第四章 料理長の小さな盗み
月末に数えれば、嘘はばれる。
八年やってきて、それだけは確かなことだった。
翌朝、俺は王城の食材庫の前に立っていた。
頼まれたわけではない。
ヨハンが「料理長は、夜中に倉庫の鍵を持っていく」と教えてくれただけだ。
俺は、ただその意味を、数字に直したかった。
倉庫番の老兵は、俺がエプロン姿で帳面を抱えてくると、何も言わずに鍵を開けてくれた。
「殿下のお手付きと聞いたぞ」
「いえ、皿洗い、ですので」
「皿洗いが帳面持ってどうする」
「数えるんです」
「……数えるか」
老兵は鼻を鳴らして、椅子に座り直した。
止めようとはしなかった。
倉庫の中は、想像していたより遥かに広かった。
肉、塩漬け、燻製、根菜、酒樽、香辛料の小箱、乾燥豆。
俺は入口で立ち止まり、まず棚の番号を、ノートの一頁目に書き写した。
番号が、振られていなかった。
仕方ないので、自分で振った。
北壁から東へ、一番から二十八番まで。それぞれの棚の段を上から下に、A、B、Cとアルファベットを当てた。
帳面は厨房長グスタフが管理していた。
昨夜、忍ばせておいた。借りた、と言ってもいい。
見開きの数字を、棚と段に対応させながら、俺は数え始めた。
三日かけた。
寝るのは藁布団の半分。食事は黒パンとスープ。
寝る前にノートを開き、起きてからノートを開き、移動中もノートを開き、棚を数え、段を数え、瓶の数を数え、塩漬け桶の重さを目算で取り、樽の口を覗き、底まで指を入れた。
帳面の数字と、実際の数字。
差は、最初の一日で出ていた。
肉の塩漬け、帳面では九十二樽、実際は六十八樽。
燻製肉、帳面では二百四十吊り、実際は百八十一吊り。
香辛料、帳面の単位ですら測れていない。
差は、十年分以上だった。
毎月少しずつ、誰にも気づかれない量だけ、抜かれていた。
俺はノートを閉じて、しばらく何もしなかった。
怒りはなかった。あったのは、八冊目の中盤に書きつけた、あの「半個」の記憶だけだった。
半個ずつなら、誰にもばれない。
それを十年やれば、これくらいになる。
黒田の口癖だった。お前のは細かすぎる、と。
細かくなければ、これは見えなかった。
ノートをまとめて持ち出そうとしたとき、廊下で侍従に呼び止められた。
「おい新人、それは何だ」
「数えました」
「数えた?」
「食材庫を、です」
「誰の許可で」
「誰の許可も、要らないと思ったので」
侍従は呆れた顔をして、俺を引きずるように王女の執務室へ連れて行った。
ノートは取り上げられたが、表紙の裏に、もう一冊の写しを忍ばせてあった。
俺はそれを胸に押しつけたまま、王女の前に立った。
「お前、何のつもりだ」
「すみません」
「すみませんで済むか。倉庫番の老兵が、お前を勝手に通したと聞いたぞ」
「彼に止めてほしいと言われていたら、止めていました」
王女は、俺の言い分を待っていなかった。
彼女は侍従からノートを受け取って、一頁目を開いた。
二頁目を開いた。
三頁目で、指が止まった。
「これは……」
「累計、です」
「いつから」
「七年前くらいから、たぶん」
「たぶん?」
「正確な開始時期は、塩漬け樽の底の縁の磨耗で推定したので、たぶん、としか」
王女の眉が、動いた。
彼女は侍従を下がらせ、扉を閉めさせた。
部屋に二人だけになると、王女はもう一度、最初の頁から読み直した。
三十分、彼女は何も言わなかった。
俺はノートを胸に抱えたまま、立ち尽くしていた。
長靴の底が大理石を擦る音だけが、時折響いた。
「これを、三日でやったのか」
「日中の皿洗いの合間に、です」
「グスタフは、知っているのか」
「気づいていると思います」
王女が顔を上げた。
目元に、最初の苛立ちはなかった。
代わりに、何かを呑み下したような、固い表情があった。
「タドコロ」
「はい」
「お前を、城の補給管理に置く」
「あの、俺はラーメン屋なので」
「ラーメン屋とは何だ」
「料理屋、です」
「だったら、城の料理屋でいい。明日からは、皿洗いではない」
王女は、ノートを閉じた。
大切そうに、自分の机の引き出しに入れた。
俺はもう一度頭を下げて、退室した。
廊下で、侍従が小声で囁いた。
「殿下が、書類を引き出しに自分でしまわれるのは、初めて見た」
「……そうですか」
「本来、書類は司書官の役だ」
「そうですか」
俺は侍従の言葉の意味を、半分しか理解していなかった。
でもノートに、こう書いた。
〈殿下、書類を自分で保管。要記録〉
その日のうちに、グスタフは厨房から消えた。
逃げたのか、捕まったのか、誰も教えてくれなかった。
ヨハンだけが俺の袖を引いて、こう言った。
「タドコロさん、料理長になってください」
俺は、首を横に振った。
「俺は、ラーメン屋なので」




