第12話 返してもらおう
【前回までのあらすじ】
王宮の地下で、ミレイユの植物の手を試す「手の試し」が行われた。リーゼも「同じ土で」と申し出た。
ミレイユの鉢は芽を出さず、手がないことがばれた。リーゼの土からは、誰も芽吹かせられなかった雪月草が芽を出した。
リーゼの手は「泥の手」ではなく、母から受けついだ「土の手」だった。
追いつめられた伯爵家が、北の城に乗りこんでくるお話です。
北の城に戻って、半月がたったころ。
お昼すぎに、ハーヴェル伯爵家の馬車が、城門の前にやってきた。
知らせも、約束もなしに。
◇
「奥様。ハーヴェル伯爵ご夫妻と、ミレイユ様がお見えです」
ハンスさんが、渡し場の村の畑まで、馬そりで知らせに来てくれた。
畑では、城下から通ってくる村の人たちが、いつものように、がれきを運んでいた。私の馬そりを引いてくれる厩番のトマさんと、クラウス様がつけてくれた護衛の兵士さんも、あぜ道で、それを手伝っていた。
いつもおだやかなハンスさんの声が、少しだけ、かたかった。
「旦那様は、今朝、川上の村へ、雪どけの見回りにお出かけになったばかりです。旦那様のもとへは、早馬を、すでに出してあります。ただ、遠い村ですので、お戻りは、早くても夕方になるかと。いかがなさいますか。奥様がお望みなら、旦那様のお戻りまで、城門でお待ちいただくこともできますが」
私は、手袋をはずした。
少し前の私なら、きっと、言われるままに会っていた。
それか、こわくて、どこかに隠れていたかもしれない。
でも。
――君が自分で言えるようになるまでは、俺が言う。
夜会の夜の、クラウス様の言葉を思い出した。
いつまでも、言ってもらうわけには、いかない。
「会います。応接間にお通ししてください」
ハンスさんは、一瞬、目を見開いて。
それから、深く頭を下げた。
「かしこまりました」
◇
ハンスさんの馬そりで、城下の町をぬけて、城門をくぐった。
泥のついた服を着がえる時間は、なかった。
応接間に入ると、継母が、ソファの真ん中に座っていた。
その横に、父。
少しはなれて、ミレイユ。
ミレイユは、地味な灰色のドレスを着ていた。
私と目が合うと、さっと下を向いた。
継母は、扇を閉じたまま、私をにらみつけた。
「ずいぶん、えらくなったものね、リーゼ。おかげで、ハーヴェル家は、王都じゅうの笑いものよ」
私は、継母の向かいに座った。
背すじをのばして。
手は、ひざの上で、軽く重ねて。
ダンスの先生に教わったとおりに。
「ご用件を、うかがいます」
継母の眉が、ぴくりと動いた。
「用件? 決まってるでしょう。あなた、家に帰ってきなさい」
「……」
「王宮で、あんな恥をかかされたのは、あなたのせいよ。でも、まあいいわ。過ぎたことは。あなたに手があることは、もう王都じゅうに知られてしまったんだもの。だったら、話は簡単よ」
継母は、身を乗り出した。
「地下室に戻って、また土をつくりなさい。畑が、どういうわけか、古いほうから順に、ただの土になっていくのよ。あなた、何か細工をしていったんでしょう。……まあ、いいわ。あなたが戻れば、元どおり。王宮のお調べも、『姉は土をつくって、妹が育てていた』と言えば、言いわけが立つわ」
あまりのことに、言葉が出なかった。
「公爵閣下には、離縁していただけばいいでしょう。手のある娘だとわかって嫁がせたわけじゃないんですもの、取り消しの理由なら、いくらでも立つわ」
離縁。
その言葉に、胸のどこかが、ちくりとした。
一年の約束のことを、継母は知らない。
でも、どちらにしても、私は、いつかこの城を出ていく。
そのことを、私は、しばらく考えないようにしていた。
「それに」
ミレイユが、下を向いたまま、小さな声で言った。
「お姉様がいないと、うち、本当におしまいなの。商会への借金が、すごいことになってるの……」
「リーゼ」
父が、初めて口を開いた。
「家のためだ。わかってくれ」
家のため。
その言葉を、何度聞いてきただろう。
家のために、地下室に入りなさい。
家のために、袋をもっとつくりなさい。
家のために、泥の手のことは、誰にも言わないでおきなさい。
家のために、ミレイユの代わりに嫁ぎなさい。
そして今度は、家のために、地下室に戻りなさい。
――あの家に、私の場所は、一度でもあったのだろうか。
◇
膝の上で、手を、ぎゅっとにぎった。
喉の奥で、声が、また、壁にぶつかりそうになった。
夜会の夜と、同じだった。
でも。
私は、目を閉じて、思い出した。
雪の中庭で、黒い土から、まっすぐに立った薬草の芽。
がれきの村で、歓声をあげた子どもたち。
「立派だ」と言って、カブを受け取ったクラウス様。
氷で囲まれて、王都へ向かっていった、荷車。
目を開けた。
「お断りします」
声が、出た。
小さかったけれど、ちゃんと、応接間に響いた。
「……なんですって?」
「お断りします、と言いました」
私は、まっすぐに、継母を見た。
「私は、帰りません。地下室にも、戻りません」
「この……っ」
「お継母様は、十年間、私の手を『泥の手』と呼びました。汚い、恥ずかしい、人に見せられないと。私は、それを信じていました。だから、鍵をかけられても、ごはんがなくても、私が悪いんだと思っていました」
継母の顔が、こわばった。
「それから、畑のことです。細工なんて、していません。私の土も、作物を育てるたびに、力を作物にわたしていきます。三年もすれば、ただの土に戻ります。本当は、畑に手を当てれば、それだけで、土はまた生きかえるんです。でも、私は、地下室から出してもらえなかった。だから、毎年、袋の土を足すしかなかった。十年間、ずっと」
継母が、ぽかんと口を開けた。
「言おうとしたことは、何度もありました。でも、お継母様は、『泥の手が口を出さないで』と言いました」
自分の声が、ふるえているのがわかった。
でも、止まらなかった。
「私の手は、泥の手じゃありません。北の人たちは、この手を、宝だと言ってくれました。もう、あの部屋のためには使いません。北の畑と、北の人たちのために使います。それが、私の、自分で決めたことです」
◇
応接間が、しんと静まりかえった。
継母は、口をぱくぱくさせていた。
父は、うつむいたまま、動かなかった。
ミレイユが、顔を上げて、私を見た。
その目は、怒っているのでも、笑っているのでもなかった。
ただ、知らない人を見るような目だった。
長い沈黙のあと、口を開いたのは、父だった。
「……地下室でなくても、いい」
継母が、父を見た。
「屋敷の、二階の、日の当たる部屋を用意する。鍵も、かけない。食事も、皆と同じ席でとればいい」
父は、私の顔を見なかった。
テーブルの上の、冷めた紅茶を見ていた。
「お断りします」
「……では、屋敷に住まなくてもいい。この城にいたままでいい」
父の声が、少しずつ、小さくなっていった。
「三年に一度でいい。畑に、手を当てに来てくれれば」
三年に一度。
それなら、と、一瞬だけ、思ってしまった自分がいた。
でも、あの畑で育った薬草は、十年間、ずっと、ミレイユの手柄だった。
私が手を当てに行けば、また、同じことになる。
家のために、と言われて。
「お断りします」
父は、何か言いかけて、黙った。
ハンスさんが、そっと、紅茶をいれなおしてくれた。
それから、話は、同じところを、何度もまわった。
継母が声を荒げ、父がなだめ、ミレイユが借金の話をくりかえし、私は、そのたびに、首を横に振った。
お昼すぎに始まった話は、日がかたむいても、終わらなかった。
窓の外が、だんだん、夕焼けの色に変わっていった。
二杯目の紅茶が、すっかり冷めたころ。
継母が、扇を、ばしんと閉じた。
「……口で言ってもわからないなら、しかたないわね」
継母は、扉のほうへ、声をはりあげた。
「お前たち! この子を、馬車へ運びなさい!」
扉が開いて、ハーヴェル家の従者が、二人、入ってきた。
屋敷で、がれきの荷車を引いていた男たちだった。
「お待ちください、奥様に何を――」
ハンスさんが、前に出た。
でも、従者の一人に肩を押されて、よろめいた。
「リーゼ」
父が、立ち上がった。
「家に帰るんだ。娘を連れ戻すのは、親のつとめだ」
従者の太い手が、私の両腕を、つかんだ。
ソファから、引きずり上げられる。
――地下室に、戻される。
十年間の、鍵の音が、耳の奥で鳴った。
◇
ぴしり、と、音がした。
足もとの床が、一瞬で、真っ白に凍りついた。
霜が、床をはって、従者たちの靴を、つつみこむ。
二人は、足を床に縫いとめられて、動けなくなった。
「――その手を、はなせ」
扉のところに、クラウス様が立っていた。
肩で、息をしていた。
軍服の肩に、雪が残っている。
ハンスさんの早馬を受けて、川上の村から、馬を飛ばしてきたのだ。
従者たちは、あわてて、私の腕から手をはなした。
「困るな」
クラウス様は、凍った床の上を、まっすぐに歩いてきた。
「契約にないことは。……リーゼとの契約には、こう書いてある。『一年のあいだ、公爵夫人として、この城で暮らす』。まだ、一年たっていない」
私のとなりに来て、私の肩を、そっと引きよせた。
「けがは」
「……ありません」
「そうか」
クラウス様は、私の顔を見た。
「言えたのか」
「はい。自分で、言えました。……でも、連れていかれそうになって」
「ああ。だから、ここからは、俺が言う」
クラウス様は、父のほうを向いた。
「ハーヴェル伯爵。リーゼは、もう、ハーヴェル家の娘ではない。ヴァルトシュタイン公爵夫人だ。公爵家の城で、公爵夫人に手をかけた。それが、どういうことか、わかっているのか」
父の顔が、真っ青になった。
「リーゼの答えは、聞いたとおりだ。お引き取り願おう」
足もとの霜が、ぴしぴしと、ソファの脚をはいのぼった。
「二度と、リーゼにふれるな。次は、靴だけではすまさない」
それから、継母を見た。
「伯爵夫人。王宮のお調べは、あなたが思っているより、ずっと先まで進んでいる。俺も、手を貸している。――亡きローザ夫人の遺言書について、近いうちに、陛下の前で話を聞かせてもらうことになるだろう」
継母の顔から、すうっと、血の気が引いていった。
リーゼ、初めて自分の言葉で「お断りします」と言えました。
夜会の夜には声が出なかったリーゼの、成長の回でした。
そして、力ずくで連れ戻そうとした家族から、クラウス様が守りました。
次回、陛下の前で、すべてが明らかになります。
☆何個でもいいので、つけてください!




