第十七章 棚卸の儀
数えれば、見える。
見えれば、戻せる。
それだけのことだった。
寸胴の底から、銀の煙が立ち上がった。
煙は天井に達すると、八方に分かれて広がっていった。
それぞれの方角に、観測点に置かれた鶏ガラの火が、応えるように燃え上がる。
ノートの頁がめくれていく。
俺の手は触れていなかった。
ノートが自分で、自分の数字を空中に放出していった。
数字は銀の文字となって空中に浮かび、巨人の身体に向かって流れていった。
巨人の胸の穴に銀の文字が突き刺さるたび、穴の中の「半個」がぽろぽろとこぼれ落ちた。
こぼれた半個は空中で、もう片方の半個と出会い、合体した。
完全な一個になった鶏ガラ、塩漬け肉、燻製の塊が、ぽろぽろと床に落ちた。
床に落ちた瞬間、それぞれが銀の煙となって観測点の方角へ飛んでいった。
観測点では、シュトロームの兵やギルドの冒険者やヨハンの仲間たちが、銀の煙を地面に手のひらで押しつけていた。
押しつけた瞬間、煙はその地に、本来あるべき姿で再び現れた。
北方の村に、二月分の備蓄が戻った。
南方の街道に、消えていた塩漬け樽が何百と戻った。
東の港に、帳面通りの燻製肉が棚に並んだ。
巨人は悲鳴を上げた。
二つの頭がそれぞれ、別々の声で叫んだ。
彼の体は銀の文字に削られて、みるみる小さくなっていった。
「タドコロ君!」
声が巨人の中から聞こえた。
黒田の声だった。
まだ彼の意識は、残っていた。
「ずっと、君のことが嫌いだった」
「はい」
「なぜなら君は、加藤をかばわなかった」
「はい」
「君が黙っていたから、僕は加藤を潰せた」
「はい」
「君は共犯だ」
「……」
「君が僕を許せないなら、それは自分自身を許せていないからだ」
俺は黒田の言葉を最後まで聞いた。
それからノートの八冊目の最後の余白に、新しい一行を書いた。
〈加藤、ごめん〉
書いた瞬間、銀の煙の流れがひと際、強くなった。
黒田の体の中の「半個」が、最後の塊までこぼれ落ちた。
巨人の体はもう、巨人の形をしていなかった。
ただの欠損だらけの、骨と砂だった。
その骨と砂の中心に、黒田が人間の姿で座り込んでいた。
彼の眼鏡はもう、なかった。
代わりに彼の頬に、涙が一筋、流れていた。
俺はそれを、初めて見た。
「タドコロ君」
「はい」
「同期、だったよね」
「同期、でした」
「最後に、一杯」
「……」
「君のラーメン、食べてみたかった」
黒田はそれだけ言って、目を閉じた。
彼の体は銀の煙に、ゆっくりと包まれた。
包まれた瞬間、俺の中に長い間固まっていた何かが、ふっと抜けた。
俺は黒田の最後の言葉を、ノートに書こうとした。
ペンが震えた。
でも、書いた。
〈黒田、ラーメン、未提供。残念〉
書きながら、俺は初めて、黒田の死を惜しいと思った。
惜しいと思える程度には、俺は店主だった。
客には料理を出すのが、店主の仕事だった。
彼にも、出してあげたかった。
でも、もうそれはできなかった。
謁見の間が静まり返っていた。
銀の煙がやがて、薄れていった。
ノートの頁は八つとも、最後の頁を開いたままぴたりと止まった。
俺は長机の前で、ゆっくりと膝をついた。
体の力が半分、抜けていた。
アロイスが言っていた通りだった。
俺の魂の半分が、世界に返されたのだ。
ミラが扉の外から、駆け込んできた。
彼女は俺の前で膝をつき、俺の頭を自分の胸に抱え込んだ。
「タドコロさん」
「ミラさん」
「終わりました」
「終わりました、ね」
「ええ」
「もう半玉しか、食えないですよ、俺」
「……」
「ラーメン、半玉だけにしときます」
「はい」
「半玉でもいいから、食べてくれる人、いますよ」
「はい」
謁見の間に、貴族たちの長い長い拍手が響き始めた。
俺はミラの胸に頭を預けたまま、目を閉じた。
目を閉じた中で、寸胴鍋の蓋の音がもう一度、ことりと聞こえた気がした。




