第22話 雪見の村へ
【前回までのあらすじ】
十日もつ氷の板で、荷車は関所を乗りきった。けれどクラウスは手を使いすぎ、夜中に、また霜をこぼした。
城の書庫の古い地図には、峠のほかに、大河ぞいに並ぶ、字の消えた黒い点があった。
そして侯爵が、王宮で言いはじめる。「土の手は、王家があずかるべきだ」。
今回は、三日間の旅のお話です。
あの日から、夜になると、クラウス様と二人で、書庫の地図を広げた。
黒い点は、城から川を下って、南の王都のほうへ、並んでいる。
峠を通らない道が、昔は、本当にあったのかもしれない。
でも、点が何の印なのか、城の誰も、知らなかった。
点は、川をさかのぼって、北の山の奥へも、続いていた。
初雪から、五日たった日。
城下の市に、毛皮を売りに来た猟師が、一通の手紙を、城の門番にあずけていった。
あて名は、「渡し場のがれきを畑にした娘へ」。
◇
『渡し場のがれきを畑にした娘がいると、雪見の村まで、聞こえてきた。
夏に、山を下りた猟師が、持って帰ってきた話だ。
おととしの春、公爵様のお城の人が、村の教会に、ローザの遺言書の写しをさがしに来た。
それで、ローザに娘がいて、その娘が、北の公爵様に嫁いだと知った。
ローザから、娘にあずかっている話がある。
大河ぞいの、古い道の話だ。
ローザの娘なら、一度、来なさい。
雪で道がふさがる前に。
雪見の村 ヘルガ
ローザの母』
◇
私は、手紙を持ったまま、しばらく、動けなかった。
母の村の名前が「雪見」だということは、遺言書のことがあったあとで、クラウス様から聞いていた。
でも、母の家の人が、まだ、その村に生きているなんて。
母は、自分の家のことを、ほとんど話さなかった。
聞いても、「遠いところよ」と笑うだけだった。
だから私は、母の家族は、もう、誰もいないのだと思っていた。
「教会へ行った者は、遺言書の写しを受け取っただけで、戻ってきた」
クラウス様が、手紙をのぞきこんで言った。
「村に、ローザ殿の母上がいるとは、誰も言わなかったそうだ」
「……おばあ様」
「大河ぞいの、古い道」
クラウス様が、手紙の一行を、指でおさえた。
◇
その夜、大広間で、また、地図を広げた。
雪見の村は、大河を、北へ、ずっとさかのぼったところにあった。
まわりは、雪の山ばかり。
そして。
「――点が」
私は、地図を指でなぞった。
あの、字の消えた黒い点。
城から川をさかのぼって、北へ、北へ。
点は、雪見の村のところまで、とぎれずに、続いていた。
「行きたいです」
私は、顔を上げた。
「おばあ様に、会いたい。お母様が、どんな村で育ったのか、知りたい。それに、おばあ様の言う古い道は、この点のことかもしれません。わかれば、王都への道も、わかるかもしれない」
クラウス様は、しばらく、地図を見ていた。
それから、言った。
「馬そりで、三日だ。雪が深くなる前に、出る」
「国境は、よろしいのですか」
ハンスさんが、たずねた。
「魔物が来るのは、昔から、夏だ。大河の水が少なくなって、渡し場の浅瀬が渡れるようになるころ。冬の大河の氷は、魔物の重さには、たえられない。……冬のあいだは、大丈夫だ」
クラウス様は、地図をたたんだ。
◇
出発の前の晩、アンナが、私の部屋で、荷づくりを手伝ってくれた。
厚い靴下。毛の帽子。手袋は三組。
母の薬草の本と、雪月草の缶。
「奥様。おばあ様に、何を持っていかれますか」
「……何がいいのかしら」
会ったこともない、おばあ様。
母が、二十年、帰らなかった家。
私は、しばらく考えて、窓辺の鉢から、レモンバームの葉を、ひとにぎり摘んだ。
地下室で、ミレイユに割られて、植えなおした鉢の子。
母の種から育てた、レモンバーム。
「これにする。お母様の種から、育てたものだから」
アンナは、葉を、きれいな布で包んでくれた。
それから、なぜか、こぶしをにぎった。
「奥様、がんばってください!」
「……アンナ。何を?」
アンナは、答えずに、にこにこしていた。
◇
三日後の朝、私たちは、城を出た。
馬そりの御者は、トマさん。
荷台には、毛布と、食べものと、お茶の道具。
一日目は、大河ぞいの、最後の村まで。
まだ雪が浅かったから、馬そりは、よく走った。
左に雪の野原。右に大河。
川の向こうの、魔物の森は、黒く、しずかだった。
最後の村で、宿を借りた。
宿のおかみさんは、私たちが雪見へ行くと聞いて、目をまるくした。
「あそこは、年に何度か、猟師が下りてくるだけの村ですよ。昔は、もっと人がいたって聞きますけどね」
◇
二日目は、森の中だった。
村がない。道もない。
トマさんが、大河の音をたよりに、木と木のあいだを、そりで抜けていく。
その日の夕方、森の中で、野営をすることになった。
たき火をおこすと、クラウス様が、風上に、手をかざした。
ぴしり、と音がして、雪の上に、氷の壁が立ちあがった。
私の背の高さくらいの、うすい、すきとおった壁。
吹きつけていた風が、ぴたりと止まった。
「……すごい」
「風よけだ。たき火の熱で溶けない程度に、はなしてある」
トマさんが、「旦那様の氷は、こういうときがいちばんありがたいです」と笑った。
夜。
そりの荷台で、毛布にくるまった。
毛布は、二枚あった。
一枚は、トマさんに。
もう一枚は――。
「……一枚しか、残っていませんね」
「そうだな」
クラウス様は、すずしい顔で、毛布を広げた。
「荷を積んだのは、アンナだ」
アンナ。
出発の前の晩、こぶしをにぎって、「奥様、がんばってください!」と言っていた。
あのときは、何をがんばるのか、わからなかった。
私は、クラウス様のとなりで、毛布にもぐりこんだ。
雪の森の、まっ暗な夜。
氷の壁のむこうで、風が、うなっていた。
でも、毛布の中は、あたたかかった。
◇
三日目の昼すぎ。
森がとぎれて、大河の岸に出たところで、トマさんが、そりを止めた。
「旦那様。あれ、なんでしょう」
雪の中から、石が、ひとつ、頭を出していた。
私のひざくらいの高さの、四角い石。
てっぺんが、すりへって、丸くなっている。
そりを下りて、雪を手ではらった。
石の横に、字が、きざんであった。
でも、ほとんど、消えていた。
読めたのは、一つだけ。
「……土」
クラウス様が、地図を広げた。
石のある場所には、ちょうど、黒い点があった。
◇
その日の夕方。
雪の山のあいだに、小さな村が見えてきた。
屋根の低い家が、十軒ほど。
煙突から、白い煙が、細く上がっている。
村の入り口に、小柄なおばあさんが、ひとり、杖をついて立っていた。
雪の中の、「土」ときざまれた石。
次回、「祖母ヘルガ」。母ローザが、なぜ村を出たのかが、わかります。
☆何個でもいいので、つけてください!




