第15話 本当の花嫁
【前回までのあらすじ】
北に来て一年。リーゼの土とクラウスの氷で、渡し場の村はよみがえった。
契約の一年が終わる前の夜、リーゼは荷造りをし、クラウスの部屋に近づいてはいけない本当の理由を知った。
眠っているあいだの氷は、そばにいる人を、殺してしまうのだった。
第一部の最終話です。
東の廊下の、つきあたり。
クラウス様の、氷の部屋。
凍った部屋のまんなかで、クラウス様は、しばらく、黙っていた。
手に、何かを持っていた。
小さな、木の箱。
「……今夜は、厨房に行けなかった」
クラウス様が、低い声で言った。
「夕方、アンナが執務室に来た。君が、荷造りをしていると。……それを聞いて、これを探していた。王都から届いたばかりの荷が、倉に、ほどかずに積んであった」
木の箱を、ぎゅっとにぎる。
「やっと見つけて、厨房へ行ったら、かまどの火は、もう落ちていた。君の部屋にも、いなかった」
クラウス様は、開いたままの扉を見た。
「……廊下の霜に、小さな足あとがついていた」
――入れちがいだったのだ。
お湯が冷めるまで待って、私が厨房を出たあと。
クラウス様は、この箱を持って、厨房に来ていた。
「……ごめんなさい。勝手に、お部屋に」
「いい」
クラウス様は、氷の床の上を、ゆっくりと歩いて。
雪月草の鉢の前で、立ち止まった。
「王宮から戻った日に、預かった。この部屋なら、光も入らないし、寒い。夜、ここにいるあいだ、水だけはやっていた」
クラウス様は、青いつぼみを見下ろした。
「君は、芽に話しかけて育てるのだと、村の子どもたちに聞いた。だが、俺には、話しかけ方が、わからなかった。だから、毎晩、その日の君の話をした。畑で何をしていたか。何を言って笑っていたか。……たぶん、それで、育ったわけではないと思うが」
私は、何も言えなかった。
この一年。
私が厨房でお湯をわかしているあいだ、クラウス様は、この凍った部屋で、ひとりで、この鉢に、私の話をしていた。
クラウス様は、つぼみから、目をはなさなかった。
「明日の朝、咲いていたら、君に渡すつもりだった。……別れの日に」
長い、沈黙があった。
「でも、今は、君を手放したくない」
◇
「リーゼ」
クラウス様が、こちらを向いた。
青い瞳が、まっすぐに、私を見た。
「一年前、俺は、君を愛するつもりはないと言った」
「……はい」
「あれは、本当だった。愛するつもりなど、なかった。俺の手は、人を凍らせる。誰かを好きになれば、その誰かを、いつか凍らせる。だから、誰も好きにならないと決めていた」
クラウス様の手が、木の箱を、強くにぎった。
「だが、君は、凍らなかった」
クラウス様の声が、少しだけ、ふるえた。
「凍ってもかまわないと言って、俺に、ガウンをかけた。毎晩、かまどに火を起こして、待っていた。がれき置き場だった中庭に、花を咲かせた。俺が守れなかった村を、畑にして、村の者たちを、家に帰した」
一歩、近づく。
「君がここに来てから、俺は、一度も、誰も凍らせていない」
もう一歩。
「好きにならないと決めていたのに、気づいたら、毎朝、執務室の窓から、渡し場の村の君を探していた」
クラウス様は、木の箱を開けた。
中には、銀の指輪があった。
小さな、若葉色の石が、ひとつ。雪の結晶の形に、ふちどられている。
「行かないでくれ」
クラウス様は、氷の床に、片ひざをついた。
一年前、回廊で、凍えて膝をついていた人が。
今は、自分の氷の部屋で、自分から、膝をついていた。
「身代わりではなく、君自身として。一年だけではなく、これから先、ずっと」
青い瞳が、私を見上げた。
「俺の妻でいてくれないか、リーゼ」
◇
――ああ。
胸の奥で、何かが、ほどけた。
十年間、地下室の鍵みたいに、固く閉じていた何かが。
「……ずるいです」
声が、ふるえた。
「そんなの、ずるいです。私、明日の朝、笑ってお別れを言う練習まで、したのに」
ぽろりと、涙がこぼれた。
一度こぼれたら、もう、止まらなかった。
泣き方なんて、忘れたと思っていたのに。
この城に来てから、私は、何度も泣いた。
うれしくて、くやしくて、あたたかくて。
「私も……私も、クラウス様が好きです。ずっと、好きでした。でも、言っちゃいけないと思って。一年だけの、約束だったから……!」
私は、両手で顔をおおった。
それから、その手を、そっと下ろして。
クラウス様の前に、手を差し出した。
あかぎれは、もう、ほとんど治っていた。
地下室で、ひび割れていた手。
凍った中庭で、真っ赤になった手。
がれきの村で、子どもたちと土にまみれた手。
土の手。
クラウス様が、その手を取った。
手袋を、はめていなかった。
ひんやりとした指が、私の指にふれる。
一瞬だけ、私の指先に、うすい霜が降りた。
それは、すぐに、とけて消えた。
クラウス様は、私の左手の薬指に、指輪をすべりこませた。
◇
その瞬間。
部屋のまんなかで、小さな音がした。
ふり返ると。
雪月草のつぼみが、ほどけていくところだった。
一枚、また一枚。
空よりも少しだけ濃い、青い花びらが、氷の部屋の、うす暗がりの中で、ゆっくりとひらいていく。
雪の結晶みたいな形の、小さな花。
――この子は、気難しいの。でも、一度芽を出すと、すごく強いのよ。
母の声が、聞こえた気がした。
部屋じゅうの氷が、花の青を映して、かすかに光った。
「……咲いた」
クラウス様が、つぶやいた。
「話しかけ方は、合っていたらしいな」
私は、泣きながら、笑ってしまった。
◇
次の朝。
クラウス様は、執務室の暖炉で、一年前の契約書を燃やした。
私と、アンナと、ハンスさんの見ている前で。
アンナは、わあっと泣き出した。
ハンスさんは、ハンカチで、そっと目元をおさえていた。
◇
書類の上では、私たちは、もう一年も前から夫婦だった。
でも、式は、一度も挙げていなかった。
結婚式は、春に挙げた。
場所は、渡し場の村の畑。
雪がとけて、黒い土が顔を出した畑の真ん中に、村の人たちが、木の祭壇を作ってくれた。
私は、真っ白なドレスを着た。
すそには、銀糸で、雪の結晶と、若葉の刺繍。
髪には、カモミールの髪飾り。
祭壇の上には、氷の部屋から運び出した、雪月草の鉢。
青い花は、春の日差しの下でも、しおれずに咲いていた。
ハンスさんの腕を借りて、畑のあいだの道を歩いた。
村の子どもたちが、道の両側で、花びらをまいてくれた。
料理長は、大きな体をふるわせて泣いていた。
エルマー様も、王都から来てくださった。
それから、一通の手紙が、届いていた。
『お姉様へ
ご結婚、おめでとうございます。
お式には、行きません。行ってはいけないと、思っています。
いま、お母様が前金を受け取った十二のお家に、一軒ずつ、謝りに回っています。
九軒目のお家で、はじめて、お話を聞いていただけました。
ミレイユ』
短い手紙だった。
字は、少し、ふるえていた。
私は、その手紙を、そっと胸元にしまった。
◇
祭壇の前で、クラウス様が待っていた。
私が、その手を取る。
クラウス様は、私を見て、何か言いかけて、口を閉じた。
もう一度、口をひらいて、また閉じた。
「……クラウス様?」
「すまない。……用意していた言葉が、全部、どこかへ行った」
耳が、少しだけ赤かった。
まわりから、くすくすと笑い声が起きた。
いちばん大きな声で笑ったのは、アンナだった。
誓いの言葉は、エルマー様が教えてくれた、古い言い伝えの言葉にした。
昔、氷の手の王と、北の村の土の手の娘が、交わしたという言葉。
「凍えるときは、あたためよう」
クラウス様が言った。
「芽吹くときは、守りましょう」
私が言った。
それから、二人で、村の畑に、雪月草の種を一つ、植えた。
二人で育てて、二人で守っていく。
この畑も、この花も、この北の地も。
これからの、毎日も。
◇
その夜。
厨房のかまどで、いつものように、お茶を淹れた。
カモミールと、レモンバームと、雪月草をひとつまみ。
レモンバームは、ハーヴェルの地下室から連れてきた、あの一株の子だ。
クラウス様は、もう、凍えることはない。
でも、このお茶会は、きっと、これからもずっと続いていく。
「リーゼ」
「はい」
「明日の朝も、ここで茶を飲もう」
「はい。明日も、その次の日も」
窓の外では、春の月が、やわらかく光っていた。
格子のない、大きな窓だった。
身代わりの花嫁は、もう、どこにもいない。
ここにいるのは、氷の公爵様の、本当の花嫁だけ。
(第一部 おわり)
第一部、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
地下室育ちの身代わり花嫁と、不器用な氷の公爵様のお話、第一部はここで完結です。
次回から、第二部。夫婦になった二人の北に、南から、思いもよらない「じゃま」がやってきます。
☆何個でもいいので、つけてください!
感想も、お待ちしています。




