第14話 一年目の夜
【前回までのあらすじ】
伯爵家は「この婚姻は無効だ」と訴えたが、クラウスは、リーゼが自分で名前を書いた婚姻の届けで退けた。
母の遺言書と十年分の帳簿が明らかになり、継母は修道院へ、伯爵家は子爵家に下げられた。
リーゼは、母の土で育った地下室のレモンバームを連れて、北へ帰った。
契約の「一年」が近づくお話です。
季節は、ひとめぐりした。
北の公爵領に、また、冬が来た。
窓の外は、一面の銀世界。
ちょうど一年前、私がこの城に来た日と、同じ景色だった。
でも、同じなのは、景色だけだった。
◇
この一年で、北の地は、すっかり変わった。
渡し場の村の、がれきの山は、全部、畑になった。
畑のあいだに、新しい家が建ちはじめた。
城下に移り住んでいた村の人たちが、七年ぶりに、自分の村へ帰ってきた。
村のおばあさんは、自分の家のあとにできた畑のとなりに、小さな家を建てた。
となりの村からも、「うちのがれきも土にしてほしい」と頼みに来る人が、後を絶たなかった。
私の土も、三年もすれば、力を作物にわたしきって、ただの土に戻る。
だから、村ごとに、いつ土をつくったかを帳面につけて、三年たった畑から順に、私が手を当てて、土をつくりなおしていくことにした。
地下室で、ひとりで、袋の数を数えながらしていたことを、今は、村の人たちと、お日さまの下でしている。
城の氷室は、もう一つ増えた。
クラウス様の氷で冷やした荷車が、毎週、王都へ向かっている。
北の雪の茶だけではない。冬のカブも、冬の豆も、王都では、びっくりするような値段で売れた。
それから、夏。
クラウス様は、生まれて初めて、売るための氷を作った。
「夏の氷」。ガラスみたいに透きとおった氷。
真夏の王都に運ばれたその氷は、あっというまに売り切れた。
ヴァルトシュタイン家は、戦の手柄で大きくなった家だ。
今は、氷の手と、土の手で、畑と商いで、もっと大きくなろうとしている。
冬に、塩漬けと干し肉しか食べられなかった北の村で、子どもたちが、とれたてのカブのスープを飲んでいる。
それが、私には、何よりうれしかった。
◇
夜のお茶会も、続いていた。
場所は、相変わらず、厨房のかまどの前。
丸椅子は、料理長が、いつのまにか二つにしてくれていた。
クラウス様は、もう、夜に凍えることは、ほとんどなくなった。
丸椅子で眠ってしまうことも、少なくなった。
そのかわり、二人で遅くまで、いろいろな話をするようになった。
国境の話。畑の話。
子どものころの話。
クラウス様のお母様の話。私の母の話。
クラウス様は、少しだけ、笑うようになった。
ほんの少しだけ。口のはしが、ほんのちょっと上がるくらい。
でも、それを見るたびに、私の胸は、きゅっとなった。
――ああ。私、この人のことが、好きなんだ。
いつから、そうだったのかは、わからない。
回廊で、凍えていた横顔を見たときかもしれない。
「泥の手ではない。君の手は、北の宝だ」と言われたときかもしれない。
夜会で、私の代わりに、取り消せと言ってくれたときかもしれない。
気づいたときには、もう、どうしようもないくらい、好きになっていた。
◇
でも。
明日で、ちょうど一年だった。
――一年たったら、離縁する。
あの夜、執務室で、クラウス様はそう言った。
私は、その紙に、名前を書いた。
あれから、クラウス様は、一度も、その話をしていない。
私も、聞けなかった。
◇
その日の夕方。
私は、自分の部屋で、荷造りをしていた。
着替えを、たたむ。
母の薬草の本を、鞄に入れる。
母の遺言書の写し。それから、母の種の、残り。
クラウス様からもらった、たくさんのものは、置いていくことにした。
若葉色の外套も。革の手袋も。図鑑も。夜会の、青いドレスも。
あれは、「公爵夫人」に贈られたものだ。
離縁しても、北を出ていくつもりはなかった。
私の土は、三年で力を使いきる。私が手を当てないと、村の畑は、また、岩と凍った土に戻ってしまう。
だから、渡し場の村のはずれに、小さな家を借りることにした。
村のおばあさんが、「いつでもおいで」と言ってくれた。
返してもらったお金もあるから、暮らしには困らない。
公爵夫人じゃなくなっても、村の土は、つくりなおせる。
クラウス様に、気をつかわせる理由は、もう、どこにもない。
「……奥様?」
扉のところに、アンナが立っていた。
アンナは、鞄を見て、それから、私の顔を見て、真っ青になった。
「奥様、何してるんですか」
「荷造りよ。明日で、ちょうど一年だから」
「まさか、本気で出ていくおつもりなんですか!?」
「約束だもの」
私は、笑ってみせた。
うまく笑えていたかは、わからない。
アンナは、何か言いかけて、ぐっと唇をかんだ。
「……失礼いたします」
アンナは、きちんと頭を下げて、それから、廊下を走っていった。
◇
夜。
最後のお茶を淹れようと思って、私は、厨房へ下りた。
かまどには、火が入っていなかった。
丸椅子が、二つ。どちらも、空っぽだった。
この一年、城にいる夜は、一晩も欠かさず来てくれたクラウス様が、今夜は、来なかった。
しばらく待った。
かまどに火を起こして、お湯をわかして、待った。
お湯が、冷めた。
――そうか。
最後の夜だから。
もう、来る必要は、ないから。
私は、ポットを洗って、棚に戻した。
厨房を出て、自分の部屋へ戻ろうとして。
足が、止まった。
廊下の向こう。城の東側。
――俺の部屋には、近づくな。とくに、夜は。
一年前の、最初の夜の言葉。
私は、一度も、その約束をやぶったことがなかった。
でも、明日、私は、もうこの城の人間じゃなくなる。
最後に、一度だけ。
お別れを、言いに行くだけ。
◇
東の廊下は、つきあたりの扉のまわりだけ、壁も床も、うっすらと霜におおわれていた。
扉の前に立つと、すきまから、冷たい空気が流れてきた。
ノックをする。
返事は、なかった。
「クラウス様。リーゼです」
やっぱり、返事はない。
取っ手に手をかけると、扉は、鍵がかかっていなかった。
――外からかける鍵など、この城にはない。
そっと、扉を押した。
◇
部屋の中は、氷だった。
壁も、天井も、床も。
厚い氷で、すっかりおおわれていた。
ベッドも、机も、まるで氷の中に閉じこめられたみたいに、白く凍りついている。
一歩、入っただけで、吐いた息が、きらきらした粉になって落ちた。
まつげが、ぱりっと音を立てた。
指先から、すうっと、感覚が消えていく。
――寒い、なんてものじゃない。
ここで眠ったら、朝には、きっと、起きられない。
ベッドのまわりの氷だけが、ほかよりずっと厚かった。
まるで、ベッドから氷がわき出して、部屋じゅうに広がっていったみたいに。
ふり返ると、扉の内側に、何本もの、細い傷があった。
低いところに。子どもの背たけくらいの高さに。
内側から、扉を開けようとして、何度も、ひっかいたような傷。
◇
部屋のすみ。
光のほとんど入らない、いちばん暗いところに、小さな鉢が、一つ、置かれていた。
青みがかった葉が、まっすぐにのびて。
そのてっぺんに、小さな、青いつぼみ。
――雪月草。
王宮の地下で、私が芽を出させた、あの鉢だった。
北に戻った日、クラウス様が「心当たりがある」と言って預かっていった鉢。
この城で、いちばん寒くて、いちばん暗い場所。
それは、クラウス様の、この部屋だった。
◇
「――見つかったか」
うしろで、声がした。
扉のところに、クラウス様が立っていた。
クラウス様が一歩入ると、部屋じゅうの氷の、ぴしぴしというきしみが、すっと静まった。
「……今は、大丈夫だ。俺が起きているあいだは、氷は暴れない」
クラウス様は、扉の内側の傷を見下ろした。
「七年前。大河の氷壁から戻った夜、俺は熱を出して、この部屋で眠った」
低い声だった。
「夜中に、見習いの侍従が、毛布を持って入ってきた。十二の子どもだった。眠っている俺の氷は、その子を、扉の前で凍らせた」
息が、止まった。
「朝、ハンスが見つけた。命は、助かった。だが、両足の指を、なくした」
――厩番の、トマさん。
まだ若いのに、少しだけ、足を引きずって歩く人。
「眠っている俺は、自分の氷を、止められない。そばにいる者を、殺してしまう」
クラウス様は、私を見た。
「だから、近づくなと言った。……一年前、君に言った言葉の、本当の意味だ」
一年目の夜でした。
次回、一旦最終話です。最後まで、よろしくお願いします。
☆何個でもいいので、つけてください!




