第17話 三倍の値
【前回までのあらすじ】
結婚式から二か月。リーゼは、はじめてクラウスの部屋で眠り、こわくて眠れないクラウスの手をにぎって、先に眠ってみせた。
渡し場の村の畑のおかげで、今年は、南から買う冬の食べものを半分にできるはずだった。
そこへ、南のブラント商会から手紙が届く。「麦の値は、去年の三倍」。
今回は、みんなで数えるお話です。
その日の夕方、城の大広間に、帳面が山のように積まれた。
ハンスさん。料理長。渡し場の村の村長。
それから、クラウス様と、私。
「まず、去年の秋に、南から買ったものでございます」
ハンスさんが、いちばん上の帳面を開いた。
麦。塩。油。
北の冬は長い。秋に買ったものを、春まで、少しずつ食べてつなぐ。
「去年は、ぜんぶで、金貨八百枚。そのうち、麦が六百四十枚。塩と油が、百六十枚でございました」
「八百……」
思わず、声が出た。
地下室で十年、袋の土を数えてきたけれど、金貨の数は、見たこともない。
私は、ハンスさんに石板を借りて、数を書いた。
書いて数えると、落ち着く。
去年 麦 六百四十 + 塩と油 百六十 = 八百
「今年は、渡し場の村の畑で、麦も、カブも、豆も、とれました。そのぶん、南から買う麦は、半分で足ります。ですから――」
今年 麦 三百二十 + 塩と油 百六十 = 四百八十
「四百八十枚で、済むはずでした」
渡し場の村の畑が、それだけの食べものを、つくってくれたのだ。
「三倍の値なら、どうなる」
クラウス様が、低い声で言った。
ハンスさんは、しばらく、指を折って数えていた。
「麦は、三倍。塩と油は、二倍。……」
私は、石板に、もう一行、書いた。
三倍だと 麦 九百六十 + 塩と油 三百二十 = 千二百八十
広間が、しんとした。
へらしたはずが、去年より、四百八十枚も、高い。
「なんでだよ」
村長が、こぶしで、机をたたいた。
「わしらが畑をつくったら、南の麦が、高くなるのか。そんなばかな話があるか」
「あります」
ハンスさんが、静かに言った。
「北が南から買う量が減れば、商会のもうけも減ります。そのぶんを、値で取り返そうというのでしょう。……北の冬の荷は、昔から、ブラント商会しか運んでおりません。峠の関所の荷の調べも、商会の者が、まかされております。ほかから、買いようがないのです」
◇
私は、石板の数字を見つめた。
高くなったのは、麦だ。
なら、南から買う麦を、もっと、へらせばいい。
「麦の代わりに、なるものを、もっとつくれませんか」
みんなが、私を見た。
「麦は、今から植えても、冬に間にあいません。でも、カブなら、私の土で、ひと月で育ちます。豆も。干せば、冬じゅう、もちます」
「畑は、もう、いっぱいですぞ」
村長が言った。
「渡し場の村から、川を少し下ったところに、もうひとつ、魔物にこわされた小さな村の跡があります。誰も住んでいなくて、家の跡が、三十軒ぶん、がれきのまま。そのがれきを、畑にします」
村長が、うなった。
「あそこは、誰も住んでおらんから、手をつけてこなかった。わしらも、自分の村の畑で、手いっぱいでしたからな。……だが、うちの畑は、もう、子どもでも回せる。みんなで通えば、できなくもない」
料理長が、太い腕を組んだ。
「カブと豆で、麦のかわりか。……スープにして、パンを薄くすりゃ、いけなくもないですな。うまいかどうかは、わしの腕しだいだ」
「料理長の腕なら、大丈夫です」
料理長が、「そりゃそうだ」と鼻をこすった。
ハンスさんが、また、指を折った。
「カブと豆で、南から買う麦を、もう半分、へらせれば。……塩と油は、どうしても二倍ですが」
私は、石板に、最後の一行を書いた。
カブと豆で 麦 四百八十 + 塩と油 三百二十 = 八百
ハンスさんは、顔を上げた。
「去年と、同じ八百枚。借金を、増やさずに済みます」
「去年より、安くは、ならないのね」
「なりません。ですが、商会の思うつぼにも、なりません」
クラウス様が、うなずいた。
「それでいく。塩と油は、言い値で買う。麦は、四分の一だけだ」
◇
つぎの日から、川下の村の跡に、渡し場の村の人たちが、通いはじめた。
三十軒ぶんの家の跡。
くずれた石壁。焼けた柱。割れたかわら。
村の人たちが、それを、荷車で、畑の予定地に運んでくる。
子どもたちが、小さな手で、かわらのかけらを拾ってくる。
「奥様、これも、土になる?」
「なるよ。かわらは、いい土になるの」
私は、がれきの山に、両手をついた。
ほこりのにおい。ざらざらした手ざわり。
地下室で、十年、毎日さわってきたもの。
手のひらの下で、がれきが、黒い土にほどけていく。
十日で、新しい畑が、十二枚できた。
カブの種をまくと、三日で、芽が出た。
料理長は、毎晩、カブと豆のスープを、ためしにつくった。
一日目は、うすすぎた。二日目は、しょっぱすぎた。
塩は、これから、高くなるのだ。
五日目のスープを飲んだクラウス様が、だまって、おかわりをした。
料理長は、こぶしをにぎって、「よし」と言った。
◇
その夜。
部屋で、お茶を淹れながら、私は、つい、ため息をついた。
「……くやしいです」
クラウス様が、カップから顔を上げた。
「渡し場の村の畑で、今年は、四百八十枚で済むはずでした。それが、手紙一枚で、去年と同じ八百枚。みんなの一年が、なかったことにされたみたいで」
「なかったことには、なっていない」
クラウス様が言った。
「もし、畑がひとつもなかったら。三倍の値で、麦をぜんぶ南から買って、二千二百四十枚だ。渡し場の村の畑が、それを千二百八十枚にした。川下の畑が、八百枚にした」
クラウス様は、石板の数字を、指でなぞった。
「君の畑がなければ、北は、また借金で冬をこしていた」
私は、カップを見下ろした。
湯気の向こうで、雪月草の青い花びらが、くるりと回った。
「……はい」
◇
それから、十日ほどして。
南の子爵家から、手紙が届いた。ミレイユからだった。
結婚式のあと、ミレイユは、前金を払った十二の家に、一軒ずつ謝りに回っている。
その途中の、知らせだった。
『お姉様へ
九軒目のお家に、二度目のおわびにうかがいました。
前のときに、はじめて、お話を聞いてくださったお家です。
そこで、奥様が、こんなことをおっしゃいました。
「近ごろ、ブラント商会の人が、北の雪の茶の見本を配っているのよ。あなたのお姉様のお茶でしょう?」
北のお茶は、ブラント商会では、売っていないはずです。
なんだか、へんな気がしたので、お知らせします。
ミレイユ』
私は、手紙を、クラウス様に見せた。
北の雪の茶は、最初の荷車のときから、王都の、べつの小さな商会が売っている。
ブラント商会に、渡したことは、一度もない。
「……見本?」
クラウス様の眉が、ぴくりと動いた。
そのとき、廊下を、誰かが走ってくる音がした。
ハンスさんだった。
いつも、どんなときでも走らない、ハンスさんが。
「旦那様、奥様。王都から、早馬です」
ハンスさんの手の中で、手紙がふるえていた。
「北の雪の茶を飲んだ、貴族のお嬢様が、倒れたと」
数えて、くやしがって、それでも負けない。北の人たちの、反撃のはじまりです。
そして、ミレイユの手紙の「見本」。覚えておいてください。
次回、「毒のうわさ」。
☆何個でもいいので、つけてください!




