第20話 塩の畑
【前回までのあらすじ】
王都で、エルマーは「北の茶に毒はない」と言った。けれど、倒れた娘が飲んだ袋の残りがなく、まだ証明はできない。
ブラント商会の会頭ヴィクトールは、ハーヴェル家の畑を借金のかたに手に入れていた。「その畑に手を置いてくれれば、麦の値を戻す」。リーゼは、ことわった。
夜会では、会頭の息子がリーゼに近づき、クラウスの足もとに霜の花が咲いた。
今回は、リーゼががんばる回です。
王都を出て、五日。峠をこえて、北へ帰ってきた。
お城の城下が見えてきたところで、馬車が止まった。
道のまんなかに、村長が立っていた。
帽子を、両手でにぎりしめて。
目が、まっかだった。
「……奥様」
村長は、私の顔を見るなり、道のぬかるみの上に、ひざをついた。
「畑が。わしらの畑が」
◇
渡し場の村の畑は、白かった。
雪では、なかった。
黒い土の上に、白い粒が、一面にまかれていた。
カブの葉も、豆のつるも、くたりと、地面に倒れている。
私は、しゃがんで、白い粒を、指でつまんだ。
なめるまでもなかった。においで、わかった。
「……塩」
「ゆうべのうちです」
村長の声が、かすれた。
「朝、起きたら、こうなってた。夜の見張りなんて、立てたことがなかった。村に戻ってから、ずっと、ここは静かだったから」
塩をまかれた畑は、もう、何年も、作物が育たない。
雨で塩が流れきるまで、土は、死んだままになる。
地下室で読んだ、母の薬草の本に、そう書いてあった。
「北で、これだけの塩をまけるのは」
ハンスさんが、白い畑を見わたして、低い声で言った。
「塩を売っている者だけでございます。北には、塩はとれません。全部、南から、ブラント商会が運んでまいります。……一年分の塩を、一晩で、畑にまくなど。北の者なら、決していたしません」
クラウス様のブーツのまわりで、地面が、ぱきりと凍った。
◇
私は、手袋をはずした。
「奥様?」
「ためしてみます」
塩は、土ではない。
でも、がれきも、灰も、石くずも、土ではなかった。
私の手は、土でないものを、土にする手だ。
白い粒の上に、両手をのせた。
指のあかぎれに、塩が、しみた。
「――っ」
思わず、声が出た。
焼けるみたいに、いたい。
それでも、手を、はなさなかった。
手のひらの下で、土が、ゆっくりと、ほどけていくのがわかった。
白い粒が、黒い土の中に、しずんでいく。
地下室で、がれきを土にしたときと、同じ感じ。
塩が、溶けて、消えるのではない。
土の一部に、なっていく。
手をどけると、手のひらの形に、土が、黒く、しっとりとしていた。
塩の白は、どこにもなかった。
村長が、ひざで、にじりよってきた。
「……戻った」
◇
それから、三日、私は、畑にいた。
渡し場の村の畑は、ぜんぶで二十枚。
塩は、そのうちの十九枚に、まかれていた。
村のいちばん奥の、私が最初につくった畑だけが、白くなっていなかった。塩の袋が、そこまでは足りなかったのかもしれない。
十九枚の畑を、手のひら一枚ずつ、つくりなおしていく。
一日目の夕方には、あかぎれから、血が出た。
二日目には、手のひらの皮が、むけた。
「奥様、もう、やめてください」
アンナが、泣きながら言った。
「明日でいいじゃないですか。塩は、にげませんから」
「にげないけど、しみこむの」
私は、手を止めなかった。
「今夜、雨が降ったら、塩が、土の奥まで行っちゃう。そうしたら、もう、私の手でも届かない」
村の人たちが、だまって、まわりに集まってきた。
子どもたちが、桶で、水を運んでくる。
料理長が、大鍋でスープをつくって、畑のあぜに置いていく。
おばあさんが、ペーターくんの手を引いて、毛布を持ってくる。
そして、クラウス様は、三日のあいだ、ずっと、私の横にいた。
「手を、出せ」
休むたびに、クラウス様は、そう言った。
私が手を出すと、クラウス様は、ぬれた布で、私の手を包んだ。
布が、すうっと、ひんやりする。
凍らせない、ぎりぎりの冷たさ。
焼けるようだった痛みが、少しずつ、引いていった。
「……そんなこと、できたんですね」
「君が、手を休めないからだ」
クラウス様の声は、怒っているみたいで、少しも、怒っていなかった。
◇
三日目の夜。
最後の一枚に、手を置いた。
まわりで、村の人たちが、たいまつをかかげていた。
誰も、しゃべらなかった。
手のひらの下で、最後の白が、黒い土に、しずんでいった。
私は、手をどけた。
「……おわり、ました」
その瞬間、わっと、声が上がった。
村長が、帽子を空に投げた。
子どもたちが、畑のあぜを、走り回った。
料理長が、「スープのおかわりだ!」とどなった。
私は、立ち上がろうとして、ふらりとよろけた。
クラウス様が、うしろから、私をささえた。
「もう、いい」
耳もとで、クラウス様が言った。
「もう、何もしなくていい。今夜は」
私は、こくりとうなずいて。
そのまま、クラウス様の腕の中で、眠ってしまった。
◇
あとで、アンナから聞いた。
その夜、クラウス様は、私を抱いたまま、馬にも乗らずに、城まで歩いて帰ったのだという。
村の人たちは、私たちを見送ったあと、たいまつの明かりで、十九枚の畑に、カブの種をまいたのだという。
◇
目がさめたのは、つぎの日の、お昼すぎだった。
両手が、白い布で、ぐるぐるに巻かれていた。
布の下から、カモミールの、あまいにおいがした。
寝台の横の椅子で、クラウス様が、腕を組んだまま、眠っていた。
ブーツは、泥だらけ。
外套も、着たまま。
城に帰ってきて、そのまま、ここに座ったのだ。
私は、布を巻かれた手を、そっと、のばした。
クラウス様の指先に、ちょん、とふれる。
クラウス様が、目をあけた。
「……起きたか」
「はい。……クラウス様、また、椅子で寝てましたね」
「君が、手を、寝台の外に出して寝るからだ。布がずれる」
ずっと、見ていてくれたのだ。
そのとき、扉が、ばたんと開いた。
「奥様! 旦那様!」
村長だった。
ハンスさんが、うしろで、「ノックを」と言いかけて、あきらめていた。
「芽が! 畑に、芽が!」
村長は、帽子をふりまわした。
渡し場の村の、十九枚の畑。
ゆうべまいたカブの種から、いっせいに、芽が出ていた。
三日間、休まなかったリーゼと、ずっと横にいたクラウス様。
☆何個でもいいので、つけてください!




