第十四章 仕込みの完成
料理は仕込みで決まる。
仕込みが終わっていれば、本番はただ盛るだけだ。
夏至まで、九十日。
俺たちは馬小屋を出て、王国の各地をひっそりと巡り始めた。
目的は、二つ。
一つは儀式に必要な、八つの方角の「観測点」を確認すること。
もう一つは儀の本番で、共に立ってくれる仲間を揃えること。
最初に訪ねたのは、商人会会長コルネリウス。
彼は俺たちの予告状を一通受け取った時点で、すでに王都の倉庫をひそかに俺の集計通りに整理し直していた。
会いに行くと、彼は俺の前にもう一冊、新しい帳面を差し出した。
「タドコロ殿」
「はい」
「あんたが捕えられた翌日から、商人会総出で王国全土の倉庫を、もう一度数え直した」
「俺の集計、合っていましたか」
「合っていた」
「そうですか」
「合ってどころか、もう一段深い差異まで見えてきた」
「……」
「儀の本番、どこの数字を誰が読み上げる」
「商人会会長、お願いできますか」
「お引き受けする」
会長は片膝をつかなかった。
代わりに俺の手のひらを、両手で握った。
彼の手の皺は深くて、温かかった。
次に、北方の辺境伯シュトロームの陣に向かった。
彼は北方の砦で、雪解けの軍備を進めていた。
俺の到着を聞くと、陣中の幹部全員を集めて迎えてくれた。
「タドコロ」
「はい」
「殿下から密使が来ている。お前を儀のために、内密に支援せよと」
「殿下、ですか」
「殿下はお前を疑った訳ではなかった。貴族会議に押し切られただけだ」
「……」
「殿下も本気で、黒田を切る覚悟だ」
「分かりました」
「儀の日、王宮は私が囲む」
「囲む、ですか」
「黒田の私兵が邪魔をしないようにな」
「お願いします」
シュトロームは俺を、自分の陣の最も奥の天幕に通した。
そこにはヨハンが立っていた。
ヨハンはもう十五歳になり、背丈が伸びていた。
彼の手の甲に、新しい火傷の跡はもうなかった。
「タドコロさん」
「ヨハン君、ここまで」
「シュトローム卿の見習いになりました」
「料理の方は」
「料理はあなたが戻ってきたら、習います」
ヨハンの声は震えていなかった。
彼はもう十四歳の彼ではなかった。
俺は彼の肩に、軽く手を置いた。
彼の肩はまだ細かったが、骨が硬くなっていた。
「ヨハン君」
「はい」
「儀の日、お前はどこにいる」
「王宮の厨房に戻ります」
「戻る」
「あなたが戻ってこられた時、最初の一杯を出すために」
「……」
「俺、料理長代理やります」
俺はヨハンの肩を、もう一度軽く叩いた。
言葉は出なかった。
代わりにノートに書いた。
〈ヨハン、料理長代理。儀の日、厨房〉
その夜、シュトロームの陣の篝火の前で、俺たちは小さな会議を開いた。
商人会会長、辺境伯、ミラ、アロイス、ヨハン、そして俺。
六人の顔が、火の光に浮かんでいた。
「儀の手順、もう一度確認する」
俺は地図を広げた。
地図には八年分のノートから割り出した、八つの観測点がすでに書き込まれていた。
それぞれの観測点の真上に、シュトロームの私兵かギルドの腕利き冒険者か、ヨハンの紹介する厨房系の協力者を配置する手筈になっていた。
「観測点でそれぞれ、八個の鶏ガラを置く」
「鶏ガラ、ですか」
「俺の店から消えた半個と、同じ素材です」
「同じ、というのは」
「俺が八年取り続けたスープと、まったく同じ濃度のものを八個」
会長が頷いた。
「八個、揃える」
「お願いします」
「儀の中心は、王宮の謁見の間」
「殿下にすでに、密書を送っております」
「殿下は何と」
「『仕込みは、店主の領分。私は、ただ食べる側だ』、と」
俺はその言葉を聞いて、しばらく黙ってしまった。
ミラが横で、小さく笑った。
「殿下、いいこと言いますね」
「ですね」
「そういう客が一番、店主は嬉しいんですよ」
「はい」
「ね、タドコロさん」
「はい」
俺はノートに、もう一行書き加えた。
〈殿下、仕込み信頼。客の鑑〉
篝火が、ぱちりと爆ぜた。
俺はその音を、店の寸胴鍋の蓋の音ともう一度、頭の中で重ねた。
ぴたりと、合っていた。




