第十二章 八冊目を読み返す
八年分のノートを最初から読み返したのは、それが二度目だった。
一度目は、店を開いた前の晩。
二度目は、逃亡先の馬小屋の隅。
森の小屋から俺たちは三日かけて、隣領の小さな農村にたどり着いた。
そこの村長が、シュトローム卿の遠縁にあたる人だった。
ミラが事前に、その伝手を確保していた。
俺たちは村長の家の馬小屋の二階を借りた。
馬小屋の二階は、藁の匂いがした。
窓は小さく、月の光が斜めに差し込んだ。
俺は藁の上に、八冊のノートを並べた。
一冊目から八冊目まで、月別に開いた。
差異が出た日に、赤い印を打った。
差異の量を、グラフに直した。
三時間かけて、俺はある事実に気づいた。
差異の出方が地理的に、ほぼ等間隔だった。
ノートに書かれた俺の店「麺屋たどころ」の所在地を中心にして、北西、北、北東、東、南東、南、南西、西と、八つの方角にそれぞれ等距離の地点で、差異が「観測」されている。
観測、と言っても、俺は店から動いていない。
俺の鶏ガラから、半個ずつ消えていただけだ。
でも消えた半個が向かう方向は、毎月毎月八つの方角に均等に分散されていた。
俺はその八つの方角を、地図帳の上で確認した。
ミラが村長から借りてきた、王国の地図。
俺の店の位置に印は無かったから、王都を中心にして同じ計算をした。
すると王都を中心にして、北西、北、北東、東、南東、南、南西、西。
ちょうどノートの差異と同じ位置に、王国の各国境の主要都市があった。
そしてそれぞれの都市で、過去七年に「謎の物資不足」が記録されていた。
俺の店から消えた半個ずつが、それぞれの都市で「ない」になっていた。
「ミラさん」
「はい」
「俺、ずっとこちら側を、数えてたみたいです」
「……どういうこと」
「俺の店の鶏ガラは、ただの鶏ガラじゃなかった。世界の在庫の、縮図でした」
ミラは俺の指の動きを、じっと見ていた。
俺はノートの最後の頁を開いた。
そこには、こう書いてあった。
〈八年分の差異、すべて等間隔。 観測者、無自覚〉
書き直したのは、いま、書き加えた。
〈観測対象、王国魔力流出パターンと一致〉
「タドコロさん」
「はい」
「これって、もしかして」
「魔法、らしいです」
「らしい?」
「分からないんですけど、たぶんそういう類のものに、八年巻き込まれていた気がします」
ミラはしばらく、何も言わなかった。
彼女は俺のノートをそっと引き寄せて、自分の指で八つの方角を辿った。
彼女は受付嬢として、ギルドの帳簿を毎日触っていた。
彼女には数字の癖が、すぐに分かる人だった。
「これ、私、ギルドで何度か見たことがあります」
「同じ、形」
「ええ。古代の魔導書の写本に、これと同じ並びの図がありました」
「魔導書」
「失伝した魔法、と言われていたものです」
「名前は」
「『棚卸の儀』」
俺はその単語を聞いた瞬間、思わず椅子から立ち上がりそうになった。
立ち上がらなかったのは、馬小屋の二階の天井が低かったからだ。
「棚卸、ですか」
「はい」
「業界用語、なんですが」
「業界?」
「飲食店の月末に、必ずやる仕事のことです」
「……数えるんですよね」
「全部、数えます」
「魔導書の中の『棚卸の儀』も、世界の魔力資源を全部数える儀式と書いてあった気がします」
「それって、二つ同じ意味ですよね」
「ええ」
「なんで」
「分かりません」
俺たちはしばらく、お互いを見つめていた。
ミラの目がろうそくの光の中で、ゆっくりと潤んだ。
でも彼女は泣かなかった。
代わりにノートを胸に抱えた。
「タドコロさん」
「はい」
「あなたが八年、数え続けてきたのはたぶん、世界がそうしてもらいたかったんです」
「……」
「あなたのおかげで、世界の在庫差異が毎月、誰かの手のひらの中に書き残されていた」
「俺はただ、暇だっただけで」
「暇じゃなかったら、できてないですよ」
ミラはろうそくの炎の前に、ノートを掲げた。
炎の光に透かして見ると、八冊のノートは本当に、八年分の地層に見えた。
俺はノートに、新しい一行を書いた。
〈棚卸、業務用語と魔導語、完全一致。仮説、世界の意思〉
書きながら、俺は長い長い息を吐いた。
吐ききった頃には、東の窓が薄く明るくなっていた。
ミラは藁の上で、いつの間にか眠っていた。
俺は彼女の肩に、自分の上着をかけてやった。
馬小屋の階下から、馬の鼻息がゆっくりと聞こえた。




