第30話 私が言います
【前回までのあらすじ】
王宮から、王家の紋の手紙が来た。「土の手を、王家があずかる件について、話を聞く」。申し出たのは、王妃の兄、レーヴェンタール。
添え書きには、夫人はこのまま王都に住むこと、北へは公爵ひとりで帰ること、とあった。
リーゼは、トランクに、着がえを三日分だけ入れた。
第二部の山場です。
王宮の、謁見の間。
高い天井。赤いじゅうたん。
二年近く前、継母とミレイユは、この王宮の、小さな謁見の間で、陛下の裁きを聞いた。
今日、じゅうたんの上に立っているのは、私たちだった。
陛下の右に、王妃様。
その下に、白髪まじりの、背の高い男の人が立っていた。
レーヴェンタール侯爵。
王妃様の兄で、峠の関所の権利を、王家から預かっている人。あの手紙の、申し出の主。
レーヴェンタールの少しうしろには、丸い顔の、ブラント商会の会頭、ヴィクトールさん。
今日も、にこにこしていた。
◇
「陛下」
レーヴェンタールが、よく通る声で言った。
「土の手は、何百年に一人という、国の宝でございます。その宝が、いま、北の一つの家に、置かれております」
レーヴェンタールは、ちらりと、私を見た。
「その結果、どうなりましたか。王都では、北の茶で、貴族の娘が倒れた。北の畑には、塩がまかれた。宝は、いつも、ねらわれるのです。北の城に置いておいては、守りきれません」
レーヴェンタールは、陛下に向きなおった。
「土の手は、王家があずかるべきです。王都に住まわせ、王家の畑に、国じゅうのために、土をつくらせる。そのほうが、本人のためでもございましょう」
広間が、ざわめいた。
私のとなりで、クラウス様の足もとに、白い霜が、ぱきりと走った。
「陛下」
クラウス様が、一歩、前に出た。
「リーゼを、物のように――」
私は、クラウス様の手を、にぎった。
クラウス様が、私を見た。
二年近く前、伯爵家の人たちが、私を地下室へ連れ戻そうとしたとき。
クラウス様は、私の前に立って、「ここからは、俺が言う」と言った。
あのときの私は、「お断りします」としか、言えなかった。その先は、クラウス様が言ってくれた。
今は。
「私が言います」
◇
私は、クラウス様の手を、そっと放して、前に出た。
ひざが、ふるえていた。
でも、声は、ふるえなかった。
「陛下。私の手は、十年、鍵のかかった部屋の中で、誰かのもうけのために、使われてきました」
広間が、しんとした。
「朝から晩まで、がれきを土にして。その土で、誰かが、ほめられて。私は、その人の顔も、畑も、見たことがありませんでした」
私は、自分の手を見下ろした。
あかぎれのあと。皮のむけたあと。
とれない、爪の黒。
「レーヴェンタール様は、私のためだと、おっしゃいました。継母も、そう言いました。地下室にいるほうが、おまえのためだと」
レーヴェンタールの眉が、ぴくりと動いた。
「私は、もう、誰かに、預けられたくありません」
私は、顔を上げて、陛下を見た。
「でも、この手で、誰かの畑をつくることは、できます。私が、自分で選んだ場所で」
◇
「北の城から、王都まで、いま、冬でも、三日で荷車が走ります」
私は、続けた。
「峠ではなく、大河ぞいの、王の道です。昔、氷の手の王様と、土の手の娘がつくった道を、北のみんなで、つくりなおしました」
陛下の目が、わずかに見開かれた。
「この道があれば、南の、冬に食べものが足りない村にも、北の冬の野菜を運べます。……私の手は、王都の畑の中ではなく、あの道のはじまりにあるほうが、国じゅうのためになると、思います」
言いおえて、私は、頭を下げた。
足が、まだ、ふるえていた。
うしろで、クラウス様が、小さく、息をはいたのが聞こえた。
◇
「……ほう」
陛下が、ゆっくりと言った。
「では、北の茶の毒は、どうする。北の茶を飲んで、娘が一人、倒れたのだぞ」
「そのことでしたら」
広間の横の扉が、ひらいた。
エルマー様だった。
白いひげをなでながら、小さな麻の袋を、高くかかげた。
「陛下。男爵家のお嬢様が倒れた日に飲んだ茶の、残りでございます」
袋には、金色の麦の穂のしるしが、ぬいとられていた。
ブラント商会の、しるしだった。
ヴィクトールさんの笑顔が、はじめて、かたまった。
「中身は、カモミールとミント。北の茶と、同じでございます。……ただ、ひとつだけ、ちがうものが、まじっておりました」
エルマー様は、袋の中から、黒くちぢれた葉を、一枚、つまみ出した。
「黒ゼリの葉でございます。少し飲めば、胸が苦しくなり、気を失う」
広間が、ざわめいた。
「黒ゼリは、南の、あたたかい沼にしか生えません。北の凍った土では、芽も出ない。北の畑には、一本も、ございません」
エルマー様は、袋を、陛下の前の台に置いた。
「北の茶は、毒ではございません。毒は、この袋に、入れられたのです」
◇
それから、ハンスさんが、帳面の束を持って、前に出た。
「北の城の、四十年分の、買いつけと売りわたしの帳面でございます」
ハンスさんの声は、いつもどおり、静かだった。
「北の荷車が、峠の関所で止められた日を、すべて、書きとめてまいりました。毛皮、干し魚、炭、そして、おととしの冬からは、薬草とカブ」
ハンスさんは、もう一冊、べつの帳面をひらいた。
「こちらは、エルマー様のお口添えで、王都の市場の役所から写させていただいた、同じ年の、市場の売り値でございます」
ハンスさんは、二冊の帳面を、ならべた。
「北の毛皮が関所で止められた週には、ブラント商会の毛皮が、王都で、いつもの倍の値で売れております。北の炭が止められた週には、商会の炭が。……四十年、一度も、外れておりません」
謁見の間が、しんと静まりかえった。
「荷の調べを、商会にまかせていたのは、レーヴェンタール卿、そなたの家だな」
陛下が言った。
レーヴェンタールの顔が、まっ白になった。
「わ、わたしは、何も、知らぬことで――」
「裁きは、追って言いわたす」
陛下は、片手を上げた。
「レーヴェンタール卿、ブラント商会の会頭。それまで、王都を出ることを禁ずる」
◇
謁見の間を出た廊下で、私は、呼びとめられた。
「……お姉様」
ミレイユだった。
袋を届けた者として、呼ばれていたのだという。
最後に会った、あの春より、やせていた。
ドレスも、飾りの少ない、地味なものになっていた。
ミレイユは、両手を、前でにぎりしめていた。
「鉢を、割って、ごめんなさい」
――母の種から育てた、レモンバームの鉢。
地下室で、ミレイユが、床に落として、割った。
私は、すぐには、何も言えなかった。
許す、とは、言えなかった。
言わなくていいと、思った。
かわりに、言った。
「……レモンバームは、生きてるよ」
ミレイユが、顔を上げた。
「北の城の、窓辺で。毎晩、お茶にしてる」
ミレイユは、くしゃりと顔をゆがめて。
それから、小さく、うなずいた。
マジで☆何個でもいいので、つけてください!




