第23話 祖母ヘルガ
【前回までのあらすじ】
母ローザの村「雪見」から、祖母ヘルガの手紙が届いた。リーゼは、母の家族が生きていることを、はじめて知った。
古い地図の黒い点は、雪見の村まで続いていた。リーゼとクラウスは、馬そりで三日の旅に出る。
森の中では一枚の毛布を二人で。そして大河の岸で、「土」ときざまれた古い石を見つけた。
今回は、母ローザの若いころのお話です。
杖をついたおばあさんは、何も言わずに、私の前まで来た。
小さな人だった。
私の肩くらいまでしかない。
しわだらけの顔の中で、目だけが、するどく光っていた。
おばあさんは、私の手を取った。
手袋を、ぬがされた。
あかぎれのあと。塩の畑で、皮がむけて、やっと治ったばかりの手のひら。
爪のすきまの、とれない黒。
おばあさんは、それを、長いこと、じっと見ていた。
それから、私の顔を見上げた。
「……目は、ローザだね」
それだけ言って、くるりと背中を向けた。
「お入り。寒いだろう」
◇
ヘルガおばあ様の家は、屋根の低い、石の家だった。
天井から、干した薬草が、何十束も下がっていた。
カモミール。ミント。それから、見たことのない、白い花。
窓辺には、土の入った鉢が、いくつも並んでいた。
黒くて、しっとりとした土。
地下室の、私の鉢と、同じ土だった。
「あの、おばあ様。これを」
私は、アンナが包んでくれた布を、さしだした。
おばあ様は、布をひらいて、中の葉を、ひとつ、指でつまんだ。
鼻に、近づける。
おばあ様の手が、止まった。
「……レモンバームだね」
「母の種から、育てました。地下室で、ずっと」
おばあ様は、長いこと、葉のにおいをかいでいた。
「この種は、うちの畑のだよ」
おばあ様の声が、少し、かすれた。
「ローザが、出ていくとき、ひとにぎり、持っていった。……そうかい。地下で、まだ、生きてたのかい」
おばあ様は、葉を、そっと、布に戻した。
それから、何も言わずに、かまどにかけてあったやかんを、火の上にずらした。
「おばあ、お茶、いれた」
奥から、男の子が、湯気の立つカップを、四つ、お盆にのせて出てきた。
十歳くらい。ほっぺたが、りんごみたいに赤い。
「フィンだよ。村の子でね。わたしの足が悪くなってから、世話をしてくれてる」
フィンくんは、私とクラウス様と、外のトマさんの分まで、きちんとお茶を配った。
それから、私の手を、ちらっと見た。
「……おねえさんも、つちの手?」
「フィン」
ヘルガおばあ様が、低い声で言った。
フィンくんは、首をすくめた。
でも、私は、思わず、笑ってしまった。
「うん。土の手よ。フィンくんも?」
フィンくんは、ちょっと迷ってから、ポケットから、小石を一つ出した。
手のひらにのせて、ぎゅっと、にぎる。
ひらくと、小石があったところに、ひとつまみの、黒い土がのっていた。
「……これくらいしか、できないけど」
「すごい」
私は、本気で言った。
「私、フィンくんの年のころ、小石一つ、土にするのに、半日かかったわ」
フィンくんの顔が、ぱっと明るくなった。
◇
その夜。
かまどの火のそばで、ヘルガおばあ様は、母の話をしてくれた。
「雪見の村はね、何百年も、土の手の家が、いくつもある村だった。今は、手を持っているのは、わたしと、あの子だけだけどね」
おばあ様は、ちらりと、奥の部屋を見た。
フィンくんは、もう、眠っていた。
「村には、決まりがある。土の手は、村の外に出してはならない」
「……どうしてですか」
「外に出れば、手をほしがる者に、使われるだけだからさ」
おばあ様は、かまどの火を、じっと見つめた。
「昔、村を出た土の手の娘は、みんな、そうなった。どこかの家に、地下に閉じこめられて、死ぬまで土をつくらされた。だから、村は、外に出さないと決めた」
私は、ひざの上で、手をにぎった。
地下室。
「ローザは、十八のとき、一年だけ、王都の薬草園へ行かせた」
「決まりがあったのに、ですか」
「薬草園の、エルマーって人が、どうしてもって、頼みに来たんだよ。村の薬草を、王都で、何年も買ってくれていた人だ。手のことは、エルマーのほかには、誰にも言わない。一年たったら帰す。そういう約束でね」
おばあ様は、少しだけ、笑った。
「でも、ローザは、帰ってきたとき、ひとりじゃなかった。王都で、薬草を買いに来ていた、若い伯爵様と、恋をしてね。その人の家に、嫁ぎたいと言った」
――お父様。
「わたしは、だめだと言った。その人は、薬草の家の人だ。土の手の値打ちを、いちばんよく知っている。きっと、おまえの手を使うよって」
おばあ様の声が、少し、かすれた。
「ローザは、それでも、出ていった。わたしは、二度と帰ってくるなと言った。……それきりだよ」
かまどの火が、ぱちりとはぜた。
◇
「お母様は」
私は、やっと、口をひらいた。
「お母様は、伯爵家の地下の作業場で、土をつくっていました。古い貯蔵庫で、ひんやりしていて、土をねかせるのに、ちょうどいいからって。お父様の薬草畑のために、自分で決めて。扉に、鍵なんて、かかっていませんでした。私も、そこで、教わりました」
「……そうかい」
「お母様は、つらそうじゃなかったんです。土をつくるとき、いつも、歌を歌っていました。つらくなったのは、お母様が死んでからです。継母が来て、扉に、鍵がかかって」
おばあ様は、しばらく、黙っていた。
「おととしの春、公爵様のお城の人が、教会に来て、ローザが死んだと知った。残された娘が、十年、地下に閉じこめられて、土をつくらされていたこともね」
おばあ様は、杖を、ぎゅっとにぎった。
「わたしが言ったとおりになった、と思った。土の手は、外に出れば、使われる。……だから、教会の者に、わたしのことは言うなと言ったんだよ。公爵様の家だろうと、土の手の家がここにあると知れたら、次は、この村の子が連れていかれる」
「……それなら、どうして、手紙を」
「渡し場の話を、聞いたからさ」
おばあ様は、私を見た。
「がれきの山を、畑にした娘がいる。村の者を、家に帰した娘がいる。地下から出て、自分で、そうしている。……それを聞いて、思ったんだよ。わたしは、まちがっていたのかもしれないって」
おばあ様の目に、かまどの火が、ゆれていた。
「あの子は、手を、自分で選んだ人のために、使いたかったんだよ。わたしは、それを、わかってやれなかった」
私のとなりで、クラウス様が、そっと、私の手を取った。
おばあ様は、それを見て、少しだけ、目を細めた。
「明日、見せたいものがある。ローザが、置いていったものだ」
母ローザは、反対を押しきって、自分で選んだ人のところへ行きました。
次回、「王の道」。ローザが村に残した、一通の手紙。
☆何個でもいいので、つけてください!




