第19話 ブラント商会
【前回までのあらすじ】
「北の雪の茶で、貴族の娘が倒れた」といううわさで、茶の注文が止まった。
北の荷車は、峠の関所で五日止められ、薬草もカブも、だめになった。御者のトマは、くやしさに泣いた。
関所の権利は、王妃の兄・レーヴェンタール侯爵家のもの。荷の調べは、ブラント商会がまかされていた。
今回、クラウスとリーゼは王都へ。敵の会頭と会います。
秋の夜会に、出ることにした。
逃げているように見られるのが、いちばんまずい。
クラウス様は、そう言った。
それに、王都へ行けば、エルマー様に、茶の調べのことも、じかに聞ける。
峠の関所は、何ごともなく通れた。
関所の役人は、公爵家の馬車のしるしを見ると、深々と頭を下げた。
荷台を調べるとも、言わなかった。
「……トマさんのときとは、ずいぶん、ちがうんですね」
私が言うと、クラウス様は、窓の外の関所を、じっと見ていた。
「止める相手を、選んでいる」
◇
王都に着いた次の日。
エルマー様は、王宮の薬草園の、あの地下の部屋で、私たちを待っていた。
「茶は、調べた。カモミール、レモンバーム、ミント。それから、雪月草。毒など、ひとかけらも入っておらん」
エルマー様は、きっぱりと言った。
「じゃが、男爵家のお嬢様が倒れたのも、本当じゃ。何かを、飲んだ。その『何か』の残りがないと、北の茶ではないとは、言いきれん。男爵家は、もう、袋を捨ててしまったそうでな」
私は、ミレイユの手紙のことを、話した。
商会の人が、北の茶の「見本」を配っていたこと。
北は、商会に、茶を渡したことがないこと。
エルマー様は、白いひげを、ゆっくりなでた。
「……見本、か」
◇
その日の午後。
王都でいちばん大きな通りに、ブラント商会の店はあった。
石づくりの、三階建て。
入り口の上に、金の麦の穂の看板。
会頭のヴィクトール・ブラントは、五十くらいの、丸い顔の男の人だった。
ずっと、にこにこしていた。
「これはこれは、北の公爵閣下。そして、奥様。わざわざ、お越しくださるとは」
「麦の値の話だ」
クラウス様が言った。
「おや。値のことでしたら、手紙のとおりでございます。今年は、南も、不作でしてな」
「南は、豊作だと聞いた」
「場所によりますとも」
ヴィクトールさんは、笑ったまま、私のほうを向いた。
「それよりも、奥様。ひとつ、お願いがございまして」
「……私に、ですか」
「はい。奥様の、その手を、南の畑にも、お貸しいただけませんか」
ヴィクトールさんは、机の上に、地図を広げた。
見覚えのある形だった。
屋敷の裏の、東の畑。西の畑。小川ぞいの、細長い畑。
ハーヴェル家の、薬草畑だった。
「こちらの畑も、いまは、うちのものでしてな」
ヴィクトールさんは、指で、地図をなでた。
「ハーヴェル様には、長いあいだ、お金をお貸ししておりました。畑が枯れて、返せなくなりましたので、かわりに、畑をいただいたのです。……もっとも、もう、ただの土ですが」
私は、息をのんだ。
結婚式のあと、ミレイユの手紙にあった。
「お父様は、畑を売りました」。
売った先は、ここだったのだ。
「奥様が、あの畑に、もう一度、手を置いてくだされば。北の麦の値は、去年と同じに戻しましょう。いえ、去年より、安くしてもいい」
◇
私は、地図を見つめた。
東の畑。
十年、毎朝、私の袋の土が運ばれていった畑。
「おことわりします」
声は、自分で思っていたより、ずっと、しっかりしていた。
「あの畑には、もう、手を当てに行かないと決めました。誰のためでも」
ヴィクトールさんの笑顔は、少しも、くずれなかった。
「さようでございますか。残念ですな。……では、麦の値も、手紙のとおりということで」
「ああ」
クラウス様が、立ち上がった。
「北の麦は、北で、なんとかする」
◇
店を出て、馬車に乗ったとたん、ひざが、がくがくとふるえだした。
「……ことわっちゃいました」
「ああ」
「麦の値、戻るかもしれなかったのに。北のみんなのために、手を貸すくらい、できたのに」
私は、ひざの上で、両手をにぎりしめた。
「でも、あの畑に手を置いたら、また、あのころの私に、戻ってしまう気がして」
地下室で、毎朝、袋に土をつめていたころの。
自分の手が、誰の役に立っているのかも知らずに、ただ、すりへらしていたころの。
クラウス様は、しばらく、だまっていた。
それから、私の手の上に、自分の手を重ねた。
「いや、それでいい」
「でも、麦が……」
「あの男が、なぜ、あの畑を欲しがると思う」
私は、答えられなかった。
「あそこは、薬草畑だ。君の土が戻れば、ハーヴェルの薬草が、また王都に並ぶ。あの男の店で、雪の茶より、ずっと安く」
私は、はっとした。
王都で、北の雪の茶が売れているのは、ほかに、いい薬草がないからだ。
「……そうしたら、雪の茶は、売れなくなります」
「ああ。茶の金が入らなければ、北は、また、借金で冬をこすことになる。……北の家々が金を借りてきた先も、あの男の商会だ」
ハーヴェルの家と、同じだ。
借りて、返せなくなって、最後は、畑ごと取られた。
麦が安くなるのは、一年だけ。
茶で稼ぐ道は、ずっと、なくなる。
クラウス様は、私の手を、にぎった。
「君の土は、三年で、ただの土に戻る。そのたびに、君は、南へ呼ばれる。あの男の畑のために。……ことわって、よかったんだ」
馬車の窓の外を、王都の、にぎやかな通りが流れていった。
ふるえは、いつのまにか、止まっていた。
◇
その夜の、王宮の夜会。
クラウス様が、陛下にごあいさつに行っているあいだ、私は、壁ぎわで、ひとりで立っていた。
「北の公爵夫人でいらっしゃいますね」
若い男の人が、声をかけてきた。
明るい金色の髪。にこにこした、丸い目。
どこかで見た笑い方だと思ったら、昼間のヴィクトールさんに、そっくりだった。
「父が、昼間は、失礼をいたしました。ブラント商会の、跡取りでございます」
その人は、私の手を取って、身をかがめた。
「お手が、少し、荒れておいでですね。南には、よい塗り薬がございます。今度、お持ちしても――」
そのとき。
足もとが、きらりと光った。
床の大理石に、白い霜の花が、ぱきぱきと広がっていく。
私の足もとを、ぐるりと囲むように。
「リーゼの手は、俺がいちばんよく知っている」
うしろから、低い声がした。
クラウス様だった。
跡取りの人は、あわてて手を放して、霜の花をよけながら、どこかへ行ってしまった。
「……クラウス様。床が」
「わかっている」
クラウス様は、そっぽを向いた。
耳が、少しだけ、赤かった。
霜の花は、クラウス様が私の手を取ると、すうっと、消えた。
「……やきもち、ですか」
小さな声で聞くと、クラウス様は、ますます、そっぽを向いた。
「塗り薬なら、北にもある」
「はい」
「料理長が、毎晩、豚の脂と、君の庭のカモミールで、つくっている。……君が寝ているあいだに、俺が、塗っている」
私は、自分の手を見た。
そういえば、この夏、あかぎれが、前より、早く治るようになっていた。
「知りませんでした」
「言っていない」
クラウス様の耳は、もう、真っ赤だった。
敵の会頭、ヴィクトール。にこにこしているのに、目が笑っていない人です。
次回、「塩の畑」。北へ戻った二人を、ひどい知らせが!?
☆何個でもいいので、つけてください!




