声が、うらがえった。
「おばあは、もう、手が弱くて、教えられないって。……おれ、渡し場の村みたいな畑を、雪見村にも、つくりたいんです」
私は、しゃがんで、フィンくんと、目の高さをあわせた。
地下室で、私に、土のつくり方を教えてくれたのは、母だった。
母は、いつも、歌を歌いながら、がれきに手を置いていた。
「いいよ」
私は、フィンくんの手を取った。
小さな手。爪のすきまに、もう、とれない黒が、しみこんでいた。
フィンくんが、ぱっと笑った。
うしろで、ヘルガおばあ様が、そっぽを向いた。
「……ローザに、似てきたね、あんた」
◇
城の畑のすみで、一時間だけ、フィンくんに、教えた。
がれきに、手を置く。急がない。土の奥まで、手のひらのあたたかさが、しみていくのを待つ。
フィンくんの手の下で、こぶしくらいの土が、黒くなった。
「……できた」
フィンくんは、自分の手を、ふしぎそうに、見つめていた。
◇
その日の午後、私は、おばあ様を、渡し場の村へ案内した。
荷車をおりると、おばあ様は、杖をついたまま、しばらく動かなかった。
黒い畑が、二十枚。
その上に、カブと豆の、やわらかい緑。
家々の煙突から、昼の煙が、上がっている。
岸には、あの冬の夜に、村の人たちがつくった、黒い土手が、まっすぐのびていた。
「……がれきの山だったって、聞いたよ」
「はい。私が来たとき、ここには、誰もいませんでした」
おばあ様は、畑のあぜに、ゆっくりと、しゃがんだ。
しわだらけの手を、黒い土の上に、そっと置く。
「あったかいね」
おばあ様は、目をとじた。
「ローザに、見せてやりたかった」
夕方、おばあ様とフィンくんは、薬草の代金を、ふところにしまって、荷車で、雪見村へ帰っていった。
それから、フィンくんは、ひと月に一度、薬草を売りに来るたびに、城の畑で、土の手を習っていくようになった。
◇
その夜。
私とクラウス様は、ひさしぶりに、厨房のかまどの前にいた。
二人の部屋でも、お茶は淹れられる。
でも、ときどき、こうして、ここに来たくなる。
料理長の丸椅子は、いつのまにか、二つになっていた。
カモミールと、レモンバームと、雪月草をひとつまみ。
湯気の向こうで、クラウス様が、カップを両手で包んでいた。
「リーゼ」
「はい」
「来年の冬も、道をつくる」
「はい」
「再来年も。その次も」
クラウス様は、カップの中を見つめた。
「君が、地下室で、十年、土をつくっていたように。……今度は、君が選んだ場所で、何年でも」
私は、少し、考えた。
それから、言った。
「クラウス様が、となりで、橋をかけてくれるなら」
クラウス様は、何も言わなかった。
ただ、テーブルの下で、私の手を、そっとにぎった。
◇
私が北に来てから、三年がたった。
雪どけのころ、ミレイユから、手紙が届いた。
『お姉様へ
十二のお家への返金が、今年、ぜんぶ終わりました。
そのうちの四軒が、子爵家と、新しい取引をしてくれることになりました。
男爵家も、その一軒です。
あずかった畑に、去年の秋、麦をまきました。
雪の下で冬をこす、南の麦です。
その芽が、冬をこして、いま、青くそろっています。
お姉様の土の畑みたいに、ぎっしりではありません。
でも、ちゃんと、麦です。
手がなくても、できることは、ありました。
三年かかりました。
ミレイユ』
私は、手紙をたたんで、畑に出た。
渡し場の村の、いちばん最初の畑。
三年前の冬、がれきの山から、私が最初につくった畑だ。
帳面の印のとおり、今年で、ちょうど三年。
土は、力を作物にわたしきって、少し白っぽくなっていた。
「奥様、となりの新しい畑の、がれき、持ってきました!」
村の子どもたちが、荷車を押してくる。
三年前は、私の腰くらいだった子が、もう、私の肩まであった。
荷車のいちばんうしろを押しているのは、背の伸びたフィンくんと、ペーターくんだった。
その横で、金色の髪の若い男の人が、村長さんにどなられながら、がれきのかごをかついでいた。
商会の跡取りだった人だ。三年の畑の仕事も、二年目に入った。
私は、畑にしゃがんで、両手を置いた。
うしろで、クラウス様が、子どもたちに混じって、がれきを運んでいる。
北の英雄が、腕まくりをして、泥だらけで。
「笑うな」
「笑っていません」
「笑っている」
手のひらの下で、白っぽい土が、黒く、しっとりと湿っていく。
誰にも、数えられない。
袋につめなくていい。
ふと、手を止めて、私は、自分のおなかに、そっと、土のついた手をあてた。
まだ、クラウス様にしか、話していない。
この子の手は、何の手だろう。
土の手か、氷の手か。それとも、何の手も、持たずに生まれてくるのか。
どれでも、いい。
この子が、自分で選んだ場所で、自分の手を、使えるなら。
私が、横の、がれきのかごを、持ちあげようとすると。
「リーゼ。そこは、俺が運ぶ」
クラウス様が、あわてて、かごを取りあげた。
重いものは、持つな。ゆうべ、そう言われたばかりだった。
子どもたちが、首をかしげた。
アンナだけが、あぜ道で、両手で口をおさえていた。
私は、笑って、もう一度、土に手を置いた。
私の土は、私が手を当てに来るかぎり、何年でも、生きつづける。
そして、いつか、この子の手に、わたしていく。
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