第21話 峠のほかに、道はないのか
【前回までのあらすじ】
王都から戻ると、渡し場の村の畑に、一晩で塩がまかれていた。北で塩を売るのは、ブラント商会だけ。
リーゼは三日間、休まずに、十九枚の畑を手のひらでつくりなおした。手は血だらけになったが、クラウスがずっと横で冷やしていた。
つぎの朝、新しくまいたカブの種から、いっせいに芽が出た。
今回は、古い地図のお話です。
手のひらの皮が、もとに戻るまで、十日かかった。
そのあいだに、荷車が、もう一度、王都へ出た。
荷台には、クラウス様の、十日もつ氷の板。
指三本分だった板が、手のひらの厚さになっていた。
荷車は、また、峠の関所で、五日止められた。
でも、今度は、薬草も、カブも、しおれずに王都に着いた。
トマさんは、帰ってくると、まっさきに、クラウス様に頭を下げた。
「旦那様。あの氷、関所の役人が、目をまるくしてましたよ」
クラウス様は、「そうか」とだけ言った。
◇
その夜。
クラウス様は、夜中に、目をさました。
私も、つないだ手が冷たくなったので、目をさました。
「……クラウス様」
「大丈夫だ」
クラウス様は、自分の手を見つめていた。
寝台の、クラウス様の側の毛布に、うっすらと、霜が降りていた。
私の側には、届いていない。
それでも、雪月草のお茶を飲むようになってから、はじめてのことだった。
「手を、使いすぎた」
クラウス様が、低い声で言った。
「十日もつ氷を、荷車一台分。……毎週は、無理だ」
私は、起き上がって、クラウス様の手を、両手で包んだ。
冷たかった。
一年半前、回廊ではじめてふれたときほどでは、なかったけれど。
「峠のほかに」
私は、言った。
「峠のほかに、王都へ行く道は、ないんですか」
クラウス様は、しばらく、だまっていた。
「ない。……北の者は、皆、そう思っている」
「皆、ですか」
「俺も、子どものころから、そう教わった。北から南へ出るには、峠をこえるしかない。峠には、関所がある。関所を通らなければ、荷は、どこへも行けない」
クラウス様は、窓の外の、まっ暗な空を見た。
「……だが、そういえば、誰も、なぜかは、言わなかった」
◇
つぎの日。
クラウス様は、私を、城の書庫に連れていった。
いちばん奥の棚に、古い地図が、巻いて、しまってあった。
ハンスさんが、それを、机の上に広げた。
羊の皮に描かれた、北の地図だった。
色があせて、ところどころ、ひびが入っている。
まんなかを、大河が、北の雪の山から、南の王都のほうへ流れていた。
大河の東の岸は、魔物の森だ。
西の岸のまんなかあたりに、城と、渡し場の村。
城から、大きく西へ回りこんで、山をこえて、王都へ向かう線。それが、峠の道だった。
大河は、流れが速く、岩だらけで、船では下れない。川ぞいは、崖つづきだ。
だから、峠の道は、川からはなれて、山のほうへ回りこんでいる。
「峠のほかには、道は描かれておりません」
ハンスさんが言った。
「峠の道は、八十年ほど前に、レーヴェンタール侯爵家が、王家の命で切りひらいた道でございます。関所の権利も、そのとき、侯爵家にあたえられました」
「八十年前……。それより前は、北の荷は、どうやって南へ出ていたんですか」
ハンスさんは、少し、目をふせた。
「それが、書きのこしたものが、ございませんので」
「でも、これは?」
私は、大河ぞいを、指でなぞった。
川の西の岸に、ぽつん、ぽつんと、小さな黒い点が、並んでいた。
城のあたりから、川をさかのぼって、北の山のほうへ。
それから、川を下って、南の王都のほうへも。
点の横に、字が書いてあったようだった。
でも、どれも、すれて、読めなかった。
「先々代様も、この点のことは、ご存じありませんでした」
ハンスさんが、首をふった。
「村の名でもなく、砦でもなく。わたくしも、子どものころから、ふしぎに思っておりましたが」
「川ぞいに、道があったのかもしれない」
クラウス様が言った。
「だが、冬の川ぞいは、雪が腰まで積もる。崖もある。山から大河へ流れこむ支流も、何本も横切っている。荷車が通れる場所ではない」
「凍らせたら、どうですか。川を」
「川の上は、通れる」
クラウス様は、地図の大河を見下ろした。
「だが、八年前、一晩、大河を凍らせただけで、俺は、それから七年、眠れなくなった。冬じゅう、王都まで、川を凍らせておくのは……」
クラウス様は、その先を言わなかった。
私も、聞かなかった。
◇
それから数日して、エルマー様から、手紙が届いた。
『北の茶は、王宮の薬草園で、もう一度、くわしく調べた。何もない。わしの名にかけて、北の茶は、毒ではない。
じゃが、それだけでは、うわさは消えん。
倒れた男爵家は、例の十二家のひとつじゃ。伯爵家に前金を払って、返してもらった家じゃな。いまは、北の茶ときくだけで、顔色を変える。
それと、もうひとつ。
峠の関所の持ち主、レーヴェンタール侯爵が、王宮で、こんなことを言いはじめておる。
「土の手は、国の宝である。北の一つの家に置いておくべきではない。毒のうわさが立つような使われ方をするくらいなら、王家があずかるべきだ」
気をつけなされ。
エルマー』
手紙を読みおえても、しばらく、誰も、口をきかなかった。
「……あずかる、って」
私は、やっと、それだけ言った。
「私の手を、ですか」
「君を、だ」
クラウス様の声が、低かった。
窓の外で、北の山に、初雪が降りはじめていた。
冬が来る。
峠が、雪にうもれる冬が。
とうとう、侯爵が動きだしました。
次回、「雪見の村へ」。思いがけない人から、手紙が届きます。
☆何個でもいいので、つけてください!




