第十八章 処分は、王の領分
俺は復讐をしなかった。
する必要が、なかった。
戦後処理は、二週間続いた。
黒田の派閥に与していた貴族、商人、聖職者の名が次々と挙がった。
彼らの財産は没収され、地位は剥奪され、それぞれの罪状に応じて辺境送り、財産没収、追放処分が下された。
俺はそれらの処分の場には、一度も呼ばれなかった。
代わりに俺は、王宮の厨房で毎日、ヨハンと一緒にスープを取っていた。
俺の魂は半分しか残っていなかったが、鶏ガラを煮る程度の力はまだあった。
ヨハンは料理長代理として、俺の隣でひたすら鍋を磨いていた。
彼は俺の動きを見るたびにメモを取っていた。
彼のメモは俺のノートと、よく似た書き方になっていた。
俺が教えたわけではなかった。
でも彼は、自分で似たやり方に辿り着いた。
「タドコロさん、火、強すぎませんか」
「ちょうどいい、と思いますよ」
「中心温度、何度でしょう」
「七十五度を、一分以上です」
「七十五度、一分以上」
「それ、衛生管理の最低温度です」
「覚えました」
ヨハンは毎日、新しい単語を覚えていった。
俺はそれを、目を細めて見ていた。
目を細めるのはろうそくの煤がしみるからだ、と自分に言い聞かせていた。
戦後処理の最終日、王女から再び呼び出しが来た。
俺はエプロンと長靴のまま、王女の執務室へ向かった。
執務室の机の上には、もう黒い封筒はなかった。
代わりに王女の手の中に、俺のノートの一冊目があった。
彼女はそれを長い間、自分の机の中で保管してくれていた。
「タドコロ」
「はい」
「儀の代償について、アロイス殿から、聞いている」
「はい」
「お前は、こちら側に、留まれない」
「はい」
「いつ、出る」
「……できれば、明日の朝です」
「分かった」
「殿下」
「うむ」
「黒田の処分は、どうなりましたか」
「公的には、彼は儀の最中に消滅した。それ以上の処分は、しない」
「分かりました」
「彼の派閥の財産は、戦災復興と、北方の備蓄補充に充てる」
「ありがとうございます」
「タドコロ」
「はい」
「私からは、一つだけ、お前に贈り物が、ある」
王女は、机の引き出しから小さな箱を取り出した。
中には、銀色の平たい鍵のようなものが入っていた。
鍵の柄に王家の紋章が刻まれていた。
「これを、お前に贈る」
「鍵、ですか」
「王宮の食材庫の合い鍵だ」
「俺、もう戻れませんが」
「だから贈るのだ」
「……」
「鍵を持っている、ということは、いつか戻ってきてもいい、ということだ」
「殿下」
「うむ」
「俺は、ラーメン屋なので」
「ラーメン屋でもいいから、戻ってきていい」
「……」
「次は、客で来なさい」
俺は鍵を両手で受け取った。
そして深く頭を下げた。
王女は俺の頭を、手のひらで軽く撫でた。
たぶん彼女が誰かを撫でたのは、生まれて初めてのことだった。
退出する前に、俺はもう一つ王女に頼みごとをした。
「殿下」
「うむ」
「黒田、いえ、クロダ・ジン経営顧問卿の墓を、立ててあげてください」
「お前、奴を許すのか」
「許しません」
「では、なぜだ」
「客に料理を出せなかったので。代わりに墓を、立てたいのです」
王女はしばらく俺を見ていた。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「……お前は本当に、ラーメン屋だな」
「はい、ラーメン屋なので」
「分かった。立ててやろう」
「ありがとうございます」
俺はもう一度深く頭を下げ、執務室を出た。
扉の外で、シュトロームと商人会会長とアロイスが待っていてくれた。
三人とも何も言わずに、俺の肩をそれぞれ一度ずつ軽く叩いた。
俺も何も言わずに、彼らに軽く頭を下げた。
言葉はもう要らなかった。
仕込みの済んだ厨房と、同じだった。
その夜、王宮の自室で、俺はノートにこう書いた。
〈黒田、所定の手続きへ。記録、終了〉
書きながら、俺は十年前の加藤の顔を、最後に一度だけ思い出した。
そして、もう思い出さない、と決めた。
決めることができる程度には、俺はもう平常に戻っていた。




